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子供に会えていない親の皆さん

子に会えていない親の皆さんに
この記事は是非読んでもらいたい。

親の皆様の人生が大きく変わる。
そんな記事だと僕は信じています。

この記事は、20年間母親に会えていない僕の気持ちを描くだけでなく。
子供が[親にしてほしいこと]を本音本心で書きます。

実際に僕は20年振りに出会った母に向けて
子供目線から親にして欲しいことを伝えました。

そしたら
母は涙をこぼし、そこから人生が大きく変わったとまでいいます。

これは子供に会う会わない関係なく、子供に出会う前から
子供が親に望んでいることです。

世の中では、まだ子供の本音本心を聞けることが中々ないですよね。
だからこそ、僕が1人でも多くの人に伝えなければいけないと思い今回の記事を書きました。

僕は今回、想いを込めて本気で書いています。

何故ならば、子供に会えない親の方と話す機会があり色々とお話を伺いました。

その話を聞いて少しでも力になりたいと思ったからです。

子供に会えない親の心の傷を少しでも癒したい。
未来に希望を抱かせたい。何か少しでも勇気つけたい。

少し上から目線になってしまいましたが
僕は本気で思っています。

この記事を見終わったとき
皆様の心が癒しで包まれ、自分は幸せになってもいいと言う許可を自分に出すことができます。
そして、その幸せを実現するために
私はあなたを家族だと思い全力でサポートします。

小さいころ、近くにいた家族の暖かさをもう一度取り戻していきましょう。

<そらの生い立ち> 
※そらとは僕のことでこの記事を書いている本人です。

1998年6月12日
北海道函館市の病院で僕は産まれました。

体重は3008gと元気な男の子です。

家族は
父・母・お姉ちゃん・僕(そら)の4人家族でした。

父はゲーム好きで
家族のために一生懸命働く父です。

母はおっちょこちょい且つ、天然だが
人に優しく、人想いな素敵な母です。

そして僕の姉は、僕が産まれてくるのを一番に楽しみにしていて
手作りの折り紙を沢山作ってくれていたそうです。

最初の一年間は家族が幸せで、何不自由ない生活をしていた
ごく一般な家族でした。

しかし、事実僕は。
20歳までお母さんの顔や名前が分からず

20年間、自分に姉がいると言うことを知りませんでした。

人生を遡ります。
僕が記憶にあるのは3歳のときです。

僕は※函館の一軒家に住んでいました。
※北海道最南端の町

家にいたのは、祖母と父と僕の3人。

保育園の送り迎えは、祖母がしてくれて僕は家に帰ります。
家では、父が帰ってくるのをいつも楽しみにしていたことを今でも覚えています。

祖母と父は僕に沢山の愛情を注いでくれました。

いつも笑顔で、いつも僕を一番に考え行動してくれました。

そんな幸せな家で過ごし
僕も少しずつ大きくなり小学校に入学をしました。
友達も沢山でき、クラスでは中心メンバーとしてクラスを盛り上げていました。

ただ、僕には1つ気になることがあります。

それは、小学校の運動会や学芸発表会など
学校に親が来る年間行事。

僕の友達の殆どがお母さんとお父さんが出席し
お弁当を食べるときも母が作ったであろう豪華なお弁当を家族みんなで食べている。

そんな光景を僕は見ていました。

でも、僕にも大好きなお父さんがいる。
お父さんと一緒に食べているお弁当も僕は幸せ。

だから正直、そこに関しては一切気になりませんでした。

でも。。

小学生の僕は母の存在が気になりました。

「俺のお母さんはどこにいるんだろう?」と。

僕は人生で一度だけ、父に問いたことがあります。

「お父さん。俺の母さんってどこにいるの?」と小学生の僕が質問。

いつも強くて元気な父がそのとき顔を曇らせ僕にこう答えました。
「全部、俺が悪いんだ」

そのとき、僕は思いました。
「あ、お母さんと言う言葉を口に出すと大好きな人が暗くなるんだ。きっと昔何かあったんだな。
お父さんが嫌がる話ならお母さんと言う言葉を出すのはやめよう」

