乳がんゆるゆる日記 ズッ友ががん友に・・。そしてさらにズッ友に。
私には
キヨミという
親友がいる。
親友なんて呼べる人は
人生に
一人
できるかできないかと思ってるので
ズバリ
親友と言い切れる女がいて
私はとてもラッキーだと思ってる。
どのくらい親友かというと
唯一
家族以外で
キヨミのことだけは
「あんた」と呼べる。
キヨミも私のことを
「あんたなぁー」と呼ぶ。
30年以来の付き合い。
なので
5年くらい会ってないときも
余裕である。
5年ぶりに会っても
昨日も会ってたみたいな。
キヨミと一緒にいる自分が好きだ。
私は
邪気の塊
キヨミにも100%邪気女と言われるが
それを取り繕わないでいい。
黒い、弱い
でも
面白いw自分でいられる。
そんなキヨミから
ほんまに
5年ぶりに
ラインがきた。
その頃
ちょうど
乳がんと
診断されたあたりやったかな
だもんで
ああ私のnoteとか読んで
心配してくれたんかなと。
ラインを見ると
案の定
「恵理子 ノートみた!
ちょっと話あるから
電話してもええか」と。
夕方電話した。
すると
「せやねん
note読んで
私もめっちゃ心配しててんけど
それと別にな
私も今年に入ってなんや
ずっと喉痛くて
逆流性食道炎やって言われて
胃カメラ飲んだら
そこで
食道に・・・・
がんが見つかってん・・・・」
ええええええ!!!!
絶句。
いやいや
あんたと一緒に
破天荒極まりないw
酔っ払いな青春を送ってきたけど
ここにきて・・・・
まさに同じ時期に・・・・。
だけど
それは
もしかしたら
お互い
ガッツリ
神様に守られてのことかもしれん。
私も
キヨミも
どうせ
がんになるなら
同じ時期で
ほんまよかったもん!!!
私の乳がんは
ここまで
書きに書きまくったように
外科的手術のみ
(ホルモン剤投与は続くが)
で済んだが
キヨミは
まずは
抗がん剤で
がんを小さくして
その後
がんを取り除く手術をするということだった。
私の手術のための入院と
キヨミの
抗がん剤投与のための入院も
ほぼ
同時期。
ですんで
入院中も
どれっっっだけ!!!!!
キヨミとのラインの会話で
救われたか
しれない。
お互いに。
私は
術後の痛みやら違和感やら
オベント箱下げてる不自由さやら
(もう懐かしい・・)との戦い
だが
キヨミの場合は
抗がん剤との戦い。
がんで苦しむというよりも
がんとともに
自分の良い細胞も
弱らせてしまうという
過酷な抗がん剤との戦い。
これに頑張っていた。
私は
あまりにも
ツキまくっており
抗がん剤やら放射線の治療なしで
ほぼあっという間に
日常に戻れたが。
いうても
いろいろ
辛かったけどな!!!😂
キヨミは
3クールにわたって
抗がん剤治療
頑張った。
1クール
10日。
しんどそうな
キヨミのライン。
返事を書きながら
もう
拝む!祈る!しかできない自分。
頑張れキヨミ!!!
頑張ってくれーーーー!!!!!!
そして
キヨミは
3クール目の抗がん剤を終えて
無事退院してきた。
生検検査の結果が出たと
ラインがきた
「えりこーーーーー
検査の結果な!
抗がん剤が
びっくりするくらい
効いたんやて!!!
ほんでほとんど
がんも
なくなったくらいなんやけど
一応手術はするそうや」
キヨミーーーーーーー
あんた
よう頑張ったなぁ・・
キヨミの細胞たち
本当にありがとう!!!
そんで
抗がん剤も
過酷やとかしんどいとか
言うてもたけど
キヨミのがんを小さくしてくれて
ありがとう!!!
神様仏様ご先祖様
ありがとうーーーーー!!!!
全方向に感謝感謝だ。
そのキヨミが
今度18日に手術のために入院するので
その前に
壮行会?
会いに行く。
私たち入院する前に
会って
まぁ
そんときもめっちゃ飲んだけどw
それ以来。
私たち
生きててヨカッタ
また会えてヨカッタ
ズッ友やった
あんたと
がん友になって
この共通の
辛かった
経験で
絆が
ますます深まったと
思ってる。
沢山泣いたけど
今また
一緒に笑えて
嬉しい。
かけがえない
存在や。
キヨミ
あと一踏ん張りやでーーーー
そしたら
二人とも
よう頑張りました!
ご褒美や。
キャンサーフリー!!の
美酒を
また飲もう!
サムネの写真。
昨晩。
思ってたより
ずっと元気そうな
キヨミと。
ウィッグが
驚くほど
可愛いくて
似合ってた。
さあ
キヨミのラストスパート
全力で
応援するで!
もちろん
書くことも
写真も
キヨミの了解ズミです☺️