テクノロジーの矛先
今日はテクノロジーを何に使うべきかを考えている内容に少し触れてみようと思っております。事業創出活動をしているので、あらゆる時にこれはどんな問題なのかという問を立てています。
先週こんな悲しいニュースがありました。
当然、自動車に関わる者としても人としてもこんなことがあってはならないと思っております。心よりご冥福をお祈りいたします。
こんなことがないように何ができるだろうと思った時、かつて社内放置事故が起こらないように自動車側でこれを検知し対策するソリューションの提案をしたことを思い出しました。
社内放置事故=パチンコというイメージがありました。こちらのサイトでその件数を見て見ると、直近5年で2名、痛ましい事故が発生しているようです。
http://www.syanaihochi.com/
どうやら最近はパチンコが主ではないようです。(救出件数すごいですが)自宅の駐車場だったり、路上だったりと、見つからない場所で起こっている傾向にあるようです。そして、全米では年間平均37人の子供が亡くなっているようです。後をたたないこの状況になんとも言えぬ想いになります。
人と車のテクノロジー展2019でフランスの自動車部品メーカーさんが出展されていた検知システム。こちらの記事にも書いてありますが、知っていて放置した事故よりも知らずに気づかずに放置してしまった事故のほうが多いということです。
従って、こういった事故を防ぐためのソリューションの必要性はあると思います。しかし逆にそのソリューションができた時、そのソリューションがあるから放置してもいいということにならないでしょうか。
何が言いたいのかというと、テクノロジーを頼りにしてしまい、それがあるから大丈夫、それに従えばいいという思考になってしまったら元も子もないと思うのです。テクノロジーは万全ではありません。そもそも、忘れないようにしていることが大切で、発生する前に防がなければなりません。
こういった議論は当然いつの時代にも行われてきたでしょう。便利になる=バカになるというように、例えばオートマの車が出た時も、おそらく自動車の運転技術が〜とかいう人はいたでしょう。しかしオートマ誕生から50年余りになり、オートマはいまや普通です。
「やがて普通になるもの」それが、テクノロジーを適用すべきものとそうでないものの境界線ではないかと思います。自動運転然り、やがて普通になるでしょう。ここで戻りますが、子供を社内に置き去りにしてしまうことは普通になるのでしょうか?そうすると、テクノロジーの矛先としてこのソリューションは相応しいのでしょうか。置き去りになった人を救うソリューションではなく、置き去りにならないようにする方向でテクノロジーを適用しなければいけない。
データが共有化され、コネクテッドの世界になり、もしもどこかのお店の駐車場のカメラのデータと自動車会社のテレマティクスのデータが連携することで、こういった状態を検知し、所有者への連絡や窓を開けるなどができたら素晴らしいかもしれない。しかしそれも事後。本来はどうあるべきなのか普通になっていいのは、普通になっていくのは何なのだろうか。そういう思考で今日もおります。