こう思いました。

僕は、お母さんの存在を自分の頭の中にとどめておくことを決めました。

ただ、ここに関しては
辛い、苦しい。などの想いは1ミリもありませんでした。

理由は2つです。

1つ目は
記憶がない時に母がいなかったので父だけが自分の親と言うスタンスが当たり前になっている。

2つ目、
父から猛烈に愛されていたから。

この2つの理由で僕は辛いと思う感情はありませんでした。

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〈それでも母に会う〉

月日が流れます。
僕は2019年1月18日成人式を迎えます。

僕はこの時に決めていたことがあります。

「母に会う」と。

中学・高校と僕は思い続けていました。

人生で一度は母に会いたい。
人生で一度母に聞いてみたいことがある。

父から沢山の愛をもらってきていましたが
やはり、自分の母親には会いたい気持ちは押さえられませんでした。

だから、大人になったら
何としてでも母に会いにいこうとずっと思っていました。

そんな思いを抱いての成人式終わり。
僕は勇気を振り絞り、父に伝えました。

「親父。俺お母さんに会いたい」

この言葉を父に伝えました。

その言葉を聞き
親父はあるところに連れてってくれました。

それは、僕が小さい頃に何故か
物凄く優しくしてくれた知らないおばあちゃんの家です。

僕は、その家だけ何故か覚えていました。

父の車で移動しおばあちゃんの家の前に車を止めました。

ピンポーン!
と家のチャイムを鳴らし、家から出てきたのは

数十年前、僕に優しくしてくれた知らないおばあちゃんです。

父が僕に小声で言います。
「そらのお母さん側のおばあちゃんだよ。」

「そら大きくなったね!」と
笑顔のおばあちゃん。

おばあちゃんは続けてこんなことも言いました。

「あ!そうだ!今ね京(みやこ)も家にいるんだよ!
ちょっと待っててね!」と嬉しそうに言うおばあちゃん。

僕は、キョトーンとしていました。

「ん?京ってだれだ?」と父に聞く僕。

父は言います
「そらのお姉ちゃんだよ」

ここで僕は、お姉ちゃんがいることを始めて知りました。

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<お母さんの話し>

そのまま僕と父は
おばあちゃんの家に上がり込みました。

お姉ちゃんは
化粧していない
髪がぐちゃぐちゃだから出ていかないと一点張り(笑)

お姉ちゃん不在で
おばあちゃんと父と僕との3人で話す会話となりました。

おばあちゃんは父に昔のことを嬉しそうに話します。

僕は話が分からないので
愛想笑いをしながら聞いています。

おばあちゃんは
僕の目を見て語り始めます。

「そら本当に大きくなったね。「せいこ」も喜んでいるよ」

父がまたボソっと僕に語ります
「せいこはそらのお母さんのことね」

おばあちゃん
「せいこと話すときは、そらのことをいっつも話しているよ。
やー本当に元気そうで何よりだよ。」

おばあちゃんは嬉しそうに話してくれます。

僕は、色々なことがありすぎて
よくわからなかったが嬉しかった。

おばあちゃんが言ってくれた何気ない一言。

「せいこと話すときは、そらのことをいっつも話しているよ」
この言葉が何故かとっても嬉しかった。

「お母さん。俺の事気にしてくれてたんだ。」って心の中で感じていました。

3人での話が進み。
父がおばあちゃんに問います。

「せいこさんの電話番号とかわかりますか。
そらがお母さんに会いたいと言うので会わせたいんです。」

おばあちゃんはその言葉に対して返します。
「もちろんわかるよ!しんちゃん(父)の電話番号教えてくれるかい!
私がせいこに電話して伝えて上げるから、その結果を電話で伝えるね!」

