第一話 牛若ちゃんと弁慶ちゃん 「五条大橋の邂逅」
夕闇迫る黄昏時。
雲掛かる西の山稜に、赫く朧な夕陽が沈みゆく。
斜に差す、朱く目映い夕明かり。
揺らめく影が長く昏く伸びて、街を赤黒のまだらに染める剣呑。
人の謂う逢魔が時。
昼と夜、現世と隠世の狭間。
虚ろにして胡乱、薄闇の陰に魔が潜んで人心を惑わす。
そんな時間に、年端もいかぬ女児が一人。
五条の大路は、大橋の西詰まで。
小綺麗に纏った朱と緑の着物、組紐飾りで結わえた髪。
目尻の上がった大きな眼に、きりりとした眉、小さな鼻口。
共もなく、怖じけなく、堂々の風格で闊歩する。
名を、遮那と云う。
五条の問屋町通り、元の膳部で料理研究をしているのに宿借りて住む。家を失った元の武家の娘で、その折り尼寺に出されのが、少々ヤンチャが過ぎて還された。天狗の長たる陰陽天狗から術を教わったと嘯くが、さて。
人の影の疎らになる時分。
使いを頼まれた先、お得意の爺サマの長話に付き合ったお陰ですっかり遅くなる。茶と菓子をたらふくご馳走になったお陰で腹は減っていないが、何時までも帰らないと細君のお小言が面倒だ。
速めた歩みで五条の大橋へ足を掛ける。と――
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、これこそ京童の呼ぶなる比叡の鬼僧、武蔵坊弁慶にゃるにょ」
橋の真ん中で蹲るのは、遮那よりはやや大柄な童。
白袈裟を裏頭とし、裳付衣に下腹巻、下駄を履いた僧兵の態。手には背丈を超える薙刀。勇ましい名乗り口上ではあったが……
「大丈夫か」
余りの痛々しさに、つい声を掛けてしまう。
「痛いの。舌、噛んじゃいまひた」
「そうか」
心持ち労ってやりたいと思うも、してやれることもなく。
「暗くなる前に帰れよ」と声を掛けるくらい。
「ちょっと待つです」
やおら立ち上がった僧兵形の童。
「ここを通りたければ腰の刀を置いて行くです」
「厭だが。なぜ?」
「百本集めると好いことがあるのです」
「好いこと? どんな?」
「知らぬです。好いことは、好いことなのです」
何とも言えない気分になる遮那。
「オマエそれ、騙されてないか」
「騙される?」
「明らかに、おかしいだろ」
暫し考える素振りの弁慶。
ただし本当に考えているかは怪しい。結局、
「どっちでも好いのです。弁慶は戦いが好き。いざ、尋常に勝負するです」
言っていることの意味は分からない。だが、さりとて、そう言われると、遮那とて、
「ふふ。気が合うな。ワタシも立ち会い勝負は嫌いじゃない」
すらりと小太刀を抜く。
睨み合う両者。
ちびっ子二人と侮るなかれ。その気勢、その殺気は本物。
疎らにいた人も、その圧の強さに怖じけて退く。
先に動いたのは、遮那。
陰陽天狗から授かった兵法は伊達ではないとばかり。
ひらりと身を翻し、蝶の如く軽やかに舞い翻弄する。
そして、蜂の如き鋭い一突き。
不可避の斬撃を、しかし弁慶は薙刀で防ぐ。
力のままに薙ぎ払えば、小柄な遮那が吹き飛ぶ。
「オマエ、強いな」
にやりと笑い遮那。
「そっちこそ、ちっこいくせに」
「ちっこいは余計だ。気に入った。オマエ、ワタシの家来になれ」
「ふんだ。弁慶の方が強いもん。オマエこそ、アタシの家来になれです」
「よし、じゃあ、負けた方が勝ったの方の家来だ」
「弁慶勝つのん」
素早い動きでひらりひらりと舞う遮那。
鋭く払う弁慶の薙刀。
その斬撃を避けるのに、高く飛び上がる遮那。
ふと笑みを漏らす弁慶。
「跳ぶは愚か。逃げられないのです」
刹那を併せんと溜める弁慶。
ふわりと浮かんだ遮那は、口笛を吹く。
その時、遮那の背中に黒い翼が生えたかに。
ばさりと翼をはためかせると、描くはずの放物線を描かず浮かび上がる遮那の身体。併せて振るわれた薙刀は空を切り、勢いのまま弁慶は蹈鞴を踏むことに。
そこへ――、
「勝負ありだな」
遮那の小太刀の切っ先が、弁慶の鼻先に突き付けられる。
「驚いた、オマエ、鴉天狗を使うですか」
「友達だしな」
遮那の背中に貼り付いていたのは、一柱の天狗だった。
人の赤ん坊ほどの体躯。
修験者のようで、その頭は鴉。
背の翼は力強く宙を羽ばたき、
「鴉使いの荒い姫さんだぜ」とぼやく。
「弁慶に友達いない。弁慶は独り」
寂しげに呟く弁慶。
敗者として恭順の印に裏頭を取る。
おっとりとした顔付きに目力の強い女童が現れる。
「なら、今日からワタシが友達だ」
「友達? 家来じゃないのです」
「友達だ。そっちの方が好い」
「解ったです。弁慶たちは友達」
「ワタシは遮那」
「弁慶と遮那は友達」
「そうだ。ワタシ達は友達。いや、刃を交えた者は心の友、心友だ」
こうして意気投合した二人。
揚々と帰路に就く。
元々、御山を放たれた行く当てのない弁慶は、料理家夫妻の好意で、遮那と共に暮らすことになる。
めでたし、めでたし。
おしまい
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