自然は如何に導くか
3年前にFacebookに書いていたものを、過去の今日書いていた記事として発見した。ハロルド・ギャティ「自然は導く」を読んだ感想。3年前のものに追記して紹介。
GPSはもちろん、六分儀や地図やコンパスに頼らずに、かつての人たちはどのようなナビゲーションを行なって旅をしてきたか。
単純な話だが、五感をフル活用して、周囲の状況を観察し、理論があれば、それを持たない人からすればまるで第六感の超能力で進路を決めているように思えるが、実はそうではない、ということが延々と実例をもとに書いている。
そうなのだ。極地でも同じ。特に、今春(2019年)の若者たちとの北極の旅では、観察能力をまだ持たない彼らと、身につけた私の間で起きた現象だ。何度も彼らに聞かれたのは「荻田さん、なんであのホワイトアウトの中でまっすぐに歩けるんですか?」「見えていない目標物に遠くから進路を外さずになぜ行けるんですか?」
GPSも地図もコンパスも使う。だが、それだけではナビゲーションはできない。例えば、海氷が押し集まった乱氷帯の中で最適な進路をどう見つけるか?それはGPSも地図もコンパスも、全く意味をなさないナビゲーションになる。どれだけ機器に尋ねたところで、答えは教えてくれない。
私は、乱氷帯の中ではよく「風」を探す。
風に従う、と言った方が適切かもしれない。乱氷の最中にいると、氷の壁が氷上を流れる風の動きを遮ってしまい、無風に近くなる。きっと、数メートル上空では風があるはずだが、自分の周囲は風がない。そんな時、乱氷の隙間から風が吹き込んでくることがある。その先に平坦な氷が広がっていることを示している場合が多い。
また、風によって運ばれてきた雪が作り出すスロープ(特に大きく発達したスロープ)に従うと良い。
乱氷は腰くらいの高さから数メートルの高さで海氷が隆起し、重いソリを運搬していくには非常に厄介なデコボコの連続となるが、隆起した海氷の風下に発達したスロープはそのデコボコを平らに均し、とても歩きやすくしてくれるだけでなく、強い風によって発生するそのスロープを繋いでいくことで、先ほどの「風」の理論で比較的平坦な海氷に辿り着きやすくしてくれる。
水平面で見ると、遠くにある島も近くにある島も、一見すると同じくらいの位置に並んでいるように見えることもあるが、そんな時はよく「色」を観察する。
遠くにある島の岸壁は、近くにあるものよりも色が薄く、青みがかる。複数の島が並んでいるように見えて、実はそれぞれに自分からの距離が異なるとき、どれが近くてどれが遠いのかも、色の違いは重要だ。
海氷が大きく割れているときに、上空の雲に海面の影が反射する現象も見逃せない。古い探検記には「水空(すいくう)」英語では「water sky」としてよく登場する。
白く光を反射する雪面と、黒く光を吸収する海面のそれぞれの上空にかかる雲の底面は、色が異なる。自分からは直接見ることのできない(水平線の向こうの)海氷の割れ目も、その上空の雲を見ることで存在を事前に把握できる。割れ目から立ち昇る水蒸気による雲も重要だ。低い気温と水温の温度差で発生する水蒸気は、冷たい外気で凍りついて、通常の気象現象では発生しない低いところに雲を作る。その下に大きな海氷の割れ目が存在していることが遠くからも分かる。
目に見えない、凍っている足元、海氷の下にある海底の深さを海氷上面の状況から察知することもある。特に浅い時だ。
乱氷や流れてきた巨大な氷山に、ほんの少しだけ泥のようなものが付着していることがある。これは、氷が押されているうちに氷の一つが浅い海底に触れて、再び氷上に露出したことを表している。
つまり、最も大切なのは観察であり、その観察を考察する姿勢であり、そのための勉強と知識と、その応用である。第六感や勘でナビゲーションを行なっている訳ではなく、全てに理由がある。すべては五感の延長線にある。
そして、よく考えると、いま説明したようなものは、気が付いたうちに身につけたものであって、誰かに教えてもらった訳ではない。一人で北極を歩いているうちに、自分の身を守るために観察し、身についてきたものだ。
2019年春の北極では、若者たちには見えているのに見ていない事柄を伝えてナビゲーションを教えた。どこまで伝わったかは分からないが、観察、考察、姿勢、知識、応用といった事柄は何も自然の中での冒険や探検においてのみ必要なものではなく、人間が生きるあらゆる場面で遭遇する普遍のものだと思う。
北極での経験を、自分の生きる世界に持ち帰って活かしてくれれば嬉しい限りだ。
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