小石川後楽園(知識編)
「後楽園球場」「後楽園ホール」は知っていても、その元ネタである「小石川後楽園」を知っている人は少ない。「後楽園球場」(現・東京ドーム)も「後楽園ホール」も、みな「小石川後楽園」の隣にあるから「後楽園」という名が付けられたのだ。
では「後楽園」とはどういう意味か。これは「先憂後楽」(人より先に心配し、人より後で楽しむ)という政治家・リーダーの心構えを表す中国由来の言葉からきている。
そんな小石川後楽園をつくったのは水戸藩の初代藩主・徳川頼房(1603~61、家康60歳の時の子供)と2代藩主・徳川光圀(1628~1701、別名:水戸黄門)の親子。まず父・頼房が水戸藩の江戸屋敷に庭園をつくりはじめ、子・光圀が完成させた。光圀は「水戸黄門」として知られるが、水戸黄門は元祖マルチバース。まず講談『水戸黄門漫遊記』でその活躍が語られ(今も寄席に行けば聞くことができる)、歌舞伎にもなった(こちらは1977年以降上演されていない)。そして現代人に最も馴染みがあるのはTBSのテレビ時代劇だろう。東野英治郎、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗といった名だたる俳優たちが長期にわたって光圀を演じた(ちなみに最も新しく光圀を演じたのは、フジテレビ『ワイドナショー』のコメンテーターとしてお馴染み・武田鉄矢)。まるでスパイダーマンを、トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールド、トム・ホランドが演じてきたように。そうなれば今年1月に公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で3人のスパイダーマンが一同に介したように、水戸黄門もマルチバースを解禁して歴代の水戸黄門が一堂に介する映画が作られて欲しいものだ。タイトルは『水戸黄門:ノー・ウェイ・ホーム』しかない。
小石川後楽園の特徴は主に2つある。1つは中国趣味。これは光圀が中国(当時は明)から亡命してきた李舜臣という人物をアドバイザーとして起用したことによる。庭園内には彼のプロデュースによって「西湖の堤」という中国に実際にある橋の再現や、円月橋と呼ばれる中国特有の橋がつくられた。また冒頭で述べた「後楽園」と命名したのも李舜臣だ。
もう1つの特徴は日本各地の名所が再現されていること。嵐山の渡月橋、清水寺の観音堂、東福寺の通天橋、琵琶湖、木曽路、白糸の滝など。これを聞くと、水戸黄門は各地を旅しているイメージがあるからそれと関係しているんだなと思うかもしれないが、実際の徳川光圀は、関東から一歩も出たことがないという。これはかなり引くエピソードだろう。地元から一歩も出ずに、庭園内に観光名所を再現させて観光気分を味わっていたのだ。少し前に『水戸黄門:ノー・ウェイ・ホーム』と書いたが、『水戸黄門:オールウェイズ・ホーム』のほうがふさわしい。