正解のない環境問題
7月1日、経済産業省・環境省などが主導して進めてきたレジ袋有料化がスタートした。レジ袋の有料化は、以前から政府や地方自治体などが検討してきた課題だが、業界団体の反対などもあって先送りされてきた。
レジ袋有料化は、環境問題という一点で強行突破された。レジ袋有料化は法律に基づくものではなく、あくまでも省令改正にすぎない。
それでもスーパー・コンビニなどの小売各店は有料化施行前からすでに有料化をスタートさせている店もある。しかし、本当にレジ袋の有料化は環境問題、そしてゴミの減量化に寄与するのか?
先日、ラジオ局J-WAVE「ONE STEP」に出演し、レジ袋有料化について話したばかりだ。話した内容は、“まもなくレジ袋が有料化! 今後も無料で渡せる「環境基準」とは?”に簡潔にまとめられている。
また、6月3日配信のアーバンライフメトロ にも“いよいよ明日スタート 「レジ袋有料化」が招くのは環境意識の向上か、はたまた単なる家計の負担増か?”を寄稿した。
環境に配慮しても有料化
レジ袋有料化は、小売店がレジ袋一枚を1〜5円で販売する。金額設定は各店の裁量に任されているが、無料で配布することは認められていない。
レジ袋有料化といっても、今回の有料化の対象からはずれたレジ袋もある。もともと、レジ袋有料化は海洋汚染やゴミ削減の観点から出発した問題のため、海洋汚染の原因につながりにくいとされる紙製の袋は対象にならない。
ただし、今回のレジ袋有料化では紙製でも、取っ手があってビニール製レジ袋と同等の機能を有するものであれば有料化の対象になる。
また、ビニール製のレジ袋だからといって一律に有料化されるわけではない。政府が設けた環境基準をクリアしたレジ袋は、今後も無料のまま配布することが許される。
政府が示したレジ袋有料化の対象外とされるレジ袋は
1:海洋生分解性プラスチックを100パーセント使用していること
2:バイオマス素材を25パーセント以上配合していること
3:繰り返し使えるように袋の厚さが50マイクロメートル以上あること
の3点。
このうち1点をクリアしていれば、有料化の対象にはならない。多くのコンビニ・スーパーで配布されているレジ袋は、ほぼクリアしている。
セブンイレブン・ファミマ・ローソンの大手3社もクリアしているが、業界団体の足並みを揃えることから、今回は3社ともレジ袋の有料化に舵をきった。
有料化に与しないセイコーマート
そんな中、北海道を中心に多店舗展開しているセイコーマートはレジ袋を有料化しなかった。レジ袋の有料化は環境に配慮している企業とのイメージを広める。逆に、レジ袋を無料のまま配布する企業は環境に配慮していないと非難される可能性もある。そうした同調圧力に、セイコーマートは与しなかった。
セイコーマートは北海道を本拠地にし、勢力をその他の地域にも拡大している。しかし、セイコーマートの出店範囲は限定的で、北海道を除けば茨城県に出店しているのが目立つぐらいだ。
北海道と茨城県、両者には共通点を見出すことは難しい。なぜ?と訝る向きもあるだろう。タネを明かせば、茨城県の大洗港から北海道に向けてのフェリーを出港させていることが両者を結ぶ縁となっている。
夏季、北海道をツーリングするライダーたちにとって、大洗は玄関口になっている。そうした背景から、茨城県にはセイコーマートが勢力を築いている。
この理論でいくと、北海道と航路でつながる新潟・敦賀・舞鶴あたりにもセイコーマートが出店攻勢をかける日が近いかもしれない。
当面、セイコーマートはレジ袋の無料配布を続けるという。もちろん、セイコーマート各店で配布しているレジ袋は上記の環境基準をクリアしている。
こうなると、業界の足並みは乱れる。レジ袋有料化を忌避する利用者が目立てば、コンビニ3社は翻意するだろう。
レジ袋有料化が引き起こす新現象
レジ袋有料化を機に、レジ袋の不要な買い物、例えばコーヒー1缶だけ、おにぎり一個だけという、買い物の小口化が起きる可能性もある。
また、同じコンビニで買うにしても、店頭買いを避けて宅配サービスの利用が増えるかもしれない。宅配サービスの利用が増えれば、宅配の人員が必要になる。配達のための自転車やバイクも揃える必要があり、それに伴い自転車やバイク置き場も整備しなければならない。
レジ袋の袋代は、コンビニ各店舗が負担している。コンビニ本部の負担ではない。レジ袋有料化は、各店舗にとってレジ袋代の負担を減らす作用をもたらす。しかし、それは一面的な見方で、レジ袋負担がなくなっても、違った部分で負担が増す。今後、大手3社が無料化へとシフトする流れが出てくる可能性も捨てきれない。
大手コンビニ3社が足並みを揃えてレジ袋を有料化へと切り替えた。コンビニ業界では4番手とされるミニストップは、7月1日を待たずに有料化に踏み切った。
これは、系列のイオンが7月1日前に有料化したから、それに足並みを揃えた結果だ。
コンビニ各社は足並みを揃えたが、これは本部からの指示であり、各店舗のオーナーはどう考えているのかわからない。
先述したように、レジ袋をケチったことで客離れが起きる、配達の手間が増えるでは本末転倒だから、レジ袋有料化をやめたいと言い出すオーナーがいないとは限らない。それを本部の力でねじ伏せられるのか?
