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DAY11 落語とタスクシュートの共通点

「趣味は落語に行くことです」というと、「ふーん。落語って面白いの?」とよく聞かれます。「え!どうしてそうなっちゃったんですか?」と病気扱いされたこともありますが。

「面白いの?」と、言われれば「面白いですよ」と答えます。ただ、おそらく質問者の想像する面白いとはちょっと違うと思ってます。

質問者は、「笑えるの?」と聞いている。
「落語」は笑いを求めていない。いや、笑いも落語の要素の1つとして大切であるんだけれども、それは話を聞かせるための1つの道具であり、笑いそのものが目的ではないのだ。

ここが漫才とはもっと異なる点だ。落語は面白い。しかし、笑いたいのならば、漫才を見に行くほうがいいと、落語ファンの私が保証します。

では、落語の面白さとは何か?

「世界に浸る」こと。映画や演劇に近いですね。というか、広い意味で演劇です。

この世界を、扇子以外は何も持たないおじさんがしゃべりひとつでつくるのだ。これがはまった ときの見事さは、映画や演劇を軽く超える。ただし、はまらない時も多い。だから落語家は、観客との一体感をとても大切にする。そしてその場にいる観客のためだけに芸が披露される。

よって、落語とはライブじゃないと意味がない。

もちろん、導入として音源から聞き始めるのはアリだと思う。ただ、それは厳密には落語ではない。

ライブとは、その場にいる人との空気を共有しているからの一期一会、その限りの作品なのだ。

音楽も、元の元を考えると、そうだったん違いないのだが、音源が独特の進化を遂げることで、落語とは少し事情が異なる。

すなわち、落語とは「イマココ」の芸能なのだ。

ふー、夢中になってしまいました。

タスクシュートも同じですよね。ボタン押すことで、イマココに集中する。これだけです。

と、いうことで落語とタスクシュートの共通点見つけました!

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