映画『Saturday Night Fever』
2024.06.17 上記観測。
『鋼の錬金術師』の単行本付録か何かで、マスタング大佐が腕から細い紐を大量に生やした服を着ている。
その横に「サタデーナイトフィーバー」と書いてある。
オガワは元ネタを調査するべく、アマゾンプライムビデオの奥地へと進んだ。
思っていたより暗い映画だった。
サムネイルはクラブのど真ん中で踊っている明るさの権化のような画像なのに。
主人公の父親は不景気で職を失っており、家族はいつもピリピリしている。
兄がまたよくできた人で、物語の冒頭では地方で牧師の仕事をしていて、主人公はそれがコンプレックスで、家に居場所がない。
そのため金曜の夜にクラブで開催されるダンス大会で優勝することにチームと共に燃えている。
確かに青年が大人になる話で、他のチームとの抗争やら同じ派閥の女の子との痴話喧嘩みたいなのもあるので、ある種ヤンキー漫画っぽいのだが、主人公は自分の今まで信じてきたものを全て失って終わる。
しかして、オガワはそこにどことなく安心感を覚えるというか、多分最後のシーンで、作中ずっとちょっかいかけてた女の胸に抱かれて胎児のように丸まっている主人公が、やっと肩肘張らずに息をつける場所を見つけた感じがして安心するのだろう。
でも奴らはよしんばセフレ止まり(個人的な解釈)なので、そこもまた安心するというか。
オガワは元々絶望の上に成り立つ安心の中で生きているので、こういう映画と親和性が高いのだろうと思う。
いつも「しょうがない」と「それでも生きていかねばならん」の中にいるので、同じような価値観のものを見ると安心するのだ。