父「わりました。お願いします」

ここで僕らはお母さんと連絡が取れる手段を見つけることができました。

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<成人式の年のGW>
2019年4月頃。

LINE♪

父からLINEがきました。

母とGWに会えることになったと連絡です。

僕はドキドキしました。
「やっと母に会える」と思ったからです。

僕は札幌に住んでいたので
GWは母に会うために再度
北海道函館と言う町に帰省しました。

母に会う当日。

「遂に母に会えるんだ」と緊張とワクワクで胸がいっぱいでした。

僕は母と待ち合わせている場所に車を走らせました。

待ち合わせ場所に付き、僕は車を降りました。

車のドアをバーンと閉め外に出ます。

少し遠くには3名の女性の姿があります。
その女性たちが僕の車に近づいてきます。

おばあちゃん。お姉ちゃん、そしてお母さんです。

初めてみる、姉と母。

「こんにちは」と作り笑顔で挨拶をします。

心の動揺が隠せません。

姉と母と目を合わすことができたのは
大体20~30分後でした。

車の中は無言。
姉が唯一車内の空気を作ろうと一生懸命話してくれていました。

それをぎこちない言葉で返す僕。
最初は血がつながっている家族なのにお互いが敬語でした。

そのまま4人で、近くのレストランに車を止め4人で食事をしました。
そのレストランで話した会話はよく覚えていません。

唯々、母との出会い、母との会話に僕は自然と涙を流していました。

そして、母も同じ。
自分の子供に会えて嬉しかったのか、ホッとしたのかわかりませんが母も涙を流していました。

<聴きたかった真実>

レストランで食事をしながら
20年振りに会う、家族(母と姉)とお話しします。

殆ど記憶にないが後半は落ち着いていた。
時間が緊張を解してくれたんだと思います。

母と会話する中でも 
僕は母に聞きたい質問があった。
でも、その日は時間の関係と心の準備ができていなかったので聞くことができなかった。

僕は、どうしてもその質問を母に問いたいため
再度、母と会う約束をした。

LINEを交換し、電話番号も教えてもらった。

これでいつでも会える状態となった。

話を聞いてみると、母は札幌で暮らして働いているらしい。
僕も札幌に住んでいたので、会いたいと思ったときに会える距離だった。

札幌に戻っても、僕は月1ペースで母に会っていった。

母の家に行ってみたり
母とお出かけしたり

少しずつ距離を縮め。心のブレーキを取っていきました。

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<番外編>

皆様も知っておいてほしいことがあります。
親の一言は良くも悪くもとても大きいと言うことです。

どういうことか。

僕が、母の一言で物凄く傷ついた経験がありました。

母と買い物をしているときの話です。

僕の家は、基本的に必要なもの以外は絶対に買いませんし、父がお金を出してくれることはありません。
ただ父は、日常品に関しては買ってくれると言う文化が僕の家ではありました。

