江戸時代の免疫システムとしてのオランダ東インド会社
西洋探検の歴史は、資本主義経済史と裏表でもある。
かつて「探検家」という存在は資本主義の先遣部隊として、新天地に真っ先に切り込んでいく役割でもあった。それが、探検事業に求められた社会的要請だった。
時代と共に探検事業に求められる社会的要請は変化し、科学であったり国威発揚であったり、それらは時代と共に変化を続けている。
今、あらためて西洋史をしっかり勉強している。今の自分に続く細く長い根っこの先に、かつての探検家たちがいる気がしているからだ。まずは大航海時代から始めているが、そこを学ぶとそれ以前の地中海世界の勉強をしないと理解が繋がらないので、そのうち順序立てて勉強するつもりだ。フェルナン・ブローデルの「地中海」とか読まなきゃいかんのだろうな。大変だ、こりゃ。
いま読んでいるのは、永積昭「オランダ東インド会社」
周辺事情をネットで調べながら、レポートにまとめながら読み解いている。
世界最初の株式会社とも呼ばれるオランダ東インド会社は、現在のインドネシアを中心に、香料貿易を盛んに行っていた。
オランダ以前のメインプレイヤーだったスペイン・ポルトガルは王室による植民地貿易を行い、新世界への動機は「経済活動とキリスト教の布教」だったが、企業組織のオランダ東インド会社は「宗教」に興味がなく、とにかく利潤の追求だけが目的だった。
当時のオランダの植民地に関する現地文章の中に現れる文言として、おそらく最多の表現になるだろうと書いているのが「会社の利益となるように」「会社の損害を最小限に食い止めるために」というものらしい。
第一義が会社の利潤であり、それ以外は二の次三の次、ということだ。地元の都合なんて関係ない。会社のためには逆らう現地民も武力で脅すし殺すし、度々現地人の虐殺事件を起こしている。中世の植民地経営って、そんな感じなんだろうねー、なんて一瞬思うが、いや待てよ!?為替の変動や経済状況と共に新興国に工場を移したり撤退したりしているのは、21世紀も同じこと。「会社の利益となるように」安い労働力を求めて海外に進出し、そこで上がる利潤が見込めなくなれば「会社の損害を最小限に食い止めるために」切り捨てる。400年経って少しは進歩したのだろうか。
資本主義は、大なり小なり植民地の搾取システムと同様の思想に支えられている。まあ、我々の生活もそんなシステムの上に安住しているわけなので、偉そうに言えないが。
小学校の社会科だったか、いつ習ったか忘れたが、江戸時代に長崎の出島でオランダと中国だけが日本と国交を持てた、それはキリスト教の布教をしない国だったから、なーんて教わってきたが、ちゃんと調べるとその意味がわかって面白い。
喜望峰から日本まで広く散在するオランダ東インド会社の取引地の中で、日本との貿易額と利益がダントツに高かったという。そうなると、オランダとしても日本との貿易は何が何でも死守するべし!と、他国の日本への接近を妨害し、排除に動いている。中国も排除しようとするが、幕府がオランダ一国との貿易だとオランダペースで進んでしまうことを懸念し中国との貿易も認めた。
江戸時代260年の泰平は、ある意味でオランダが日本の入り口で必死になって侵入を企てる異分子を潰しまくっていたことも要因としてあるのではないか?これは私の予想だが。ウイルスに対抗する免疫システムみたいな感じか。
当時の船舶では、ヨーロッパから西廻り、太平洋廻りの航路でダイレクトに日本と貿易するのは現実的ではない。極東のどん詰まりという地理的な状況も、鎖国を維持できた要因だろう。
その免疫システムが破られるのが、太平洋の向こうからやってきた黒船だったわけだ。というか、もうその頃にはオランダ東インド会社自体存在せず、イギリスが中国を侵略していたわけだ。隣人中国が病に蝕まれ、ヒヤヒヤしているところに蒸気で走る新型ウイルスが、ある日浦賀沖にやってきて日本はパンデミックに陥った、という感じだな。
それまで温室育ちで甘んじていた日本も、明治維新という自己免疫機能を獲得したことで、西洋列強に伍する!という強気な戦略に走っていく。