埋立地の防人
高度経済成長期の千葉
1月14日に配信された東洋経済オンライン“街の顔が大移転、千葉「超複雑」な駅の生い立ち”は、想像以上の反響を得ることになった。書いた自分でも驚くような反響の多さだったのだが、もともと千葉市を題材に選んだのは前年の春ぐらいまで遡る。
当初、千葉市へと足を運び続けていたが、特に東洋経済オンラインで取り上げようという気にはなっていなかった。しかし、市制100年、そして政令指定都市30年という節目にあたり、千葉駅が市の発展に果たしてきた役割を探っていくうちに「千葉駅を書かねば」という気持ちが強くなっていった。
それでも2021年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』関連の書き仕事が多くあり、また関連の展覧会もあったので千葉駅を書こうという強いエモーションにまでは至らなかった。「書けるかなぁ」といった消極的な姿勢だった。
それが「書こう」「書かねば」という気持ちへと変化していったのは、ひとえに何度も千葉へと足を運んでいたことが大きい。
東洋経済オンラインの記事は、千葉駅を中心に千葉市の開発や発展を取り上げたわけだが、千葉駅を描くにはその周辺にも気を配らなければならない。記事でも触れたが、千葉県は高度経済成長期に加納久朗・友納武人・川上紀一・沼田武という開発に意欲的な知事を選出している。
4人が開発に意欲的だったことは繰り返さないが、これら開発に前向きな知事を輩出した背景には、加納の前任知事でもあった柴田等の影響が少なからずあったのではないか?とも推測できる。
柴田知事は戦前期に農林官僚としてキャリアを積み、戦後は初代公選知事の川口為之助に請われて副知事に就任。川口は千葉県政の方向性を農業の再建とした。柴田を副知事に据えたのも、その表れだろう。川口・柴田路線は、農業県・千葉にとって不自然なことではなかった。
時代が高度経済成長へと突入すると、様相は一変。1961年に施行された農業基本法は、その名称から農業を保護する法律と受け止められがちだ。しかし、内実は農業の近代化、いわゆる機械化を促進するものだった。
それまでの農業は、なによりもマンパワーが物を言った。耕作も収穫も、とにかく人手が物を言う。機械化で省人化を進めれば、それだけ人手を必要としなくなる。余剰人員は町工場へと配分することができる。
農業基本法と銘打ちながらも、その実態は農業から工業へと産業を転換する含みがあった。それは、日本の産業構造が大きく変わっていたことを示していた。
しかし、農業用地に大規模工場を新たに建てるわけにはいかない。農業基本法は、あくまでも建前は農家・農民の暮らしを守ることにある。政府には農業を侵食せずに、工業振興のために大規模工場が建設できる用地を捻出するという離れ業が求められた。
埋立地という潜在力
政府が出した回答は、埋立地を造成するということだった。大正期、すでに京浜間に広大な埋立地が造成され、川崎臨海部は一大工業地帯へと変貌を遂げていた。
その一端は、2021年5月16日配信の東洋経済オンライン“無人駅「浜川崎」昔は東京モノレール延伸構想も”で触れている。政府は東京湾がの埋め立てに余剰があると踏んだわけだ。
なにしろ、千葉沖の埋め立て計画は戦前期に策定され、戦争によって凍結されていた。新たな埋め立て計画を策定する必要はなく、計画を復活させればすぐに着工できる。
そう踏んだ政府は、農業振興を掲げる柴田知事から開発に意欲的な知事へと交代させようとする。そこで白羽の矢が立てられたのが、日本住宅公団の初代総裁で、国土開発に一家言を持つ加納だった。
加納は東京湾を埋め立てて、そこに新しい首都を建設するというSFマンガのような計画も掲げていた。こうして柴田を追い落とすための刺客として加納が千葉県知事に出馬。13歳も年上の加納が柴田に競り勝ち、千葉県政は開発へと全力で突き進んで行く。
加納の当選は、凍結されていた東京湾の埋め立ては再開されることになる。千葉市沖はみるみるうちに姿を変えていった。東京湾の埋め立ては、千葉市沖だけではなく、浦安町(現・浦安市)にも及ぶ。
浦安は埋め立てによって町域を大きく増やし、そこが宅地造成されて人口は急増。1981年に市制を施行した。埋立地のシンボルともいえる舞浜には、東京ディズにリゾートが誘致された。浦安の税収にも大きく貢献する。
舞浜駅については、2021年2月22日配信のマイナビニュース“東京湾の埋立地に出現した夢と魔法と鉄の王国”で触れたが、そのほかにも2020年9月1日配信のアーバンライフメトロ“鉄道ファンもびっくり? 京葉線「舞浜」駅の地名に新説登場、一体どちらが正しいのか”という記事も書いている。
浦安市や舞浜という都市や街からの視点ではなく、舞浜駅そのものについても2022年1月29日に配信したNEWSポストセブン“ディズニーの玄関口・JR舞浜駅が混雑緩和のためにとった裏技”にて触れた。