なぜ、杉並区はレジ袋税を制定したのか?
昨今、コンビニ業界は統合・再編が進み、大手4社でシェアの9割以上を占める。こうなると、レジ袋有料化は実質的にレジ袋税と相違ない。
かつて、レジ袋税は東京都杉並区で検討され、議会で可決。正式名称は、「すぎなみ環境目的税」とされた。
杉並区が導入したレジ袋税は、当然ながら杉並区内だけでしか適用されない。電車に乗って隣接する中野区や三鷹市などへ“越境”すれば、レジ袋税は課されない。
自宅が杉並区にある人でも、家に帰る前に買い物を済ませてしまえばレジ袋税を支払う必要はないのだ。
なぜ、杉並区はレジ袋税の制定に動いたのか? それは2000年に施行された地方分権一括法が起因している。
地方分権一括法は法定外税の制定を容易にした。地方分権一括法を受け、多くの自治体が法定外税の制定に乗り出している。
不交付団体は強い
日本にあまたある地方自治体のうち、自主財源だけで行政運営できる健全財政の自治体は少ない。当時は47都道府県で東京都と愛知県のみで、リーマンショックで愛知県が脱落。以降は、東京都のみが自主財源で行政運営してきた。
自主財源だけで行政運営できる黒字の地方自治体は、地方交付税が交付されない。都道府県では東京都だけが地方交付税を受け取らない不交付団体だった。
不交付団体の東京都は、国の言うことを聞く必要がない。政府に指図されることなく、自身のポリシーを貫くことができた。それが、独自な政策につながり、さらに東京を発展させる作用をもたらした。それが、東京都の強さでもある。
ちなみに、不交付団体から交付団体になってしまった愛知県だが、市町村単位で見れば不交付団体の数は全国一を誇る。
愛知県の財政は赤字に転落してしまったが、足元の市町村はいまだ不交付団体。決して危機的な状況ではなく、一時的な状況だと見られていた。
それから10年が経過しても愛知県が不交付団体に復帰していないあたり、リーマンショックの大きさを物語るが、愛知県および県内市町村の財政に大きく寄与しているのがほからぬトヨタである。
トヨタからの法人税・法人事業税などが、愛知県および県内市町村の財布を潤わせる。
金脈を探した法定外税ブーム
2000年に地方分権一括法が施行され、法定外税の制定が容易になると各地方自治体はなんとか財源を見つけ出そうと躍起になった。
法定外税は条例によって課税できる法律のため、自治体内でしか課税できない。そのため、不公平かつ特定の企業・団体・個人を狙い撃ちするような新税は許可されない。
いくら東京電力が原発事故によって国土を荒廃させたからといって、東電税を制定することはできない。ただし、原発に課税することはできる。原発は東電だけの施設ではなく、関電や中電なども建設・稼動させられるからだ。
そのため、実質的に原発に課税する核燃料税なる法定外税は地方分権一括法前から存在した。原発が立地する自治体は、国から交付金を受け取り、電力会社からは法定外税を徴税できるという美味しい立場にあった。
電力会社も核燃料税に反対しなかった。そこには、原発に後ろめたさがあったことや電力料金に転嫁できるという思惑もあったと想像できる。
杉並区の制定したレジ袋税も、そんなに反対はなかったようだ。杉並区は環境問題に関心が高い層が住んでいるといわれるが、それ以上に法定外税がなんたるかを知らなかったことが大きいかもしれない。区民もさることながら、報道陣が法定外税を知らなかったのだろう。
そもそも杉並区限定のレジ袋税に、そんなに関心があるか?という話でもあるし、ほかにも税は映像が用意できないのでテレビの素材として扱いづらいという要因もあったかもしれない。
こうして、杉並区はレジ袋税を制定した。しかし、課税されることなく杉並区のレジ袋税は立ち消えになった。それと入れ替わるようにして、レジ袋有料化が始まった。
レジ袋税もレジ袋有料化も、結局はレジ袋に対して金銭の支払いが伴う。「結局は一緒じゃん!」と感じなくもない。
レジ袋税と有料化の大きな違いは、税は等しく課されるが有料化の場合は店のポイントサービスといった営業努力が反映される。さらにレジ袋の価格設定権も店側に委ねられる。
店に削減努力や目標設定させることができる点で、レジ袋有料化はレジ袋税とは異なる。本音か建前かはわからないが、杉並区はレジ袋税で税収増を狙っていなかった。
だから、レジ袋を削減するという環境意識を高められるのであれば、レジ袋税だろうとレジ袋有料化だろうと、どちらでもよかった。
レジ袋有料化で環境は悪化する?
