『きおいもん』 第六話
○屋台のそば屋・中(日替わり・夜)
芳三郎、重右衛門、お栄、そばを啜る。
× × ×
屋台の上に置かれる空のどんぶり。
芳三郎「ごちそうさん」
そば屋「へえまいど」
芳三郎「お代はこいつがまとめて払うからよ」
芳三郎、まだ食べている重右衛門を指す。
お栄もまだ食べている。
重右衛門「……早いな」
芳三郎「おうよ。さっさと食えよ二人とも。もう今晩でおわらせっぞ」
お栄「……あたしの分はもう終わったよ」
芳三郎「あそっか。じゃあシゲ。早く食えよ」
芳三郎、楊枝をくわえ、のれんの外へ。
○武家町・川沿い(夜)
区画が整理された武家町の川沿い、
いくつかの屋台が並ぶ。客はまばら。
そば屋の屋台から出てくる芳三郎。
芳三郎、腫れた右腕を、
さらし布越しにそっとさする。
○屋台のそば屋・中(夜)
お栄、そばを食べながら、重右衛門に、
お栄「……後はあんた一人でやんな」
重右衛門「え?」
お栄「出来るだろ。もう馬琴にみせる必要もないんだし。あんたがよしとすりゃ終だ」
重右衛門「……それはそうですが」
お栄「……そういう、勘所を他人に任しちまう量分まで、北斎の真似しちゃダメだよ」
お栄、そばを食べおわる。
お栄「ごちそうさん」
そば屋「へえまいど」
○武家町・川沿い
芳三郎、肩を回している。
お栄、そば屋から出てくる。
重右衛門「お栄さん!」
重右衛門、お栄に続いて出てくる。
芳三郎「……ん? どうした?」
そば屋「お客さん、お勘定を!」
そば屋の屋台から店主が叫ぶ。
三人、そば屋を振り返る。
重右衛門「あ……」
重右衛門、袂の小銭を芳三郎に渡し、
重右衛門「すまんが払ってきてくれないか」
芳三郎「……なんだよ」
芳三郎、蕎麦屋に金を払いにいく。
重右衛門、お栄に、
重右衛門「……あの、お栄さん、色さしを、お願いできないでしょうか?」
お栄、面倒そうに重右衛門を睨む。
お栄「色さし? 読本なのに?」
重右衛門「はい。二色刷りですが。でも永寿堂とは版下絵までの約束なんです。色さしは、私が慣れていないので、永寿堂に任せるつもりでした……」
蕎麦屋から芳三郎、
話を聞きながら戻ってくる。
お栄「じゃ永寿堂にやらせなよ」
重右衛門「……」
芳三郎、重右衛門の肩をたたき、
芳三郎「じゃあ俺がやるよ。色さしだってさっさとやらねえと年の瀬に間に合わねえ」
重右衛門「(お栄に)二分払います」
芳三郎「え? じゃぜってえ俺やる! やるやる!」
重右衛門「(芳三郎に)すまない。お栄さんにやってもらいたいんだ」
芳三郎、口を尖らせる。
重右衛門「(お栄に)色は、勘所なので」
お栄、舌打ちして、
お栄「……あああもう!」
お栄、重右衛門にふり返り、
お栄「……絵師に頼むんなら、頼み方ってもんがあるだろ?」
重右衛門「(笑)……応為先生、どうかよろしくお願いいたします」
お栄「ん。二分な。おいでヨシ。奢ってやる」
芳三郎「え?」
お栄、おでんの屋台に向かう。
芳三郎「おいでって……こっちはまだ終わってねえんだよ」
重右衛門「いや。行ってくれ」
芳三郎「え?」
重右衛門、真っ直ぐ芳三郎に向かって、
重右衛門「大丈夫だ。私ひとりで、今晩中に終わらせる」
芳三郎、つまらなそうに口を尖らせる。
芳三郎「……ちっ。わかったよ」
芳三郎、おでん屋に歩き出す。
重右衛門「芳三郎」
芳三郎、ふり返って、
芳三郎「なんだよ?」
重右衛門「……本当にありがとう。お前がいなかったら、私はきっとあきらめていた」
芳三郎「……よせよ。俺も楽しかったからよ。北斎の爺さん所で描いてたみてえだった」
重右衛門と芳三郎、微笑いあう。
芳三郎、おでん屋に振り返り歩き出す。
が、思い出したように大声で、
芳三郎「(振り返って)あ、シゲ。お前、シゲエモンよりよ、広重のが呼びやすいぜ」
芳三郎、おでん屋の暖簾を開けて、
芳三郎「じゃ。後よろしくな」
おでん屋に入る芳三郎。
重右衛門「……お前こそ。国芳の方が覚えやすい」
独りつぶやく重右衛門。
○おでんの屋台・中(夜)
芳三郎、さみいさみいと体をさすり、
籠からぐい呑みを選んで一つ取る。
隣のお栄の顔、もうほのかに紅い。
芳三郎、燗酒をぐい呑みに注ぐが、空。
芳三郎「おい。もう一本くれ……」
○重右衛門の屋敷・書斎(夜)
行燈を車座に囲む三つの机、
座っているのは重右衛門ひとり。
