台湾は今年の5月から9月頃までコロナの感染爆発により、短期間で多くの人の命が失われ、そして仕事を失い、生活が一変した。
こちらに滞在している自分も、その影響を大きく受けた。
今日は久々に少し長めの文を書きました。
なんとなくサラッと読んでいただけたら嬉しいです。
2020年2月に台湾に来てからの約1年間は本当にこれまでにないくらいにここ台湾で多くの経験を積み重ねる事ができたように思う。
そしてその結果としてようやく各方面からアプローチを受け始め、メディアにも少しずつ取り上げてもらえるようになり、
『台湾語で歌う日本人歌手がいる』
そんなふうに認知され始めた。
その結果として、コロナの感染爆発が起きる今年の2月頃から5月までは、1月の時点ですでに多くのイベント出演依頼などが入っていたので、準備に勤しんでいた。
そんな中での、、コロナ。
【感染爆発】ぶっちゃけやばい…。《台湾の現状》
https://youtu.be/SOp94Hhzwak
日本の皆さんもご存知の通り、台湾のコロナにおける防疫対策や、意識は日本とは比べ物にならないくらいに高い。
台湾全土でなんとか早期に抑え込もうと必死になったいた。
そしてその結果、これまで受けていた出演依頼などは全てキャンセルとなり、
それどころか、マスクがなければ家から一歩も出られないような状況にまで陥った。
たった数週間のうちにだ。
台湾の防疫意識の高さを目の当たりにし、
心底感心した。
ただそれと同じくらい、仕事を失ったショックも大きかった。
これまで1年間努力してきた結果がようやく出始めた矢先の事だったから。
20代前半からずっと日本で活動を続けてきて、様々な経験を積ませてもらい、
今も最前線で活躍し続けている大先輩たちから本当に多くを学ばせてもらった。
だからこそ、分かる事がたくさんある。
自分の心がすごく焦っていた。
波を逃す事がとても怖かった。
やっと、、、やっと掴みかけた波を逃したら次の波が来るのはいつになるかなんて分からない。
というか、来るのかどうかさえ分からない。
これまでの経験がそう感じさせていた。
とにかくなんとか今やれる事をやるしかないと思いながら、正直そんな気持ちにはなれずに、最初 の1ヶ月半間くらいは、ただただひたすら落ち込んでいた。
自分が住んでいるのは、台湾の南部に位置する「台南」という場所。
「台湾の京都」と言われるくらい歴史深く、
とてもレトロで穏やかな時間が流れるそんな場所だ。
【1000円で満腹?】台南人しか知らない言葉《大大武花大武花》って何?!《台南の四大夜市》
https://youtu.be/LHsdmIXFXZk
そんな場所とは正反対に、台北は日本でいう東京のような場所で、全てのカルチャーは台北で生まれ、そして台北に集約されている。
台湾は日本と比べて遥かに小さい。
地方局なども無ければ、
ご当地アイドルなんて一切存在しない。
つまりメディアや、芸能関係に関して言えば『台北一択』なのだ。
東京が日本の中心だったひと昔前の日本と同じ。
そんな中で、台南に住みながらYouTubeを通して情報を発信して、認知度を得るには相当苦労した。
だからこそ波を絶対に逃したくなかった。
そんな中、ある決断をした。
台南を離れ、まだコロナの状況が落ち着いていない、コロナの発生源でもある台北に移り住むことにした。
これは自分にとって大きな賭けだった。
というか、『勘』
だった。
もちろん今考えたらめちゃくちゃリスクの高い事をしてるし、その時もその自覚はもちろんあったけど、このまま台南でジッとしてたら絶対ダメな事は本能的に分かっていたから、台南の家族には反対されてたけど、
「万が一自分が感染したら、もう台南には帰らずに自分でなんとかして日本へそのまま帰国するから安心して」
とだけ伝えて台北へ移り住むことにした。
理由はシンプル。
認知されたい。
もっと認知されたい。
そしてその為にはこの国の最前線で活躍している人達と繋がりを持たなければいけない。
そして何より、その人達に知ってもらい、
認めてもらわなければいけない。
自分の能力がどこまで通用するのか、、
そしてこれまでの経験が本当に正しいものだったのかどうか、
それを確かめたかった。
こんなふうに思い立ってからの行動は早かった。
あっという間に手配を済ませ、気がつけばもう台北にいた。
そして、まだ自由のきかない台北に来てからまず取り組んだのが、
『全編中国語で話している映像を撮る』
ということ。
【台湾在住日本人】台湾から離れられない5つの理由‼︎
https://youtu.be/DiPCVV5gw38
これまでやってこなかった試み。
でもここで大きくステップアップさせなければいけない重要な要素だと感じていたから、自分なりに下手な中国語を使ってなんとか撮ってみた。
たった6分ほどの動画ですが、
撮り始めてから編集を終えるまでに丸二日間は要した。
でも確実にこれは成長できるって感じたからその後も、同じように全編中国語のVLOGなどを取り続けることにした。
すると、こんな自分の拙い中国語のVLOGがメディアに取り上げられ始めた。
【日本人紹介】店内飲食が可能になった台北の状況は?
