8/12 Day12 もはやマスクのない日常は異常
深夜から、どうも尾木です。
本日も友人と喋っていたらこの時間になってしまいました。
今日は朝からの部活の自主練に参加するため7時ほどに起床し、練習へ出かけました。実は私、大学で部活に所属しているんですね。と言っても体育会の部活よりはハードさは一段階下がります。
同期の友人と二人で部活の練習に励んで、そのまま練習後はスシローでぐだぐだお寿司を貪っていました。
これ以上特筆すべき出来事が今日は起こらなかったので、コロナによって失われた(得られた?)2年について現役大学生から少し語ろうと思います。
我々、現大学3年生は1年生の時に普通と言う名の何よりありがたかった日常を経験している。それが良否どちらとは言えないが、その1年間は真の自由を謳歌していた。
大学生全般がコロナ禍で被った被害はやはり、最後のモラトリアムを一蹴されたことである。所属しているグループのイベントや友人との旅行、夜遊び、よりためになったであろう対面授業。今思いつく限りだとそれくらいか。他にも失ったであろうことが浮かんだ方は教えて下さい。
では私の1年生時代の生活はどうだっただろうか?
実のところ忙しすぎてあまり記憶にないのです。平日は1限のために7時前に起床し、午前中に学校。夕方には部活に参加し、夜は居酒屋のアルバイトで12時程まで。休日は土日どちらとも、部活とアルバイトで消滅し、長期休暇も、同様に消滅していた。
遊びに出かけることもあったが頻繁なものではなく、小旅行を3ヶ月に一回ほど。
今考えたら恐ろしいスケジュールである。戦慄する。よく生きていたな。
そう考えるとコロナ禍での恩恵(苦しんでいる方々には不謹慎な表現で申し訳ないのです。)は割と大きい。
授業はオンラインに切り替わったことで、大学がベットから3歩で到着するようになって、出席は非常に容易になった。1年生の頃は、出席し損ねる授業も多く、出席及び成績は低空飛行を続け落単も少なくなかった。要は忙しいさによって破綻した落ちぶれ大学生だった。
そんな生活だったためオンライン授業は出席が苦では無いため、単位の確保、及び留年回避には大いに役立った。否、救われた。
部活やアルバイトはコロナによってなくなり、「なにもない」という自由を授けられた。自分の本当にやりたいことだけに打ち込めるこの期間は惰性で溺れない限り、理論上最も有意義な時間である。
以前までの私の日記に目を通して下さっている方なら大方見当はついているかもしれないのだが、私は出不精な人間だ。家に籠もっていて苦しむことはない。家に居ても時間は容易に消費できる。映画や読書、ゲームにYouTube、睡眠、好きな勉強等、好きなことが多くていとまが無い。
自分で言うのもあれなのだが、私はインドア、アウトドア兼用のハイブリット生命体なのだろう。いや、ただの多趣味だ。
つまりはコロナ禍も私にとって大した苦はなく、「これはこれで」と言ったところだ。どちらがいいとは言えない。もちろんどこか視認できないところでストレスは貯まっているのだろうが、それは忙しくても貯まるのでどっこいどっこいだろう。
「ではその期間で得られたことは何ですか?」という無粋な質問は断固拒絶する。「心の安寧に決まっているではないか。他に特筆すべき事はなにもない。」
どころで、1つ下の代からの大学生はそう私のように呑気な意見も持てないやもしれない。特に最初からオンライン授業というのはいただけない。友人を見つけるのは至難の業だし、所属するサークル、部活などの団体も、通常時より積極性が求められる。周りからのアドバイスも直接受けられないため、個人の情報収集能力がとても問われる。
私が部活に参加した切掛は新歓コンパの焼き肉に釣られたからという情けないものだが、そんな機会も与えられないので大変だろう。私はきっとこの出来事が無ければ無所属だろう。
ともかく、学生は頑張ろう。いや、みんな頑張ろう。今だけの何かを見つけよう。
きっと我々がおじさんになった時にコロナ世代なんて言われて、それを笑って語れる日が来るでしょう。
1つ不安なことは、今の惰性的な生活から、通常のアフターコロナへの変化について行けるのかというものである。完全にこの、のんびりとした生活に馴染んでしまったのでハードなリハビリが待っていると考えるとそこだけは憂鬱である。
今日の投稿果たして日記に分類してよいのだろうか?
以上!ではまた、
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