私の誹謗中傷の乗り越え方
手描きマンガ
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誹謗中傷の受け止め方と私の解決法
先日、誹謗中傷が原因で亡くなった女子プロレスラーの方もいらっしゃいましたね。
スポーツクライミング界でも同じことが起きないともいえない世の中になりました。
こんな私でさえも、現役時代に表舞台に立つことが多かった時は、顔の見えぬ人からの誹謗中傷はたくさんありました。
誹謗中傷は有名税だなんて言ったりもします。確かに選手として引退した今では、昔よりはだいぶ少なくなった実感はありますが、
ネットなど細かく探せばあるでしょう。
書かれる方はやはり、グサっときますよね。
私はその嫌な気持ちをどう消化したら良いのか?いろいろ考えた結果、
こう受け止めらたいいんじゃないか?こう解決していったらいいんじゃないか?
という、自分なりの方法に辿り着きました。
①エゴサーチしない。したくなったら他の人にしてもらい、後から聞く。
②エゴサーチしたくなったら、そんな暇がないほど用事を入れて忙しくする。
③コメントに誹謗中傷が来た時は、批判なのか憂さ晴らしなのか区別する。
④誹謗中傷にもし返事をするなら、神対応内容を考える。
⑤誹謗中傷を仕事のネタにしてしまう。
これは、私なりのやり方で、すべての人に当てはまる解決法ではないかもしれません。
しかし、どうしたらよいか?全くわからない人にとっては、糸口にもなり得るのかもしれないと思い、詳しく紹介しようと思います。
①エゴサーチしない。したくなったら他の人にしてもらい、後から聞く。
エゴサーチほど、自分から油を浴びて火の中に入っていくようなものはないと思いました。
どうしても、したくなる、仕事などでしなければならないときなどは、
他の人にしてもらって、その人から聞くことでワンクッション置けるので
今ではそうしています。
そもそも、ネットを見ることをやめ、友達から、炎上してるよ!と言われて初めて気がついたりすることもよくありました。
情報が入ってこなければ、自分が誹謗中傷されているなんて全く気づかなかったという時期もありました。
②エゴサーチしたくなったら、そんな暇がないほど用事を入れて忙しくする。
そもそも、エゴサーチするほどネットを見る時間があるのがよくないと思いました。
現役の時は、ジムや岩で登るか?仕事終わったあと家でネットするか、しかやることがないと、時間を持て余してエゴサーチしてしまうのが、よくないと考えました。
また、上記のように、友達からの情報で炎上してると気がついても、次に絶対やらなければならないことがあれば、気にしてる暇が全くありません。
今では2人の子供の子育て、家事、仕事、体のケア、トレーニング、マンガを描いたり慌ただしい日々を過ごし、次から次へとやることが増え、
このnoteも始めたことで、余計に気にいている暇がなくなりました。
③コメントに誹謗中傷が来た時は、批判なのか憂さ晴らしなのか区別する。
SNSをやっているだけで、見たくもないのにコメントに誹謗中傷が入ることもあります。
そういう場合は、たいていの場合ブロックやすぐ消去ですよね。
今では中傷誹謗も少なくなりました。
FacebookやInstagramのように、完全に匿名でないのも、少なくなった要因だと思います。
あとは、現役時代ほど、私を知っている方も少なくなった(笑)というのも大きい気がします。
死ね!バカ!アホ!などたった一言の誹謗中傷は、単なる相手の「憂さ晴らし」で無意味な言葉。無視します。
簡単に無視します・・・と言っても、もちろん傷つきます。若いころはこの「憂さ晴らし」的な中傷誹謗にものすごくとらわれていましたが、年を取るごとに聞きなれてしまい、自然とさらっと流せるようになりました。
そのひとつに、どんなに自分に「死ね!」という言葉を浴びせても、一人だけでも私に死んでほしくないと思ってる人がいる、どんな状況になっても自分を味方してくれる人がいる、自分が死んだらものすごく困る人がいる、それに気が付く経験をしたら、さらっと流せるようになった気がします。それに気が付かなかった時は、「やっぱり自分は世の中に必要ないのか・・・」という気持ちになって、「憂さ晴らし」の言葉にとらわれていた気がします。
ちゃんと文章になっていて、自分にとって気になる誹謗中傷のコメントが来たときは、私に対するちゃんとした「批判」。
