第二話 牛若ちゃんと弁慶ちゃん 「きつね合戦」(ステマあり)
このところ方々で聴くようになった。
近所で誇れる美味いもの。
まずは、半兵衛はんの麩田楽。
宮廷の膳部だった半兵衛はんの創る物は何でも美味い。
中でも田楽は絶品。
これは誰の否もない。
他に、最近讃州から来た若夫婦が開いた店の、きつねがすこぶる付きに美味いのだと。嵯峨野から取り寄せた揚げを店でじっくりと煮込むのだが、その味付けと煮込み具合が絶妙で、一度味わったなら他では食べられないと謂うほどに。
本当だろうかと遮那は思う。
遮那の中では、麩田楽に比類する物などあろう筈もない。
その確信は揺らがない。
あの寒い冬の街を、寺を追われ彷徨った。
あの時に食べさせて貰った田楽の美味かったこと。
遮那は今でも田楽を食べると涙が零れそうになる。
ともあれ――
気になったからには確かめずにはいられない。
遮那は弁慶を伴って、噂の店を訪れんとする。
愛想の好さが服を着ているような夫婦であった。
終始にこにことして、子供の遮那と弁慶にも丁寧に。
ぬぬと唸って遮那。讃国の者、侮り難し。
程なくして二人の前に並ぶ、きつねうどん。
二人合掌して、いざ、実食。
美味しい……
まずは汁を一口、続いて麺をぞぞっと啜る。
それから、噂の炊いた揚げを囓る。
熱いのが苦手なのか、弁慶はふぅふぅ言いながらちょっとずつ麺を啜ってる。
あんなにゆっくりだと、麺が伸びてしまうんじゃないかといらぬ心配をする。
「あぁッ、何をするですか」
素っ頓狂な弁慶の声。
食べるのに夢中な弁慶の死角を付いて、遮那の箸が延びる。
獲物はそう、丼の端に避けられた主役。
「喰わないから、いらないのかと思ってな」
悪びれもせず遮那。
ペロリと一口に納めてしまう。
ちなみに遮那の丼は空っぽで、汁の一滴もない。
「酷いのです。弁慶は、美味しい物を後に取っておく主義なのです」
「それってセコいだけなんじゃないのか」
「違うです。よく聴くです。いいですか。
「人の心は弱いものなのです。だから楽しいこと楽なことを先にして、辛いこと面倒なことを後に残すと、もうそこで厭になってしまいがちなのです。だから、良きものを後にすることで、最後までやる気を維持できるのです。
「それに、もし後から人が来た時、ちゃんと残しておいた良きものを渡してあげられるのです。
「人としての常識なのです」
ふんすと鼻息荒く高説を垂れる弁慶。
「ならワタシに食べて貰えて弁慶も本望だろ」と遮那。
「そう云うことではないのです。弁慶は後でゆっくり食べたかったのです。だから、嫌いな葱を先に食べたのにぃ」
感極まって、ほろり涙を落とす弁慶。
「泣くなよぉ」
弁慶が悲しそうにしていると、なんだか遮那も悲しい気持ちになってくる。不思議なことだ。ちょっとした悪戯心で困らせようと思った。思った通りに反応するのに、ちっとも楽しくない。それどころか二人してションボリしてる始末。
そこへ、
「あいよ、お待ち。きつねの盛りだよ」
差し出されたのは平鉢一面のきつね盛り。
後から出すように頼んで忘れていたのは遮那だった。
二人してキラキラした眼で覗き込む。
「仲良う食べよし」
女将さんがにかっと笑う。
今度は、弁慶が先に鉢へ箸を伸ばし、ずるりと掬い取る。
残るは一枚。
「ズルいぞ、弁慶」
「オマエが言うなし」
ほくほく顔の弁慶。
仕方なく、残りの一枚を箸で掬う遮那。
ぺろりと食べて、やっぱり美味いと舌鼓を打つ。
なくなってしまえば、やはり寂しい。
「しょうがないので、一枚やるです」
弁慶が自分の鉢から、つゆのしみたのを一枚渡す。
それもぺろりと平らげた遮那は、ゆっくり食べる弁慶を観ている。
「まだ、欲しいですか」
弁慶が言うのに、
「いや、もうお腹一杯だ」と笑ってみせる。
「弁慶はゆっくり食べれば好い。ワタシはそんな弁慶を観てるのが、嬉しい」
「何ですかそれは。気持ち悪いのです」
「酷い言い草だな」
二人で満面の喜色を浮かべる。
*
後の世の作家が「君は君、我は我なり、されど仲良き。仲良きことは美しき哉」と言ったとかどうとか。二人には関わり合いのないことである。
おしまい
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