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コロナ渦中の五輪選手選考問題とクライマー独特の気持ちの切り替え

手書き漫画

まずはこちらをご覧ください。

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招待枠問題

マンガの通り、最後の20人目に決まるはずだった招待枠の選手が、
コロナの影響で、世界的にスポーツの大会が延期や中止となり、
スポーツクライミングも例外でなく、大陸別選手権が延期となりました。
その最中、招待枠選手を決める期限が来てしまい、
大陸別選手権の延期大会を待たずして決まってしまったわけです。

すでに決まっている15人の国以外の選手だったらなんら問題はなかったでしょうが、
各国2名までという枠が決まっているので、このような事態となったわけです。

男子の招待枠はイタリアの選手でしたが、女子ではフランスで同じようなことが起こり、招待枠にフランスの選手が決まったために、
あとひと枠を大陸別選手権にかけていた他のフランスの選手は涙を飲むことになりました。

未曾有の事態ですので、もう少し柔軟に対応できなかったのかな?という個人的な思いもあります。

日本の選手協議中問題

1コマ目にの4番の選手が協議中と書いてありますが、
これは、日本の協会の解釈と国際協会の解釈の相違が生んだ問題で、昨年からずっと仲裁裁判で調停中です。
どのような相違だったのか?具体的ことは、調停中ということで一切公表されていませんし、協会の方に聞いても教えてくれませんでした。

私の推測になりますが、簡単に説明すると、こんな感じではないかと思われます。
下記のマンガをご覧ください。

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簡単に説明といいましが、なかなか複雑だったりします。実は女子も、世界選手権の決勝に日本人が4人入り込み、全く同じ問題が起こっています。

開催国枠については、いつまでに使用するのか?誰の権限が優先なのか?など、説明が紙面でなされておらず、ここに日本側と国際側の開催国枠の解釈の違いが生じたのではないかと思われます。

日本の協会の解釈に沿えば、
2枠取れた場合、1枠は手堅い選手を早々と内定させておき、
もう1枠は日本の選考で決められる開催国枠を使ってギリギリで調子の良い選手を送り出したいという狙いもあったと思います。

より多くの選手にギリギリまでチャンスを持たせてあげようとい想いがあったとは聞いています。

より詳しく知りたい方は、
私のアメブロにより深い考察と考えられる今後の対策を掲載しています。

オリンピック選考問題を深く考察してみた。

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この記事を書いている2020年5月現在でも協議中ということです。


新型コロナウイルスのパンデミックにより、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催も来年可能なのか?どうかもわからない状態ですが、選手のためにも早い解決を願っています。

自然と人工、クライミングの二面性

スポーツクライミングは、人工の壁で順位を競い合います。
制限時間との戦い、相手との戦い、観客の応援、一回切りのトライという緊張感、

より"順位"を上げていくことに価値を見出しています。

かたやロッククライミングは、より困難な自然の岩や壁を登っていきます。
自分だけの戦い、孤独との戦い、いつ登れるか分からないという忍耐力、

前人未到の岩壁を登って"記録"を作っていくことに価値を見出しています。

クライマーなら、どちらが好きか?とたずねれば、
9割はロッククライミングの楽しいと答えるのではないでしょうか?

やはり、自然の岩壁を登り切る達成感は、ほかに変えがたいものがあります。

試合ではたとえゴールまで登りきれなくても、順位は決まっていきますから、
頂上まで登ることが本来のクライマーの姿であり哲学であると考えると
ロッククライミングのが楽しいクライマーのが多いというのも納得いただけるでしょうか?

なかには、競技や順位に興味もなく、試合に出たくない。
ロッククライミングだけやっていたいが、スポンサーの絡みがあってしぶしぶ出場している、なんて選手もいました。

オリンピックは、また特別な大会ですので、
4コママンガの3コマ目のステファノ選手が本当は出たくないと思っていたとは考えにくいですが、
クライマーでない方は以上のようなことを想像していただければ、彼のコメントにも
少しは共感していたどけるのではないでしょうか?

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私の場合

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私がワールドカップの決勝当日に遅刻してしまった件。
なぜ、そのような事態が起こってのか?

現在では、日本でワールドカップが行われる場合でも、日本の選手や監督は皆同じホテルに宿泊し、情報が共有できるようになっていますが、
当時は、自宅から会場に直接向かうことも大丈夫でした。

なぜか?

宿泊費が自腹だったからです(笑)

私は節約のため会場の近くに宿泊せず、自宅から会場に向かいました。

他にもそういう選手がいましたが、
なぜ?私だけ連絡が回ってこなかったから?は未だ不明です。

もしかして、自宅からの会場に向かった選手は、みんな連絡が来なかってものの早め到着し、ギリギリ間に合っていたのかもしれません。

では、なぜ、私は早く出なかったのか?

この時期、私は、大会に嫌気がさしていました。

「もう‥、これ以上出たくない‥」
「なるべく会場に居たくもない‥」
「私が出なくても誰かが悲しむわけでもない」

気持ちはライバルでなく、岩に向かっていました。

ですので、大会に遅刻して出られないと言われても、
あ、そう。くらいにしか思いませんでした。

私がワールドカップで決勝に行ったところで、何か自分の人生が変わるわけでもない。
その時の一瞬の喜びだけで、またすぐにそれは消えてしまう。

私は、頂上を目指して岩に挑み、岩の上に立つことで自分の想いを刻んでいきたい!それを岩の存在とともに、その記録を半永久的に残したい。
岩を制覇するとは全く違った感情です。
岩を理解し一体化していく感覚といったらよいでしょうか?

そんな気持ちが強くなっていました。

「ハイドラ」というのは、岩の登るラインにつけられた名前です。

当時このハイドラという四段+を、チャレンジしている真っ最中でした。

3年ほどチャレンジして、最後のガバ(大きな凹み)を取るところで、落ちてしまって以来、
忍耐力と気力がすっかりなくなり、チャレンジする事はなくなりました。

結局ハイドラを登りきる事はできませんでしたが、
チャレンジしてきた想いは私の心と岩にしっかりと刻まれていると思っています。

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