重右衛門、集中し、筆を動かす。
○おでんの屋台・中(夜)
静かに呑むお栄と芳三郎。
芳三郎「……彫りは彫り吟だとよ」
お栄「……摺りは?」
芳三郎「(ため息)権三だよ」
お栄「……権三は嫌だ。弥次さんとこにしな」
芳三郎「……おれに言うなよ」
○重右衛門の屋敷・外観(早朝・日替わり)
夜明け。紫に澄んだ空。
○同・書斎(早朝)
閉め切られた障子越しに、朝の光。
重右衛門、描き上げた絵を手に取って、
眺める。
重右衛門「……よし」
重右衛門、筆を置く。
○彫り吟・工房(日替わり)
職人たちの後ろで撃を飛ばす西村屋。
西村屋「さあ急いでくれ急いでくれ! もたもたやってんなら倍がけの代金は払わないぞ!」
大所帯の工房、十人以上の彫り師たち、
重右衛門らの絵を貼った版を、
彫刻刀でシュッシュッと彫っていく。
○永寿堂・客座敷(日替わり)
畳に並べられた、
版下木で摺り上がった白黒の挿絵。
朱墨で色指定・色さしが施されている。
九兵衛、店の者らと絵を確認する。
○同・庭
客間の縁側、お栄、隣に西村屋。
開いた障子から作業する九兵衛らの姿。
西村屋「ダメだダメだ。弥次んとこは高え。摺りは権三んとこに、もう話つけてある」
お栄、片方の手をサッと出し、
お栄「……じゃあ返せよ落款印。親父の」
西村屋、言葉に詰まる。
西村屋「……分かった。弥次んとこにするよ」
憎々しげに西村屋。
○重右衛門の屋敷・書斎(日替わり)
綺麗に片付けられた書斎。
重右衛門、咲、トキの三人が、
向かい合って座っている。
咲「え?」
重右衛門「正式に断って来た。お前を、ヨソになどやらない。お前の家は、この貧乏な侍の家だ」
咲に微笑む重右衛門。
咲「……」
咲、トキの顔をみる。微笑むトキ。
咲、喜びを隠し、大人びた物言いで、
咲「……じゃあ、この家を金持ちにするには、私が頑張るしかないですね」
重右衛門、トキ、顔を見合わせ微笑む。
○同・店内(日替わり)
店の框、疲れた様子で座る西村屋。
西村屋「……あともう少しだ(独り言)」
九兵衛、西村屋の側により、
九兵衛「……旦那」
西村屋「なんだ?」
九兵衛、帳簿を開いて、
九兵衛「……算術してみたんですけど、これだけ売らないと……」
西村屋、帳簿をみる。
九兵衛「赤んなります……八犬伝」
西村屋、目を丸くする。
西村屋「里帰りするヤツ、全員に売ってもこんな数無理だ!」
九兵衛「……へえ……どうしましょう?」
西村屋、逡巡して、
西村屋「……値段を十倍にしろ」
九兵衛「えええ!」
西村屋「……その値段でも、この読本は必ず売れる。いや売ってみせる!」
○江戸の空(日替わり・夜)
闇夜が赤く染まる。
半鐘の音、鳴り始める。
○待合茶屋・中(夜)
西村屋、薄化粧の芸者の腰に手を回し、
酒を飲んでいる。
襖を開けて九兵衛、駆け込んで来る。
西村屋「なんだお前!」
九兵衛「はぁはぁ……やっぱりここでしたか」
半鐘の音が聞こえてくる西村屋。
○酒蔵の屋根(夜)
赤い綿入りの長襦袢のお栄、
数人の見物客と火事を眺めている。
芳三郎、屋根の上にが上がってくる。
芳三郎「(お栄に)相変わらずここかい?」
お栄「……珍しいね」
芳三郎、お栄の側にやって来る。
芳三郎「ああ。火元が珍しく武家屋敷の方だからな。ちと遠いや」
お栄「……シゲの家、だいじょうぶかい?」
芳三郎「大丈夫大丈夫。あいつんとこ鉄砲州だから。火元はもっと江戸城の方だ」
○江戸城付近(夜)
燃え盛る炎。鳴り響く半鐘。轟く怒号。
火事場の最前線、重右衛門、臥煙らと
荷車から雲龍水をおろす。
あたふたする重右衛門。
臥煙ら、水槽に空気を送り込む。
重右衛門、水の出し口を構えようとするが、
焦って手が滑る。
哲蔵、出し口をしかと掴み、
重右衛門に差し出しす。
重右衛門「(哲蔵に)……すまない」
哲蔵「うるせええ!」
哲蔵、一喝。
重右衛門「……」
哲蔵「しっかり頼むぜおカシラ!」
重右衛門、頷き、出し口をしっかり受け取り、
哲蔵らと共に構える。
重右衛門「……よし」
重右衛門、思い切り腹に力を入れて。
重右衛門「放てえええ!」
雲龍水、怒涛の激流を放つ。
○酒蔵の屋根(夜)
遠くの火事を眺めるお栄と芳三郎。
芳三郎「おー。結構燃えてんなー。大名屋敷に、火付け物盗りが入ったんだな、きっと。ざまあみやがれだ。シゲ、家は大丈夫だけど、勤めへ出てるとこはやべえかもな」
