【初心表明】noteを書くのは誰のため?
一念発起して日記を書いていくことに決めたわけですが、さっそく壁にぶち当たりました。
パソコンの前に座りながら頭の中でずーっとぐるぐる考えていましたが、
「そうだ、こういうことこそnoteに吐き出しちゃえばいいんじゃん?」
と思い書き出してみることにしました。
noteを日記として使うにしても、noteは他人へ公開されるもの。
となると、書きなぐった文章では当然読んでもらえるわけもなく、ある程度の体裁は整える必要がある。
それと投稿頻度はどうするのか。毎日投稿するのか、一週間のことを投稿するのか。
それから文章の構成はどうするのか。
やばい、そういうことを考え出すととたんにすべてがめんどくさくなる。
別に誰かに強制されてるわけでもないし、めんどくさいならやめればいいだけの話。
それでも、noteで日記を書こうと思い立ったのには理由があるわけで。
noteを始める前に所信表明ならぬ初心表明をしておこうと思います。
きっかけのブログ
檜原村には「東京チェンソーズ」という比較的若手の林業会社があります。
そこの代表は当時勤めていた組織の仲間数人と独立起業したのですが、その2006年の創業当時から書いていたブログが残っています。
業務上のことだけでなく、自分たちの屋号について何度話し合いを重ねてもなかなか決まらないことなど、創業当時の活動や苦悩が等身大で書かれていてなかなか面白いです。
会社の設立準備をするようになった今ではむしろ共感することの方が多い。
こうして書き残しておくことで、これから先道を見失うことがあっても何度でもここへ帰ってきて、初心を思い出すきっかけにしたいと思っています。
noteを書くのは誰のため?
人間とは時間が経つと忘れる生き物。
長い人生を健全に生きるためには忘れた方がいいこともたくさんあります。
だけどその瞬間に抱いた感情は本物なはずで、せめて自分くらいは自分の感情を大事にしたい。その感情を受け止めたうえでこの先の人生を生きていきたい。
巷には「自分との戦い」とか「弱い自分に打ち勝つ」とかって表現があるけれど、私から言わせてみれば自分は敵じゃない。
どんなことがあっても自分は味方でしょう。自分自身こそ自分の最大の理解者。
個人的な気持ちや意見を発信して他人に共感してもらえたらそりゃ当然嬉しいですが、それを求めて得られなかったら苦しくなる。
それでnoteが続かないのであれば本末転倒。
少なくともこのnoteは他人の理解を得るためではなく、自分のために続けていきたいと思います。
でも、ほんの少しでも共感できることがあればリアクションをいただけると今後の励みになります。よろしければお付き合いください。