8/22 Day22 人の想いはどこへでも。どこまでも。
どうも、今日は深夜なテンションで書いていない、寝起きの割とレアな平常心尾木です。
現在その日の日記の翌日の朝です。
今日(昨日)はむしむしとプールサイドを歩いているような気候でした。
でも、満月はよく輝いてた。
八月の満月は「スタージョンムーン」って言うらしいですよ。スタージョンはどうやら英語でチョウザメという意味。アメリカ五大湖近辺で、この時期にチョウザメは最も収穫できるため「スタージョンムーン」と名付けられたらしい。
キャビア食べてみたい。
Time waits for no one. therefore she will go to see the future what her wants!
今日は『時をかける少女』を視聴しました。
初めてちゃんと見た気がします。
感想?そりゃ言うまでもないでしょうに。そうして私は感慨に耽る。
強いて言うなら少しでも3人の馴れそめを見たかったなぁ。
1つ視聴後に感動したことがありまして、今日はこれを書くために筆を執ったといっても過言ではないのです。
私は小説の『時をかける少女』は読んだことありまして、映画はこの小説の改変だと思っていました。
そう言えばと、映画の視聴後に小説の結末を映画と比較してみようと思っておもむろに小説を取り出しました。
小説の『時をかける少女』は短篇小説で、文章自体も大した分量はない印象があり、また内容も大きく異なっていたはずです。(あまり覚えていないので読み直さないと)
そうしてふと、小説の表紙を見たとき一人合点して成る程と唸りました。
映画と小説の時をかける少女は別人だったのです。
引っ張るのもあれなので結論を述べます。
小説の時をかける少女は映画での主人公ではなく、相談相手で、国立科学博物館にいた魔女おばさんだったのです。
もしかしたら割と常識の部類なのかもしれないが私の中では大きな発見でした。
気がついた契機は小説の表紙が、映画の作中に魔女おばさんの昔の写真として出てきていたことです。(恐らく小説の表紙は逆輸入で、映画の写真を表紙にしたと思われる)
ところで、こんなでかでかと発見とかのたまっているのですが、実はまだ答え合わせが済んでいないのです。つまり考察です。
ではちょっくらインターネットで真実の扉を開いてきます。(答え合わせ)
ただいま戻りました。
私の論理は正しかった。
あと最後に1つ。
「未来で待ってる」
って台詞いいよね。
関係ないけれどなぜか、アラジンの
「Do you trust me?(僕を信じて)」
を想起させられた。
ヒーローの女性への不器用なアプローチが好きなのかもしれない。
尾木は今日も喋る
日記でこんなことを言うのも何なのですが、書くって大変なんですね。
脳内を過ぎった言葉を文字に起こしていくのは、話すことに比べて時間が掛かる。
なので浮かんだ内容が、ばんばん通り過ぎて話したい内容の3割程度しか表現できないのが心苦しく、じれったいのです。
つまり私は記事において構成を練るもへったくれもなく、思いついたことをただ羅列していることになります。
整えられていない私の文章が読みづらいのは大変心苦しいのですが、どうも時間を掛けて自分の言葉を加工すると(構成を整えると)なんだか自分の言葉で無くなってしまう気がするのです。文を整えると結局論文のような感情ゼロの機械的な文章に仕上がってしまうので。
つまり私、鮮度を優先させて頂いております。
普段友人と雑談するような感覚。
なんだか喋りたくなってきた。
果たして平常心でこの内容を書き始めるのは如何なものか?
本日は此処いらでお暇します。
では、今日も良い日を!
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