ゴミと一口に言っても、一般家庭から排出されるゴミと事業所などから排出されるゴミは処理されるルートが異なる。また、産業廃棄物も処理の手順が違う。
今般のレジ袋有料化で議論の俎上にあがっているのは、家庭から排出されるゴミだ。レジ袋そのものがゴミになるから、ゴミの減量化に取り組むなら、手始めにレジ袋の削減に取り組むというわけだ。しかし、多くの家庭では中サイズ以上のレジ袋をゴミ袋として転用している。
それもそのはず。東京23区は2009年3月末をもって自治体認定ごみ袋制度を廃止している。以降、スーパーやコンビニで買い物した際に配布されているレジ袋は、そのままゴミ袋として再利用することが可能になった。
レジ袋をゴミ袋として再利用できれば、レジ袋は無駄にならない。有効活用されたということになる。東京23区には、おおよそ1000万人が居住していると言われる。くわえて、横浜市や川崎市、千葉市、さいたま市といった近隣県や三多摩から23区へと通勤・通学している人もいる。
そうした人たちが出すゴミもある。それらを考えると、レジ袋でゴミ出しが可能になった2009年4月以降は、まさにリユース・リデュース・リサイクルの3Rに近づいた社会と言えるだろう。
いまやレジ袋メーカーは研究を重ねて、かなりエコになった。大手コンビニ3社のレジ袋が、政府の無料配布できる基準をやすやすとクリアしているあたりからも、レジ袋メーカーが努力を積み重ねてきたことを窺わせる。
だから、レジ袋を有料化しただけでは環境問題の改善に寄与しない。むしろ、環境基準をクリアしたレジ袋は製造に高いコストを伴う。
そのため、同じ有料配布だったら質の悪い、非エコなレジ袋に切り替えてしまおうと考える悪どい事業者やメーカーが出てくるかもしれない。仮に、そんな事態が起きたらレジ袋有料化は逆効果でしかない。
ひとつの自治体では完結しません
一般家庭ゴミの処理スキームは意外と複雑で、実は担当している市町村もそれぞれ異なる。
一般的に、家庭ゴミの収集は基礎自治体の市区町村が受け持つ。収集されたごみは、中間処理施設に運ばれる。中間処理施設と表現するとわかりにくいが、燃やせるゴミで言えば焼却場のことを指す。
ここで燃えるゴミは燃えカスになるわけだが、燃えカスでも積もり積もれば莫大な量になる。中間処理施設に燃えカスをそのまま置いておくわけにはいかない。燃えカスは、ここから最終処分場へと運搬される。
最終処分場は埋立地と呼ばれる海面へと搬入される。また、山に戻されるケースもある。海面の埋め立てに使われ場合も山に戻される場合も、どちらも専門用語で土壌還元と呼ばれる。
ゴミの流れを整理すると、収集→焼却(中間処理)→土壌還元(最終処分)となる。収集は市区町村の担当だが、焼却(中間処理)は市もしくは一部事務組合が担当する。
一部事務組合はあまり聞き慣れない用語だが、周辺の基礎自治体が集まってひとつの事業体を結成したときに使われる。つまり、ひとつの自治体で中間処理するのではなく、いくつかの自治体が力を合わせてゴミの焼却を担当している。
今般、3Rを推進した成果もあり、歳月とともにごみの減量化は進んだ。そうなると、すべての市区町村にゴミの焼却場を設置する必要はない。そのため、一部事務組合でゴミの焼却を担当している。
ゴミを焼かない千代田区
昼間人口が100万人ともいわれる千代田区は、排出されるごみの多くは事業系ゴミになる。
千代田区の居住人口は約6万5000人。千代田区内に焼却場を建設しなければならないほどの人口規模ではない。
また、千代田区は都心部に位置しているので、焼却場を建設すれば、当然ながら用地にかかる費用は高コストになる。
くわえて、ゴミ焼却時には出るにおいや煙が近隣に流れる。これが企業活動に影響を出すこともある。そうした事情から、千代田区は区内に焼却場を建設していない。
