ホテルニューオータニ庭園(紀行編)ーー滝の上下二刀流
大谷、と聞くと誰を思い浮かべるだろうか。今は何と言ってもメジャーリーグで活躍する野球選手、大谷翔平の名が挙がるのが当然であろう。投打二刀流は今年も健在、日々その驚異的な記録を塗り替え、我々日本人を興奮させている。しかし、それと同時に忘れてはいけない「オオタニサン」がいる。大谷米太郎だ。言うまでもなく、ここホテルニューオータニの創業者である。ホテルニューオータニは1964年、東京オリンピックが行われた際に、国の要請のもと創業した。もともとは伏見宮邸宅であって、戦後外国人の手に渡りそうになったところを大谷米太郎が譲り受け荒れ果てた庭を改修し今のオータニ庭園とした。米太郎は当時の行政府の要請ということもあったろうが、確実にこの由緒ある地を失うことを惜しみこの決断に踏み切ったに違いない。その感性が素晴らしいと私たちは思う。そうした人たちの文化芸術への関心、美的センスのおかげで今の私たちはこんなにも美しい日本庭園に出会うことができるのだから。
日本庭園は様々な要素で構成されている。例えば、沢飛石といって池や川を渡るために水中にとびとびに置かれた石があったり、こちらの世界と向こうの世界との結界として解釈される橋があったりする。これはすべて来園者を楽しませる、惹きつけるために造られたものである。だから私たちは、庭園をひとつのテーマパークとして捉えていることもあり、それら我々を惹きつける(attract)する要素のことを「アトラクション」と呼び楽しんでいる。そうした要素に注目し庭園を鑑賞すると、他の庭園との共通点や相違点に気づけるようになってくる。今回は私たちがホテルニューオータニの日本庭園で特に気になった2つの要素を他の庭園と絡めながらお伝えしようと思う。
まずは橋。橋には水の上を渡るという目的だけでなく、先ほども述べたように二つの世界の結界としての解釈があったり、庭園の空間演出に用いられたりと様々な目的がある。今回はこの橋の形状についてである。ホテルニューオータニにある橋を見た時、この形、どこかで目にしたことがあるような感覚を覚えた。しばらく立ち止まって考えたところ、それはホテル雅叙園の庭園、また最近でいうと先日訪れた清澄庭園、加えて、京都の庭園巡りを精力的に行っていた時に見た京都御所にある橋の形と同じであることがわかった。その橋の形を説明すると、本来ひとつの橋が一度半分に切られて横にスライドしたような、つまり橋を渡りきるまでに二度直角に曲がらなければならないような・・・と、言葉での説明は少し手間がかかるため実際の写真を見ていただきたい。これがその橋の形状である。
この形、なにも気張って言葉で説明しなくとも、多くの車を運転する人たちが知っている有名な形であった。そう、これはまさに自動車教習所で教習生が苦戦する「クランク」なのである。私たちはこれを「クランク橋」と名付けることに決めた。庭園内は基本的に車両進入禁止。徒歩であることがほとんどなので、四輪もしくは二輪で通過する時のように、車両感覚を捉えながら適切な速度で進行する必要はない。よって私たちは安心してかつ楽しみながらこのクランク橋を渡ったのであった。
もう一つは滝である。滝も日本ならではの地形から生まれた日本庭園に欠かせない要素のひとつだ。西洋の庭園にある水のアトラクションといえば噴水。噴水が重力に逆らい下から上に水を吹き上がらせるいわば人口的な意匠であるのに対し、重力に従い上から下に落ちる滝は自然を生かすのが特徴の日本庭園の象徴だ。実際に滝がある庭園は多く、私たちがこれまでに訪れたところで言えば妙心寺退蔵院、金閣寺庭園の滝が印象に残っている。退蔵院にはサツキの刈込の間を静かに流れる「三段の滝」があり、金閣寺には鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事、登竜門に因んだ鯉魚石が置かれる「龍門の滝」があった。どれも水が心地よい音で流れ落ち、メインの池へと注ぎ込む滝だ。要は流れ落ちる滝を下から鑑賞するスタイルをとっている。しかし、ここホテルニューオータニの滝は鑑賞の仕方が少し異なっていた。他と同じように下の池に流れ落ちる滝もあるのだが(この滝の規模も落差6mで日本庭園にしては規格外であり驚いた)、注目すべきは滝が落ちてくる上にも庭園が広がっていることだ。つまり、上で鑑賞した池の水が、6m下のもう片方の庭園の池に流れ込む、いや流れ落ちるというスタイルなのである。この形式は少なくとも私たちは見たことがなかった。そして至極当然、その迫力は満点あった。この日本庭園界の「ナイアガラの滝」を前に、今日も仲良く庭園を鑑賞する二人なのであった。
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