その日はとりあえずさらっと読みます。そして、グサっと凹んでおきます。気になるということは、自分の弱いところや図星のところを突かれていることも多いので、凹むだけ凹みます。
ここで、私は大丈夫!そんなことない!と強気になると、厄介だということに気づきました。
死ね!バカ!アホ!のようなひと言より、論理的、説明的な誹謗中傷のが、より深くココロに傷がつきます。
1週間後、時には1ヶ月後、1年後にまたそのコメントをじっくり読み返します。
すると、前回より凹み具合が浅いことに気がつきます。
また、日を開けて読むと、その間に誹謗中傷でつつかれた自分の弱いところや図星だったところを少し改善させている自分がいて、あまり傷つかなくなっています。
この方法に気がついた時、
ピンチ(誹謗中傷)をチャンス(自分の成長)に変えた!
と言えるんだなと感じた瞬間でした。
1日、2日で、気持ちを解決しようとか、私は強いから大丈夫!とか、自分の気持ちに蓋をしているだけでは、本当にココロが持ちませんし、
自分も弱いところが解決されないままなのです。
根本治療になっていないのです。
同じ弱いところを毎回つつかれ、誹謗中傷の餌食となるのです。自分が気持ちの蓋をせず、時間をかけてでも、少しずつなりたい自分に向け行動をとることが一歩だと思うのです。
それと、ここでのポイントは、コンメンと読み直す間に、暇にしないことです。
常に忙しくして、コメントのひどい言葉を思い出す時間を減らすことも気をつけました。
ですので、今、3コマ目の誹謗中傷コメントをみても、何もグサッときません(笑)
おかげでたくさん、美容について学びましたから。女性はメイクでどうにでもなると。
④誹謗中傷にもし返事をするなら、神対応内容を考える。
かつての私も、誹謗中傷がくれば、応戦していました。
しかし、火に油を注ぐだけで、どんどんヒートアップしていってしまいます。
コメントを無視する、というのも手です。
しかし、注意すべきはそうした時、相手は、
ほーら、いつでも来いよ。これなら、来るか?
と言わんばかりに、どんどんコメントを増やし暴言化していくこともあります。
私は、丁寧に返していくことにしました。
「ご指摘ありがとうございます。アドバイスをしっかり受け止め、日々精進していきます。」
と。文章は自動的にコピペで構わない。
これで誹謗中傷を止める人もいますが、やめない人もいます。
しかし自分の中で、
「私のが大人の対応をした!その証拠をここに半永久的に文章にして残しておいたぞ。」
と自負するだけで、気持ちが落ち着きました。
⑤誹謗中傷を仕事のネタにしてしまう
私の場合は、最終的にこれが1番ピンチをチャンスにし、
「損して得を取れ」
た感じがします。
まさに、この4コママンガにできたことがネタです。
お笑い芸人さんが、自分の誹謗中傷をネタにしてお笑いをとっているように、
自分は、講演や取材されるという仕事もあるので、
ネタにしてしまうことができます。
順風満帆な話だけでは単調で自慢話に聞こえるだけなのに対し、
誹謗中傷、反感、反対から乗り越えたという内容があれば、話の浮き沈みが生まれ、聴いている方も聞き入ってくれることが分かりました。
誹謗中傷が来るたびに、どうネタ話にしようかなぁ、
と考えると、ココロの傷の癒えるのも早いです。
むしろ、誹謗中傷ありがとう!と思えることもありました。
誹謗中傷を書く人の側の気持ちを想像してみる
私はネットなどに誹謗中傷を書いたことは一切ありませんが、
買ったばかりの電化製品や商品など、思ったものと違う場合やうまく作動しない時には、クレームを入れてしまうことがあります。電話や通販のレビューです。
その時のクレームを入れたくなってしまう時の気持ちを考えると、以下の時だと気がつきました。
①自分の中の固定概念やイメージと違うことになっていた場合
②他のことでイライラしている最中に、自分の思い通りに作動しなかった時
③時間が空いた時
①自分の中の固定概念やイメージと違うことになっていた場合
こうなるはずだ!こう作動しなければならない!といった固定概念やイメージと違うことクレームを入れたくなります。
・スイッチを入れれば動くはずだ。
・ここは、グラグラしないはずだ。
・きちんと説明書に書いてあるのに、その通り動かない。
など。これを言い換えると、
・こういう時はこういう行動をすべきだ!