千代田区は、ほかの区と連携してゴミの中間処理をしている。千代田区民が出したゴミは、千代田区外で焼却されているのだ。
焼却後のゴミを土壌還元のために、再び別の場所へと搬出するわけだが、これも家屋などがない土地でなければならない。そのため、最終処分は広域自治体の都道府県が担当する。
こうした収集・中間処理・最終処分など、ゴミ行政はひとつの自治体で完結しない。複雑なスキームで成り立っている。
一般家庭ゴミだけでも複雑なのに、粗大ゴミや資源ごみなどもある。さらに、事業所から排出されるごみ、産業廃棄物などもある。
一部事務組合が所有している焼却炉も導入した年代によって性能が大きく異なり、”燃やせるゴミ”の基準が違う。そもそも、高性能の焼却炉を導入した際、“燃えるゴミ”から”燃やせるゴミ”へと名称変更もした。
ゴミ行政は、時代とともに複雑怪奇の様相を呈している。
未知の世界 中央防波堤へようこそ
東京都におけるゴミの最終処分場は、東京湾とされている。厳密に言えば、新海面処分場。ここが、東京における最後の海面埋立処分場といわれる。
新海面処分場にゴミを埋め立てる前は、中央防波堤がゴミの最終処分場になっていた。中央防波堤は、長らく帰属が決まらず、大田区・江東区・品川区・中央区・港区の5区がそれぞれ帰属を主張。
品川区・中央区・港区は陸続きではないことを理由に中央防波堤の貴族争いから撤退したが、その後も大田区・江東区の主張は平行線をたどった。
大田区・江東区の帰属争いは、時に領土戦争と形容されたりもして、そのつどニュースになった。私が中央防波堤の帰属未定地を知ったのは2000年前後で、それは行政誌の編集者をしているときのことだった。
中央防波堤から台場方面を望むと、遠方にビルが立ち並んでいる光景が広がる
行政誌の編集者時代、特に忙しくもなく、むしろヒマばかり持て余していた。資料収集という名目で図書館に行って本を借り、就業中でも本を読むことは仕事と言い張って、資料を読むことでヒマを潰した。
資料を読んでいるとき、ふと目にした本で中央防波堤のことを知った。当時、帰属争いの当事者はすでに大田区と江東区の2区に絞られていた。2区はそんなことをオクビにも出さずに、淡々としていた。だから、それまで中央防波堤は私の埒外だった。
帰属未定地として放置され続ける中央防波堤に、一度でいいから足を踏み入れてみたい。そんな気持ちを抱きつつ、虎視眈々とチャンスを狙った。しかし、不運にもその機会は訪れず、退職。フリーランスに転身した。
ようやくチャンスが巡ってきたのは、それから2年後のことだった。雑誌の取材で「どこか、行きたいところはありますか?」と訊かれた。私は即座に中央防波堤と答えていた。
しかし、訊ねてきた相手は中央防波堤の存在を知らなかった。当然ながら、帰属未定地であることや大田区・江東区が領土争いをしていることなども知らない。中央防波堤の魅力を力説しても、関心を示してもらうことはできなかった。
結局、私のプレゼンは不発に終わり、中央防波堤に行くことは叶わなかった。ある日、同じ編集者から突然に「例のお台場のところ、行きませんか?」と打診された。
どういう経緯でそうなったのかは忘れてしまったが、おそらく事前に進めていた企画がポシャったんだろうと思う。このままでは白紙の誌面ができてしまう。「じゃあ、小川の提案していた企画で埋めてしまおう。お台場でしょ?近場だから、取材と執筆で2日もあれば楽勝でしょ」
あくまで憶測だが、そんなノリで決まったような気がする。代替企画だったとしても、私にとっては嬉しい話だから気にならない。
そんなわけで、東京都環境局に立ち入り許可を申請し、レンタカーで向かった。