それを当たり前に思っていた自分。
母と日常品を買いに、僕が一言いいました。

「ねね、母さん!これ買って!」
冗談も交えつつ、母に伝えました。

母は「自分で買いなさいね」と言います。

「わかったよー」と言いその商品を自分で買います。

僕は、その商品を買い終わったあと
ボソっとこう呟きました。

「親父なら買ってくれたのになー」と

僕は次の母の言葉にとても傷つきました。

母「そっちと私は違うんだから」

何故、この言葉に傷ついたのかわかりますか。

ここは物凄く重要なところです。
もし、子供に会ったときには注意してほしいので解説しますね。

僕が傷ついたのは
「そっちと違うんだから」と、母が家族を分けて考えていたことに傷ついたのです。

もちろん本質は、お父さんは買うけど、私は買わないよと言う意味だったと思います。

でも、僕(子供)の解釈は
父と母。別々な家族(家庭)と母は捉えているんだなと感じてしまったのです。

そのまま僕の頭の中の捉え方を言葉にして綴っていきます。

父と母は離婚してますから
見方を変えたら赤の他人かもしれない。

でも、僕からしたら母と父です。
地球上に2人しかいない、僕の親です。

分けて考えて欲しくないし口に出してほしくない。

ここまで思ってしまいました。
それ程、別々に考えられることが嫌でした。

皆様も是非、子供と会ったときには気をつけてください。

相手(元旦那・妻)と自分を子供の前では分けないでください。

子供からすると、自分の大切な親ですし家族です。
それに似たニュアンスでも、子供の前では別で考えないこと。

これは是非、大切なポイントですので頭に抑えておいてください。

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<初めての誕生日>

話を戻します。

母と20年ぶりに会った年の2019年6月12日
僕の人生が大きく変わった日でした。

僕は、この日は母と過ごすと決めていました。
そして、母と会った日から聞きたいことが僕にはありました。

それを聞こうと僕は心に決めていました。

その日は、母と買い物に行ったりお茶したりと様々な場所に行きました。

母と会う回数は今回の誕生日で3~4回目でしたが
この時には、お互い気まずさがあったり、気を使うなどの行為は一切ありませんでした。

時間も経ち、あっという間に夜の時間となりました。
僕と母は、母の家に向かいご飯を食べることにしました。

母が一生懸命手料理を作ってくれます。
母の料理はとても美味しいので僕は楽しみにしています。

母の料理が出来上がり
僕は美味しく出された料理を食べました。

料理も食べ終わり、お酒を飲みながら母とたわいもない会話を始めます。

しかし、
その時の僕の心臓はバクバクでした。

理由は、ずっと聞きたかったことを母に聞こうと思ったからです。

ドクンドクン。
心臓の音が鳴り響く中で、僕は母に問いました。

「母さん1つ聞いてもいい?」

母「いいよ」

「俺さ、20年間母さんのことを恨んでもいないし責めてもいない。
でも、これだけは知りたかったんだ」

「。。。。。。」

「俺のこと愛してたの?」

母「。。。」

母は答えます。

「ごめんね。お母さんは20年前に精神病を患ったんだ。
家で暴れていたり、空の大好きなお父さんを沢山傷つけていた。

だから、そんなお母さんをそらは恨んでいるんじゃないかって。
そんなお母さんと会ったら空がもっと傷つくんじゃないかって思った。

だから会わない選択をしてたんだ。

でもね、お母さんは20年間この病気と闘っていたんだ。

いつか空が会いたいって、こんなお母さんにでも空が会いたいって言う日が来た時に
人生史上一番元気なお母さんでいることが私の役目だと思っていた。

だから、毎日病気と闘ってこれた。
この辛い日々と闘ってこれた。

それは空がいたからだよ。

だからね。
1日たりともそらの事は忘れたことはないよ。

だって、ここまで頑張ってこれたのも空のお陰だから。」

「愛しているよ」

と母は伝えてくれました。


僕は、涙がこぼれました。

決して、自分は捨てられたんじゃないだって。
決して、自分は愛されてなかった訳じゃなんだって。

ずっと、愛されていないと思ってた。

もし、愛していたら会いに来てほしかったから。
でも、会えない状況があったんだ。
会えない理由があったんだ。

これを知って、僕は安心しました。
そして、今まで味わったことがないような温かさを胸の奥から感じました。


少し時間が経ち。

僕はある事を考え始めました。
今まで僕は、この人生で何を求めていたんだろ。

と、なかなか深い事を考え始めたのですね。笑

でも、本気で思ってました。
僕は何のために生きて、この命を何のために使うのか。

僕は人生で何を追い求めているのだろうかと模索していました。

様々な挑戦をして、様々な経験を沢山してきました。
だけど何か違う。

そう思っていました。

でも。

この母との件でようやく分かったんです。

僕の人生で追い求めていたものが。

それは



大切な人から自分は『愛されていたのか』

ただこの答えを知りたかっただけかもしれません。

これを機に僕はもう一つ。
父と母にある質問をしました。

僕のお父さんは20年近く
夜中の3時からお仕事に行き頑張っています。

僕の家は、それ程裕福ではないので
お父さんのTシャツやパンツはいつもボロボロです。

そんなお父さんに聞きました。

「なぁ、親父。
親父は何でそこまで頑張れるの?親父の幸せって何なの?」

そして、母にも問います。
「ねぇ、母さん。
母さんは何で20年間病気と闘ってこれたの?母さんの幸せってなに?」

そしたら、別々な日に聞いたにも関わらず
全く同じ回答が返ってきたんです。

親父・母
『そらが幸せでいる事だよ。』

僕は学びました。
そして考えました。

今の世の中は、自分の価値を成果や能力で判断してきます。
成果が出せないと社会的価値が無いと判断され、成果を出せない人は少しずつ居場所を失い孤立していきます。

僕はその1人でした。

人の笑顔を作りたい。
世界でご飯を食べれていない人たちを救いたい。と願いプロ野球選手を15年間目指すが叶わず。

それでも、人の人生に向き合い
自分とご縁がある人を必ず幸せにすると誓った3日後に仲間の親友が自殺する。

社会的価値を残す事ができない20年間を僕は過ごしていました。

社会からしたら全く価値はありません。

だから「自分の存在価値もない」と僕は思い込んでいました。

だけど、それは全然違いました。

いくら社会的価値を残せなくても
自分の存在価値が無いと言うことにイコールにはならないことを親からのメッセージで知ることができたのです。

自分が生きているだけで幸せな人がいる。
自分が存在しているだけで人(家族)が明るくなり、それが社会に貢献していることを身をもって体感したからです。

僕は、親の関わりで少しずつ自分に自信が持てるようになりました。
友達や仲間からの愛も感じられるようになりました。

本当に親からもらう愛は大切だなと思う経験をさせてもらいました。

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<子供の願い>

そして、ここからが重要な所となります。

これを知っている・知っていないで
子供に会ったときの子供の幸福感が劇的に変わります。

これを知っていない、やっていない・できていない
となれば、一度子供に会っても、2回目以降子供が親に会いたくないと言う可能性も出てくると思います。

20年振りに母と会って思ったことや体験談を通して2つ紹介させて頂きます。

将来的には子育て講座として30万円ほどで販売していく商材にしていこうと思っています。

しかし、今回はTwitterで僕を応援してくださる皆様に1000円でご提供させて頂きたいと思っています。

是非、この知識を学び
子供に会う前に実践して頂けたと思っています。

それではいきます!!

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