お栄「……そいや、シゲって、どこ勤めてん
だっけ?」
芳三郎「しらね」
○摺り師の工房前(夜)
材木置き場に近い、摺り師の工房。
火の勢いがすぐそこまで来ている。
寝巻き姿の男たち、
工房から版画の版木を運び出している。
多色摺り版木の数は膨大で、
すぐには運びきれない。
工房の前には気の立った町火消し衆、
工房を打ち壊そうと息巻いている。
立ちはだかる西村屋と九兵衛。
西村屋「頼む! もうちょとまってくれ!」
町火消し衆「どきやがれこの野郎!」
西村屋「……あと少しなんだ。あと少しで、版木を全部運び出せる……それまでこいつら……絶対通すんじゃねえぞ九兵衛!」
九兵衛「あたりめえです旦那!」
町火消し衆、突入する。
西村屋、九兵衛、体を張って止める。
○江戸の町・焼け跡(数日後、朝)
焼け野原になった一帯。
T「数日後」
焼け出され、彷徨い歩く人々。
○永寿堂・店内
開店前の店内、店の棚に並べられた、
『南総里見八犬伝』第七集。
疵だらけの西村屋と九兵衛、感無量。
九兵衛「……ついに。やりましたね旦那様」
西村屋、八犬伝を手に、目を潤ませ、
西村屋「……ああ。この読本は、なんとしても、多くの者に読んでもらいてえ」
九兵衛、西村屋に聞こえぬよう、
そっとささやく。
九兵衛「……もう旦那、先代とっくに超えてますよ(微笑)」
○永寿堂・店前
店の者、開店のために外に出る。と、
待ち構えていた町奉行所の一行。
NA「文政年は十二年で終わり、代わって天保年となる」
○永寿堂・店内
町奉行所一行、店に入り込む。
先頭、町奉行所与力、証文を掲げ、
与力「倹約令のお達しだ! 本日売り出すその八犬伝、不当に高価で贅沢として、即刻販売差し止めと致す!」
西村屋と九兵衛、唖然。
○江戸の町・焼け跡
焼け野原を歩く、芳三郎と太助。
NA「天保年間には飢饉や動乱が多発、幕府は天保の改革を行い、政治の安定を図る」
太助「……あ。ヤス、覚えてっか?」
芳三郎「おう。あのわけえの」
太助「ヘマして死んじまった。この火事でよ」
芳三郎「……そっか」
二人、なんとなく立ち止まる。
冷たい北風、吹いてくる。
芳三郎、鼻をこすって、
右手に巻かれたさらし布をほどく。
芳三郎「……龍。ちゃんと描いてやりゃよかったな」
芳三郎、さらし布を放る。
焼け野原を、北風に乗って飛んでいく、
白く、うすよごれたさらし布。
NA「改革の倹約令により、歌舞伎、寄席、読本、浮世絵など、文化文政の頃、最も栄えた庶民の娯楽は、より厳しい取り締まりを受けることとなる」
○永寿堂・店前
去っていく奉行所一行。
頭を下げて見送る西村屋、店の者たち。
西村屋、頭を下げたまま、
西村屋「俺はあきらめねえぞ……」
○小田原の海(日替わり)
浜辺から見える立派な富士山。
浜辺で富士山を素描する葛飾北斎(60)。
旅装束の男、素描を眺め感心する。
男「……はあ。じいさん、あんた上手だなも」
北斎、筆を止めず、
北斎「……まだまだでい」
男「ワシも絵、描くんだわ。て、いっとっても、北斎の絵、お手本にしとるだけやけど」
北斎、密かに悦に入り、
北斎「アラぁ、俺もときどき、手本にするよ」
男「そやろう! あ、北斎っていやあ、いま江戸で、八犬伝の続きが売り出されとるらしくてさあ、なんと挿絵が、北斎なんだわ! 知っとった?」
北斎、筆を止め、しばし考える。
北斎「……しらね」
北斎、再び筆をうごかす。
NA「この画工・北斎、でも実際」
○重右衛門の屋敷・書斎(日替わり)
風景絵を肉筆で描く重右衛門。
青くそびえる富士山の風景画。
NA「広重」
○居酒屋いせや・店前
軒先の長椅子、町火消し達に囲まれ、
酔虎伝の英傑を素描する芳三郎。
全身に彫り物の入った英傑たち。
NA「国芳」
○北斎の長屋・中
美人画を肉筆で描くお栄。
宵闇に映える真っ赤な着物の美人画。
NA「応為により描かれた八犬伝の挿絵版画は……」
お栄、嫌な予感。
○日本橋の通り
旅装束の北斎、歩いている。
通り過ぎる人々、北斎に振り返る者はいない。
NA「版木も幕府に没収、焼却され、残念ながら、現在我々が見ることはできない」
○北斎の長屋・中
北斎、戸を開ける。
北斎「おうい。帰ったぞ」
お栄、筆を持ったまま、
お栄「……(舌打ち)」
<おわり>