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平成の市町村合併は、地方に何を残したか?

大義なき合併

 ビジネスジャーナルに寄稿した“”平成の市町村合併の優等生”兵庫県篠山市は、なぜ存亡の危機に陥ったのか?”は、フリーランスに転身する前、行政誌編集者時代から資料を集め、そしてフリーランスになってからも現地へと足を運んでいた。そして、記事化した案件だった。いわば、ライフワークでもあり、私のライターとしての本分でもあった。

 平成の市町村合併は、合併特例法が施行された1995年にスタートする。これまで、我が国では明治の大合併、昭和の大合併と2度の市町村合併ブームを経験した。当時、市は少ないために単に”市町村”合併とは呼ばず、大合併と形容された。

 小さく散らばった村を統合する意図は、明治以降のどの合併期にも含まれている。明治の大合併ではそのスケールを「一つのコミュニティで小学校を開設できるぐらいのレベル」に統合・再編する狙いがあった。当時の自治組織には、郡というものがあり、郡役所が町村を束ねる機関として存在した。

 現在でも郡は、町村を束ねる住所としては使われている。しかし、郡役所という公的機関は存在しない。住所として残る郡は、いわば当時の名残でしかない。

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