https://youtu.be/YCEQIvsEP38
【日本人紹介】台湾在住日本人が驚いた5つの事。
https://youtu.be/Fdix2qXlRSg
自分にとってはまさかだったけど、
これまで音楽系のYouTube動画を取り上げてもらった時よりも正直嬉しかった。
もちろん台湾に長年住んでいる外国人達と比べると自分の中国語レベルは比べるに値しないくらい低いが、今考えると、この行動こそが自分の中国語レベルをワンランク上げる大きな要素となってくれた。
そして台北へ来てあっという間に1ヶ月が経ち、
少しずつコロナの状況も落ち着き始め、日常が戻り始めてきたそんな頃、
自分のYouTube動画の中にこんなコメントを見つけた。
「台湾で一番有名な歌番組"台灣那麼旺"のオーディションを受けてみたら?あなたならきっと出れる!」
このコメントを偶然見つけてから友人に色々調べてもらったところ、もう応募期間は終わっていたが、ダメ元で応募してみた。
すると1週間ほどしたある日、番組の制作会社から連絡が来た。
『山元さんのYouTube動画を見ました。リモート面接をしたいのですが、いつならできますか?』
【160万回再生突破】スラムダンク♡LOVEな台湾の夜市で主題歌を熱唱したら…
https://youtu.be/FydiszHx43I
こんなメッセージが来たので即座に、
『いつでもいけます』
そう返信した。
そこからは色んなやり取りがあって、
まさかまさかで、出演が決まった。
それも日本人として初。
嬉しかった。
その番組は台湾の一流芸能人達が司会、そして審査員として出演されていて、選手たちの歌唱に点数をつけ順位を競う形式の歌合戦番組だ。
やっと…
やっと自分を試す絶好の機会、
多くの台湾人に認知してもらえる大きなチャンスを掴む事ができた。
結果はどうであれ、
とにかくこの時点で既に嬉しかった。
そしてそこからは番組側が用意した歌のレッスンや、リハーサルなどをこなしながらあっという間に本番を迎えた。
台灣那麼旺_EP280_2021.10.30
https://youtu.be/wqS3IQOyisc
収録は2週分を一気に録るので、
早朝7時頃から夜の23時頃までテレビ局のスタジオに缶詰め状態だ。
毎回収録の度にドッと疲れるが、頑張るしかない。
やっと掴んだ大きなチャンスだ。
自分の中国語レベルだとまだまだスムーズにやり取りができないので、自分だけでやり取りができる簡単な内容以外は、サポート通訳として台北の友人ケイタさんにいつも助けてもらいながら出演している。
もし彼のサポートがなければ絶対に成立しないので本当に感謝している。
いつもありがとうケイタさん。
それと同時にもっと中国語を勉強しようという気持ちにもなれる。
台灣那麼旺_2021.10.30(日本語字幕付き)
https://youtu.be/hoc27nR3KQY
ケイタさんが字幕をつけてくれたので、良かったら日本の方達にもご覧いただきたい。
そして今回この番組に出演した事が、
予想を遥かに越える大きな転機となった。
審査員のうちの一人で、今年度の音楽賞を獲得した歌手"許富凱"さんという台湾語の歌手が自分にとても興味を持ってくださり、そこから交流を持つようになった。
許富凱さんは幼少期から日本の歌謡曲や、演歌が大好きで、日本語の歌も非常にうまい。
多分日本人よりも詳しいと思う。笑
時の過ぎゆくままに/許富凱
https://youtu.be/9cMCRyR-rV4
年齢も一つしか変わらない事もあって、
しかも、私が中国語ではなく、
敢えて台湾語の曲を歌っている事を心の底から喜んでくれているのがめちゃくちゃ伝わった。
台灣那麼旺_山元聰『浪子回頭』
https://youtu.be/dOSEijbBDxI
なんだかとても縁を感じたし、
出逢うべくして出逢ったような気がした。
これまで自分のルーツの一つだった日本の歌謡曲や、演歌の世界を幼少期から愛し続けて、今も歌い続けている台湾人の歌手と出逢って、
そんな歌手と繋がりを持てたこと。
彼が歌う日本の曲を聴いて、
感動し、そして感謝した。
だから自分も、
台湾人特有のローカルな言語、
"台湾語"の曲を歌おうと思った。
ちなみに台湾語というのは元々は中国の福建省からやってきた普通の中国語とは全く異なる言語で、台湾人はこの言語を独自に発展させてきた。だから日本統治時代に用いていた台湾語には、日本語と発音の似ている単語がたくさんあったりする。
ただこの台湾語というのは時代と共に無くなりつつあって、いつかは台湾語そのものが無くなってしまうのではないかとも言われている。
実際に、今現在も話せる人の数は昔と比べて大きく減少し、今の若い世代や、台北の人達は台湾語を話せる人がかなり少ない。
でも逆に南部の人は主にこの台湾語を普段使って会話している。
日本で言うところの方言と思ってもらえば分かり易いと思う。
そんな超ローカルな言語を使い、台湾語の歌を日本人なりの解釈で歌う事は、発音の問題と同等に難しい。
ただこの部分を極めてゆけば必ず何か道が開けるような気がしていた。
まだ誰も通ったことのない道を、ここ台湾で、
私自身が第一人者となって作る事ができれば、
誰にも真似できない特別な存在になれると思った。
というか、今まで外国人はこの道を通ろうとも思った事がないと思う。
なぜなら中国語だけでもすでに充分に難しいから。笑
わざわざ全く別言語である台湾語まで学ぶ必要がない。
だから中国語の歌も併せて毎日必ず6時間以上は練習時間を作るようにしている。
それでもまぁー時間が足りない。
でもいつかこの努力が報われて、
多くの台湾人に認めてもらえるようになるその時までやり続けていきたい。
何年でも、何十年でも、やり続けてゆきたい。
今は自分のやるべき事、
そして自分の居場所をやっと見つける事ができたような気持ちだ。
三立新聞台_我們一家人
https://youtu.be/TM7zW11lT5Q
もう迷いはない。
この転機を絶対にモノにして見せる。
趁我還會記
https://youtu.be/i6lvCGN-8WM