東京の果てに
当時、中央防波堤は東京都環境局が管理しており、無許可で立ち入ることは禁じられていた。道路はつながっているが、勝手に自動車を走らせるだけでも不法侵入として取り締まられる。
許可があれば動き回っても咎められることはないが、それも環境局の職員同伴に限られる。そのため、行動に制限はあった。それでも、わりと自由に動き回ることができた。
今から15年前の話だから、中央防波堤はまだゴミの山だった。
中央防波堤の道路では、風力発電の風車とともにゴミの山に遭遇する
そこから15年後に、中央防波堤が東京五輪の会場に姿を変えるとは思ってもいなかった。2017年には公園化を目指して植樹イベントが盛んに開催されていた。
その努力が実ったということなのだろう。残念ながら、五輪は延期されたけど。
すぐには宝にならないゴミの山
中央防波堤は、ゴミの埋め立てによって造成された。そのため、土地の造成が完了しても、すぐにビルを建設することはできない。
埋め立てに使われたゴミは、多くの水分を含んでいる。また、最終処分場に降った雨も造成された大地に染み込んでいる。それらは時間をかけてゆっくりと染み出してくる。
染み出す水は浸出水と呼ばれるが、浸出水は汚染物質を含んでいる。浸出水はそのまま海洋へと放出することは禁じられている。
浸出水を適切に処理するため、埋立地内につくられた小さな池にいったん集める。そして、無害化処理を施す。無害化処理は何工程も経るため、これも一筋縄ではいかない。
中央防波堤にあった池。これが浸出水を貯める池かは不明だが、金魚を生育中
埋立地を土地として利用するには、それ以前に多くの手間と歳月をかけている。大田区と江東区とが帰属を争いながらも、なかなかその火花を表舞台で散らさなかったのは、この無害化処理に時間がかかることをわかっていたからではないか?と思っている。
大田区も江東区も、浸出水の処理を自分たちでしたくない。平たく言えば、無害化処理にかかる費用を負担したくない、ということだろう。
タダで土地を手に入れたい。そんな虫のいい話ある?と疑念も抱くが、下手に手抜き処理をするより、東京都に一任した方がいいかもしれない。
長かった帰属未定地争奪戦
2020年に五輪の開催が決まり、中央防波堤の帰属未定地は五輪閉幕後は開発を進めることが求められた。
それまで悠長に構えていた大田区・江東区は悠長に構えることはできなくなり、だから火花を散らすようになったのではないか? そんな穿った見方ができる。
とにかく、2016年頃から、大田区・江東区の中央防波堤に対する意識は以前よりも段違いに剥き出しになった。
そうした大田区・江東区のいさかいを含め中央防波堤の帰属問題や埋立地問題、レジ袋有料化を早くから取り上げてきた。
例えば、「THE PAGE」では繰り返し記事を書いている。以下、再掲する。
2017年7月29日配信
“いよいよ決着?大田区・江東区が対立 東京湾中央防波堤の帰属問題調停へ”
2018年12月29日配信
“環境省が有料化検討 過去に杉並区が議論した「レジ袋税」とは?”
「アーバンライフメトロ 」では、中央防波堤を巡る大田区VS江東区の記事を書いている。4つの記事を以下に再掲する。
2019年9月24日配信
“大田区vs江東区 東京都内の「領土争い」、埋め立て地帰属問題を歴史を振り返る限界を迎える最終処分場”
2019年9月25日配信
“大田区vs江東区 埋め立て地帰属問題がここまで紛糾しているワケ”
2020年6月10日配信
“大田区vs江東区の「領土争い」決着から9か月 両区が付けた新たな町名を知っていますか?”
2020年10月8日配信
“ついに決着! 大田区vs江東区の「領土争い」、中央防波堤埋立地は今後「宝の山」になるのか?”
