夜更けの雑談会

 初対面の人との会話では当り障りのない話題が好まれる。自己紹介から地元の話に繋がり、趣味の話になることもあるだろう。大学生であれば「サークルって何か入ってる?」という話題が一般に好まれる。
 全国の何処かで、今この瞬間も行われているかもしれない様なありふれた場面だが、自分の中には幾ばくかの葛藤が生じる。自分の所属は「NPO法人1つ、数学物理のゼミをするサークル1つ、漫画のサークルが1つ、そして教育系の学生団体が1つ」だ。

 年度初期は「教育系の学生団体に所属している」と言うことが殆どだった。先に挙げた中で最も精力的に参加しているし、自分の居場所として一番心地が良いから。

 しかしこう発言した後は、他人の表情の機微に疎い自分ですら必ず1つ分かることがあった。

 決まって相手の表情に「敬遠」の色が浮かぶのだ。

 どうやら「意識高い系」と思われてしまうらしい。弁解になるかは解らないが、興味の範囲が文系と理系のどちらにもあり、前者を補えるのがその団体であるに過ぎない。勿論団体内で成し遂げたい事もあるにはあるが、所属を言うだけで敬遠されるとなると、少々寂寥感を覚えざるを得ない。

 なので最近所属を名乗る際は「教育系の『サークル』」あるいは「漫画サークル」に入っていると言うことにしている。当り障りのないものを選ぶのだが、やはり情報を捨象する時に大きな喪失感を覚えるものだ。

 前置きが長すぎた。今度の文章は、自分の所属する学生団体についてである。

 勿論、目的のある団体であるからzoomのミーティングでは真面目な話をする。議論の予定を立て、日程を調整し、議事録を取る。1時間半。それだけの時間を思考に費やすから頭も疲れる。ミーティング中であろうと、偶にダースチョコに手が伸びるのがその証左だ。

 だが、ミーティングが終わってからが大変楽しい。会議が終わってもzoomの部屋を閉じることはしない。そうすると、メンバーの誰かがふとお喋りを始める。何のことはない近況報告だったり、お気持ち表明だったり、悩みだったり趣味だったり。単なる雑談である。日によるが、大抵24時から2時半程度まで何となく続く。

 「この後予定があるでもないから抜けても抜けなくてもいいけど、もう暫く喋っていたい。何を得る訳でもないけれど、複数名で雑談それ自体を楽しむ」といったことは誰しも経験がある筈だ。その中で微妙に現在時刻が気になり、けれど話に終わりは見えず、だけれども雑談自体は嫌いではないし寧ろ楽しいから去ろうという気にはならないといった心の動きまで含めて。小中高の放課後の教室や駐輪場、同窓会や食事会の後を思い出してくれれば分かりやすい。談笑しているうちに日が傾き、されど別れた後には少しばかりの満足感を得る。心地よい時間だ。

 密を避けるための全国遠隔化。「失ってからモノの価値に気が付く」とはよく言ったものだが、今になって段々と失ったモノが具体的に何かが分かってきた。この雑談を楽しむ時間とその中で得られる感覚もその一つではないか。

 zoom授業は授業が終われば「全員に対してミーティングを終了する」或いは「ミーティングを退出する」により、その場から追い出されてしまう。そういう意味では、場の役割を極限まで特定化したものが遠隔授業だと考える。そこにあるのは授業という唯一つの目的のみ。捨象されてしまう場の多様性とはこういうことなのか。2011年東京大学入学試験現代文の「河川の風景を作る」や、同年のセンター試験現代文「身振りの消失」で述べられていた、「場に明確な役割を与えると、そこで起こる行為の多様性が捨象されてしまう」という主張が身に染みて分かる。

 そういう意味で、弊団体のミーティングは遠隔ながらも多様な行為が生まれる「場」として上手く機能しているように思われる。雑談の中で各々の当たり前を共有する中で、その差異に気が付いて幸せを感じたり、羨望したりする。深夜帯というのも相まって、「今眠らなければ明日どうなるだろう?」といったやんちゃな気分もまた雑談を加速させる。そうしていると、特段意識はしないのに、話がどんどん広がっていく。不規則に。多様に。何度も何度も枝分かれを繰り返し、偶に合流する。その流れに全てを任せ、流れることそれ自体を楽しむ。なんと豊かな営みであろうか。

 この文章もそうだ。これを書き始めたあたりではこういった話が展開されるとは思ってもみなかった。何となく弊団体の雑談の中で幸せを感じるなぁといった話を書こうかと考えただけで、結論や着地点は全く決めていなかった。誰に提出して点数が付けられるでもない文章なのだから、目的もなく自由に彷徨っても良いではないか。気が付いたら話が自由に展開し、その流れに合わせて好き勝手に書き綴る。我儘で適当で、そして何より気楽な遊び。

 ここまで話がとっ散らかったまま、唐突に「おしまい」としてしまうのもまた一興である。成績とは全く関係がないのだから、話をまとめる義務もない。かといってだらだらと続ける意味もない。

 まぁ、「場を多様化せよとは言わないが、多様で自由で目的のない場をつくってみると人生豊かになるかもしれませんよ」といったお気持ち表明だけ残して終わりにしようか。

 あっ、そうそう。これは昨日雑談したお相手さんに向けてですが、僕は確か「結論を意識しないとそりゃあ文章書けませんよ」って言いましたが、着地点のないまま好き勝手に文章を書き綴ってみて、頃合いかなと思ったら書くのをやめて形を整えるのでもよいかもしれませんよ。

 そんでもって。
 この通り僕は結構適当に生きるのを好く性分ですので、多分そんな意識高くないし敬遠なさらないでくださいね。

                           おしまい

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