『だめをだいじょうぶにしていく日々だよ』を読んで

『だめをだいじょうぶにしていく日々だよ』を読んでみて、環境は違えど、みんな似たような体験をしていて、私だけじゃないんだと安心した。読んでスッキリする本かなと思っていたら、読んでああそうだったみたいな、過去の自分と再会して、うぅっとくる部分もあった。でも、とても勇気付けられる、寄り添ってくれるような本。
心の中にはあるけれど、言葉になっていないことを、言葉にして書いてあった時、これが言いたかったの!とストンと腑に落ちるというか、楽になる感じがした。読んだことをゆっくり自分なりの形にしていきたい。


(映画ウォールフラワーのことが出てきて、うんうんと頷くことが多かった。去年か今年に観た自分を褒めた。デヴィットボウイの曲が出てくるから観たんだっけな…?)

自分の中にある、だめをだいじょうぶにしていく…を振り返った

だめをだいじょうぶにするために、とにかく苦労すれば、我慢すれば報われる!という謎の根性論があって、不安を消すために超努力していたことがあった。自分がかけたプレッシャーに自分で負けると、急に動けなくなる。間違っただいじょうぶにする方法を努力していたなあと読んでいて思い返した。
不安を埋めるために行動しても、その安心感は一時的で、終わりがなくて、結果的に自分を見失う。時にその行動は必要なことはあるけれど、だめをだいじょうぶにしているはずなのに、努力の方向がなんか違う?気づいた時は衝撃だった。作者と同じように自分を振り返れたけど、孤独じゃないような感じで心強い。

自分のダメを見ないようにするために、自分の時間を与えなかったり、感じたことを否定したり。自分の声を無視しよう!と思ってしているわけではなくて、周りの人を大事にしたい!喜んでもらおう!期待に応えたい!が知らない間に、自分を無視して変な方向にいって、行動して、心が動かなくなって変な疲れ方をすることがある。
自分を気付かないうちに無視するというか、セルフネグレクトまではいかなくても、そんな風に扱ってると、ドロドロと自分に自信がなくなっていくような、自分が無くなっていく気がしている。「わたしは自分のための地図を描くことができなかった。だから場所を覚えていないのだ。自分の足で歩かなくては、そこには足跡は残らない」



私は周りに関心が向けば向くほど、自分を無視しやすい気が最近している。そこに注目してると、あれ、私っていらなくない?みたいな感情も出てきやすい。周りの誰かに傷つけられて何も言わずに我慢している時に、あっ。自分をないことにしてた?というか、自分を見てなかった、自分はだめだ!という風に感じる。
これに気づいてからは良くなったと思いたい!でもイライラしやすくなった笑!あれってパワハラじゃん!とか適当に扱ってたじゃんとか。

だから、自分はどれくらいで疲れちゃうのか、何で怒るのか、休むべきなのか等の判断の感覚を日々培い中。これがまだまだ難しい。自分のことなのにまだまだ分からないことが多い。だめをだいじょうぶに、だめも自分として受け入れる練習中。


「誰かを見下し、恐喝するような物言いを臆せずにできるようになる、その人の初めての瞬間はどこにあったのか。
男にとっても、相手だけではなく、むしろ自分への尊厳を、うしなわせるような行為だったはずなのに。」って書いてあって、分かるーー!となる。(最近SNSを見てると、クソリプ?が自分に言われたわけじゃないのに気分が悪くなる。)
でも、自分の声を聞いたり、楽しませたり、満たしていくと、周りなんてどうでもよいというか、あなたにはあなたの道があるのね。私には私の道があって、行き先が違うなあ。みたいな良い悪いとかじゃなくて、そのようなことを淡々と思えるようになった。ムカつくことはムカつくけれど。



「それぞれの断片を手渡すことしかできない」
家族、親しい人にも自分の全てを見せれない自分が嫌だった。でも、自分も周りの人も、誰かも何かの途中でまだ完成してないし、変化する生き物だし、全部見せるなんて無理だよね。伝え合うことはしたいけど。


「外側の私が評価されると小さな絶望を感じる」もすごく分かる。
でも最近、心の中にいる私を表現してみたら、気づいてくれる人も何人かいて嬉しく思った。何気なしに言ってくれたことばだろうけど、優しいだけじゃないねって言ってくれたのが本当に嬉しかった。外側の私はただの優しい人で、それがコンプレックスみたいなもんだったから。あ〜〜

「放っておくということが、無関心ではなく、ひとつの愛の表現になるのではないか。」
「他者へと向けたものでしかないと思っていたけれど、でもこれはひっくり返せば、自分へと向けた愛にもなる。」
「自分のことを、放っておかないこと。それは自分への愛と尊重だけでなく、他者への愛と尊重でもあることをいつも忘れないでいたい。」
ほえ!!えーー!ー!!!となった。頷けるけどまだ自分の言葉にできない。

……放っておくことで相手は自分で考える=相手の考え、気持ち、意見などを尊重している。
あなたの考え、気持ちなども大事=愛
自分は自分のことを放っておいてはいけない。
他人自分をひっくりかえして、上記のことが言えるし、
自分は過ごしていく中で得た感情を大切に扱うと、それが他者にも影響?互いに分け合える?から?それで互いにだめもだいじょうぶになっていくこともあるし、自分で感じることも必要だから?

ってこと…??自分なりに考えてみたけど、まだまだ考える余地がありそう。周りの人の意見も是非聞きたくなる。

でも、「蟻にはなりたくない」。この本にも書いてあったけど、どうしたらこのバランスは成立するのだろう?

すべて読んでみて、「自分の薪を燃やす」ことを続けていきたいと思った。わたしのまま歩いているかを大切にして、ちゃんと扱っていきたいな。

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