これまで書いた拙稿を改めて俯瞰してみると、いかに千葉県が埋め立てを推進してきたかが感じられるだろう。そして、その埋め立てが千葉発展の原動力へと変換されてきたこともわかる。それだけに、千葉県と東京湾の埋め立ては、切っても切り離せない歴史だった。
タワマンという埋立地の有効活用
東京湾の埋立地を最大限に活用してきたのは千葉県だけではない。東京都も明治期から東京湾の埋立地を有効活用してきた。いまやタワマンが立ち並ぶ江東区豊洲、昭和期に高層住宅が建設された品川区八潮なども、埋立地として造成された。
現在も東京湾では中央防波堤外側埋立地、そして新海面処分場の埋め立てが続いている。中央防波堤外側埋立地の帰属を巡り大田区と江東区が争ったことは記憶に新しいが、新海面処分場については帰属が決まっていない。そのため、今後に大田区と江東区の間で問題が再燃する可能性は高い。
一方、東京湾の千葉県側に目を移すと、こちらは帰属問題がほとんど発生していない。そのため、開発がスムーズに進んでいる。浦安沖も船橋沖も、千葉市沖もそれぞれが県と組んで開発に取り組み、そしてそれらの多くは大規模工場へと姿を変えた。
浦安沖は東京ディズニーリゾートとなったが、川を挟んだエリアには鉄鋼団地が形成され、鉄鋼団地の北側は住宅地となっている。工業用地と住宅地が混在しているかのようにも思えるが、これは埋め立て造成された順を追っていくと、明らかに工業用地と住宅地とを計画的に区分して開発に取り組んできたことがはっきりとわかる。
しかし、問題は今後だ。工業用地に所在していた工場などが老朽化して移転。そこが大規模商業用地として姿を変えることも考えられる。川崎沖に造成された工業地も埋め立てによって誕生したが、そこも近年はタワマンが増えつつある。
工業用地にタワマンを建てるには、用途地域を変更しなければならない。しかし、高度経済成長期に東京湾沿いに進出した工場の多くは都心部から転出している。都内では課される固定資産税などの負担が大きいことが理由のひとつだったが、そのほかにも工場は騒音や振動といった周辺への環境負荷が大きい。ゆえに近隣住民から煙たがられる存在でもあった。
大規模工場が移転してしまうと、大きな区画がぽっかりと空き地になってしまう。分筆して住宅地として分譲することも考えられるが、行政としては土地の細分化は好ましくない。そのため、細分化せずに済むタワマンが歓迎された。それを建設可能にするため、行政は用途地域を変更する。
タワマンが一棟できれば、それだけで人口は1000人単位で増えてくれる。住民税や固定資産税などで地元が潤うし、住民が増えたことで地域には商業施設が増え、活性化もする。
東京23区は固定資産税の課税庁ではないが、浦安市・船橋市・習志野市・千葉市といった市は固定資産税の課税庁だから、どんどん用途地域を変更してタワマン誘致へと乗り出すのは自然な話でもある。
こうして、東京湾沿岸の千葉県側にはタワマンが相次いで建てられていく。そして、その波は都心回帰の現象を伴って江東区にも押し寄せてきた。
東京湾を漂う工場
一方、東京湾沿いに並んでいた工場群は、押し出されるように端へ恥へと移動していく。京葉臨海工業地帯の中心は千葉駅よりも外側、つまり千葉市の東側もしくはそれ以東へと移りつつある。千葉市の工業地帯だった蘇我駅周辺も、いまでは商業施設やスポーツ施設が並ぶエリアへと変貌を遂げ、工場用地は市原あたりまでに及んでいる。
他方、東京湾アクアラインの開通で木更津と川崎がつながり、木更津から東京都心部へのアクセスが飛躍的に改善すると、木更津にもベッドタウン化の兆候が出た。そうなると、アクアラインの木更津付近も工業地としては適さなくなる。
工業用地は都市を活性化させる成長エンジンでもあるが、そのエンジンは成長後に忌避される。まるで、“狡兎死して走狗烹らる”の故事のような話でもある。
大正期から造成された川崎臨海部も同じ道をたどりつつある。いまだ浜川崎駅を境に南側は工場地帯が形成されているが、内陸部の小田栄駅周辺はすっかり住宅地の様相を呈している。小田栄駅から川崎駅までは約2キロメートルしかないが、その間は工場地帯という趣を完全に消し去った。
京葉臨海工業地帯が都市化の進展に伴って都心部から離れるように中心軸をずらしていったように、京浜工業地帯も都心部から離れるように中心軸をずらしている。
千葉県よりも神奈川県の方が人口が多く、ベッドタウン化が顕著であることを考えると、今後は京浜工業地帯の後退スピードが増していくだろう。
白砂青松の海岸線を擁する鎌倉・藤沢・逗子・横須賀あたりも工場用地としては厳しくなってくることが予想される。こうなると、いっそのこと国内ではなく海外に新天地を求める企業が出てきてもおかしくない。いや、もう人件費の問題も絡んで、そうした企業はたくさん出ている。今後は都市化という要素が工場の海外移転に拍車をかける要素になるだろう。