・ここは、そんな考えをしてはいけないはずだ。
・そんなこときちんと教科書に書いてあってのにその通りにしない奴。
そんな時にクレームや誹謗中傷を入れたくなるのではないかと思われます。
自分の中の固定概念や正義感などを崩された時などクレーム、つまり、誹謗中傷を入れたくなる思いました。
なんとなくこの人「嫌い」や相手に対する「嫉み」も自分の固定概念だと言えます。
こういう人はこうに決まってるから嫌いとか、
こういう人は幸せに決まってるから羨ましいとか、
つまり、自分の固定概念で、その人の一面しか理解しておらず
「視野が狭い」と言えるかもしれません。
物事には必ず、光と影、表と裏があります。光や表の部分しか見れないのです。
②他のことでイライラしている最中に、自分の思い通りに作動しなかった時
子供の世話でイライラ
仕事で嫌なことがあってイライラ
夫婦ゲンカでイライラ
そんな時に、思い通りに行かないことやさらに邪魔が入ると
リミットが外れて、爆発してしまいます。
そんな時、クレームを言いたくなってしまいます。
本当にイライラしていたことがすり替わっていることに気づかないことがよくない。
なんで?私はこんなにイライラしているのだろう?
このことか?あのことか?
と自問自答する時間は必要だと思っています。
自分の本当のイライラが見つからないと、
いつまで経っても他のものにすり替えてイライラを発散させようとしてしまいます。
「自分を見つめる」ことが大切だと思います。
③時間が空いた時
少し時間ができると、忘れていたクレームを思い出したかのように頭に浮かんでくることもありますし、
あのことを言わないと、書かないと、と頭で思っていたことを
行動に移してしまうことがあります。
つまり、誹謗中傷を書くのは、書くだけの「暇がある」とも言えます。
生物的な生命維持にとって
優先順位の低い誹謗中傷は、時間が、つまり暇がなければできないことだと思います。
排泄という生命維持が働いて、1時間もトイレを我慢して究極にトイレに行きたい人が、その時間に他人の誹謗中傷をするでしょうか?と考えたりします。
空腹の時も同じく、そういう時は、我慢することにイライラして、暴言を周りに吐くことはあるかもしれませんが(笑)
中傷誹謗する人は、"特定の人をわざわざ探して罵声を浴びせる"のだと思っています。
そういう意味では、危機的な時、トイレを探したり食べ物を探したりするのに夢中な時に、そんなことしている場合や暇がない、ということだと思ってください。
誹謗中傷相手を卑下するだけでは解決にならない
誹謗中傷する相手を
「暇人のすることだ!」
「ただのガキじゃん」
「人間ができてない」
など、卑下することでは自分のココロの解決にはならないと思うのです。
そこに、書きこむか、書きこまないかの大きな違いはありますが、たとえそれを自分のココロの中だけで思っていたとしても、
結局は、誹謗中傷相手が、自分を卑下するコメントをしている心理となんら変わらないのです。
では、私はどうしたか、といえば、
誹謗中傷相手が、この後どんなに死ぬほど人生を頑張ったとしても、私の人生に追いつかないところまで自分が進むしかない
と考えました。
それが、自己紹介でも書きましたが、
世界女性初のV14をチャレンジし、登ったことです。
この経歴を誹謗中傷する人もいました。
しかし、私の中では、言われた相手に対して、
「じゃあ、やってごらんよ。残りの人生全部かけて、この岩登ってごらんよ。それから聞くわ。」
という気持ちが強くなりました。
つまり、自分の進んだ分が「自信」になったと思うのです。