今から振り返ると中央防波堤の帰属争いは冷静に分析できるが、リアルタイムで事が進んでいるときに書いた記事は、わりと当時の熱のようなものに影響されている部分が少なからず感じられる。
読者や都民の関心はわからないが、繰り返し書いている私にとって中央防波堤は帰属問題、ゴミ問題という社会的関心事の枠を超えて熱量の高いテーマだった。
それは、ビジネスジャーナルでも5回も書いていることから窺える。ビジネスジャーナルで書いた中央防波堤・レジ袋関連の以下に再掲する
2016年10月27日配信
“東京五輪・海の森「中止」浮上、都が突然に整備費4割圧縮発表…なりふり構わぬ抵抗の裏事情”
2017年5月6日配信
“私たちが知らぬ間に「こっそり増税」を進める自治体…レジ袋税、犬税、地方税増額も”
2017年12月3日配信
2019年12月11日配信
“お台場の裏の広大な人工島「中防」、大田区と江東区の争奪戦終結…だが開発困難の懸念浮上”
2020年1月26日配信
“7月からレジ袋完全有料化…安倍政権の「消費増税+キャッシュレス推進」で個人商店廃業”
2020年5月8日配信
“新型コロナでレジ袋廃止“見直し”の機運も…マイバッグ、不衛生で疫病広げる懸念も指摘”
複雑怪奇のゴミ行政
こうして記事を並べてみると、中央防波堤やレジ袋有料化について書いた記事が、必ずしも環境問題に結びついているわけではないことが窺える。
時に、増税=納税者への転嫁だったり、新型コロナウイルスの感染拡大による衛生問題が焦点だったりしている。
言い換えれば、中央防波堤に関連するゴミの埋め立て問題は、ゴミ行政という狭い範囲に収まらないことを意味している。
レジ袋有料化を主導したのは経済産業省・環境省だが、レジ袋有料化を告知するポスターには、厚生労働省・農林水産省・財務省も列挙されている。
レジ袋有料化は5省庁をまたぐビッグプロジェクトであり、それだけに社会に及ぼす影響も範囲も大きい。利権も複雑に入り組んでいることだろう。
長寿命化する埋立地
ゴミの山でしかない中央防波堤。その高い丘からは、埋め立てが始まる前の新海面処分場も遠目ながら見ることができた。当時、新海面処分場の寿命は、30年ぐらいと試算されていた。
当時の数字で計算するなら、2035年には新海面処分場は満杯になり、東京都民はゴミを捨てられなくなる。ゴミ難民が発生することが予測された。
しかし、焼却場の処理能力が増したことで最終処分場へと運搬されるゴミが減少したこと、そして3Rの推進によって各家庭から排出されるゴミそのものが減量したことなどが重なり、最終処分場へと運搬されるゴミの量が減少した。
そうした要因から、新海面処分場は長寿命化した。現在から起算しても、あと50年は持ちこたえられるともいわれている。これには、埋め立て技術の向上なども寄与している。
人間が生活するうえでゴミは必ず出るので、最終処分場の寿命が延びることは喜ばしい話ではある。
東京にとって最後の最終処分場である新海面処分場の寿命が尽きたらどうなるのか? 現在、その後はシミュレーションなされていない。
あくまでも、海を埋め立てる最終処分場としては最後ということなので、山へ戻すということが考えられる。
新海面処分場が使えなくなったら、神奈川県や千葉県と連携して、新たな処分場をつくるかもしれない。
22世紀のゴミ処理問題
あと30年も経てば、宇宙開発技術が向上する。そうなれば、ゴミを宇宙へと飛ばし、ブラックホールに投げ込むといった最終処分も考えられる。
ブラックホールが遠くて燃料費が無駄になるのであれば、太陽熱で溶かすといった手法が取られるかもしれない。
いずれにしても、今後の30年で科学技術は想像できないレベルで発達するだろう。今は芽も出ていない技術が、当たり前のように使われているかもしれない。
仮に宇宙空間でゴミを最終処分する場合、これらを地方自治体で所管することはできないはずだ。日本政府だけで処理することも無理な話になるだろう。
アメリカやEU、中国、ロシア、インド、ブラジル、メキシコといったG20の範囲だけで話し合うのも難しい。もっと広い枠組で考える必要があるだろう。国連でも議論をまとめることは困難を要するに違いない。
いずれにしても、私が生きている間に、なにかしらの方向性を示さなければならない時期に到達するだろうが、現段階ではまったくわからない。
生きるうえで誰もがゴミを排出するのに、その最終処分がまったく闇というのも不安な話…と思えるのだが、あまり不安になっている人は見かけない。実際、私も不安を抱いていない。
こんな呑気に構えているので、もしかしたら22世紀ごろには人間はゴミの処分に困り、汚染物質で水は飲めなくなり、農作物がつくれなくなり、悪臭やゴミから発生した害虫によって滅ぼされているかもしれない。
それは、世界を震撼させている新型コロナウイルス禍の脅威以上だろう。なのに、私たち人間はゴミ問題をあまり気にせず、当たり前のように処理・処分されると思い込みながら暮らしている。