首都を支える 首都は支えられている
福島第一原発事故を機に、東京は危機に陥った。その大きな理由が首都圏、もっといえば東京で消費される電力が不足したことだ。東京電力と言いながらも、保有する原発福島県と新潟県に立地する。つまり、東京は東京周辺の自治体の力がなくては成り立たない。
東京がいくら世界を動かす経済都市などとイキがっても、福島県や新潟県がなければその機能を停止してしまうのだ。そして、それは電力だけではなく、食料などにも言える。
東京は企業が集積しているからこそ、その法人税により経済的に強い自治体の体裁を保てている。だが、金だけで人間は生きていけない。食料を売る側が、「いくら金を積んでも、売らない」と首を横に振れば、金は金の意味をなさなくなる。
それは、TPPをはじめとする多国間との関西の議論でも出てきた話だ。諸外国とのやりとりでは、食糧安全保障がきちんと語られるのに、それが国内の自治体間の話になるとまるっきり無視される。
これは食料だけの話ではなく、エネルギー供給の問題も含まれる。2011年前後、総務省は食料やエネルギーの安定的な供給という観点から、“緑の分権改革”を掲げた。
食料やエネルギー生産の地域偏在を是正し、できるだけ地産地消で賄うことが意図として盛り込まれた緑の分権改革は、残念ながら注目を浴びない政策で終わった。
現在、コロナ禍でリモートワークが推奨され、都心部から郊外へと移住する動きも目立つようになった。今のところ完全に地方への移住ではなく、都心部から少し離れた郊外への転出が目立つ。
これまでは、そうした郊外への分散すら進まなかった。郊外への転出は、地方分権の一里塚。この後、政府がどう地方と向き合うのかが問われている。
過度の東京一極集中は、日本全土を荒廃させることにつながる。政府は戦後一貫して均衡ある国土の発展を目指してきた。
田中角栄内閣は日本列島改造、大平正芳内閣では田園都市国家構想、竹下登内閣ではふるさと創生一億円、民主党の鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦内閣では地域主権、第二次安倍晋三内閣では地方創生といった具合だ。しかし、それらの政策が成功しているとは言い難い。
岸田文雄内閣では、デジタル田園都市国家構想を掲げる。5Gインフラが整備されることで、それまで東京などの都心部でなければ難しかったクリオティブな仕事が可能になると踏み、地方への回帰を促す。
クリエイターはどこでも仕事ができるとしても、需要を生み出すのは東京などの大都市だ。いくらクリエイティブな仕事が可能でも、需要を察知して需要とつなげる役割、平たく言えば営業も大都市だからこそ可能ともいえる。
営業という需要を取ってくる仕事は大都市でないと成り立たない。そこを、どう解決していくのか?
大都市に偏在した経済は、容易には是正されない。長い歳月をかけて、ゆっくりと長期的に取り組まなければならない。しかし、我が国で地方分権は失敗を重ねてきた。政治は地方を蘇らせる最適解を見出せていない。
錬金術としての埋立地
埋立地は海沿いで取り組まれてきた。つまり、海なし県において、埋立地は存在しない。湖を埋め立てることも考えられるが、そこに工業用地をつくり、工場を建て、製品を生産し、船で運ぶまで埋立地のスキームとしてワンセットだから、湖での埋立地は産業育成というよりも、防災的な要素に拠っている。
埋立地をつくる背景は、ここまでにも触れたように工場用地を捻出するためだ。つまり、埋立地は大規模工場を誘致することができる魅力的な土地でもある。それだけに、埋立地の造成は錬金術ともいえるだろう。
しかし、工場が操業を始めると、その周辺には工場労働者が集まり、自然と都市化をしていく。都市化により、商業施設が集積するようになり、最初にあった工場群は迷惑施設視されていく。こうして、都市の成長を牽引した大規模工場群は地方へと移転を余儀なくされる。
近年、安い労働力を求めて、企業は海外へと工場を移転させてきた。そのため、国内の産業は空洞化した。今、国内への回帰を進めても、後戻りできない状況まで陥っている。
埋立地から工場を追いやった後、大資本による商業施設がやって来た。タワマンの住民が、そこへ買い物に来る。タワマンの住民たちも、かつてのニュータウンのように一斉に高齢化するだろう。
ニュータウンはオールドタウンと揶揄されたが、それを深刻な問題と捉えて対策を講じた。さらに世代交代を進めたこともあり、苦難を乗り切ったとまでは言わなくても、なんとか光明を見出している。
一方、タワマンはどうなるのか? 高層ビルは単純に解体するだけでも手間がかかる。まして権利関係が複雑に入り組んでいるとしたら、建て替え更新は至難を極めるだろう。
かつての錬金術だったら、埋立地の造成は工場からタワマン、そして現在は先行きが見通せない。