自分に自信がなくなれば、誹謗中傷に潰されてしまいます。
自分に自信ができれば、跳ね返すことができます。
また、反対に誹謗中傷する人は自分に自信がないとも言えます。
自分に満ち足りている人は、誹謗中傷をしないと思うのです。
自分に満ち足りていないと、それを穴埋めするかのように、誰かの誹謗中傷にすり替えて、相手を卑下することで自分に自信をつけようとしているのだと思います。
しかし、そんな偽りの自信はすぐ崩れ落ちてしまいますよね。
続けていけば伝説になる
私が最もココロに残っている言葉があります。
それが
「続けていけば伝説になる」
です。
サッカーの三浦知良選手が、マスコミや世間からバッシングを受けていた時期がありました。
その時、どこかのコメンテーターが言った言葉です。
「今は三浦選手、辛い時期だと思いますが、ジャイアント馬場みたいに、50.60歳まで辞めないで諦めず続けていくことですね。そうすれば必ずカズは伝説になりますから」
私はこの言葉に救われました。そして、本当に三浦選手はサッカー界の伝説となりました。
どんなに誹謗中傷を浴びせられても、ずっと続けていけば、神の如くあがめられるようになってしまう。敵が味方になる。
私が、誹謗中傷を乗り越えられたのは、これの言葉が一番大きい気もします。
だから、私は40歳過ぎて、子供が2人いても、現役時代よりレベルも衰えようが、まだまだ登り続けるのです。
まとめ
誹謗中傷は決して良いことではありません。
新型コロナウィルスと同じく、無くなる事はありません。しかし収縮させる事はできます。
私たちがこれから、新しい生活様式によって新型コロナウィルスと共に生きて行かなければならないのと同様、なくなることのない誹謗中傷と共に生きて行かなければならないのです。
そのためには、誹謗中傷とどう付き合って消化していくかというのがやはり大切だと思います。
また、中傷誹謗の定義も広く、少しの反論のつもりが、自分も知らず知らず相手を傷つけていないとも限らりません。
誹謗中傷を受け止める、また、誹謗中傷をしないためには、
まとめると、
●視野を広く持つこと。表と裏、光を影の両面を必ず見つける。
●日々忙しく充実して生きる。無駄な時間(*)をなるべく作らない。
●自分を見つめ、感情の分析をする。
●自分に自信をつけ、自分にとって満ち足りた人生を目指していく。
●やりたいことをずっと続けていくこと。
(*)について。
無駄な時間の定義が難しいかもしれませんが、私の中で、
「休息」は無駄でなく、「休息」という必要な時間だと私は定義しています。
お茶を飲んでほっとりたり、岩盤浴やったり、ボーッとテレビ見て笑ったり、など。次の活動につなげるための大切な時間。
私の中の無駄な時間は、
今必要でない、無意味な情報を得るようなネットサーフィンやエゴサーチなどをすること。
無駄な時間だな、と感じています。自分の頭をリフレッシュのためでなく、必要な情報を得るためではなく、
不必要な情報で自分をキャパオーバーにしてしまう。
そんな時間なら、寝てしまった方が次の活動のために、有効だと思います。
人には人の情報の容量があると思うのです。
今の時代ならではだと思います。
今回は、私の方法をご紹介しました。私は心理士でもなければ、メンタルの専門家でもありません。いちアスリートとして、自分の経験から分析して見つけた方法です。
皆さんが自分自身のやり方を見つけられるように願っています。
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