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(5)サンフランシスコの恐怖『サンフランシスコにもういない』

 旅には恐怖がつきものだ。
 アメリカは銃社会だし、サンフランシスコでは日本で禁止されている薬物も一部で合法だ。それだけで安易に危険を連想するのもどうかと思うけど、漫然とした不安は拭いきれない。
 そんな予感が的中する出来事があった。
 ある週末、僕は語学学校で出会った日本人留学生のY君と街中をぶらぶらしていた。Y君は僕よりも数カ月以上サンフランシスコ滞在が長かったが、週末はほとんど家から出ていなかった。Y君は常々ホストマザーに外出しなよ、と言われていたそうで、外で遊びたい盛りの僕が週末出かけるという話をしたところ、せっかくならと一緒に外出する運びとなった。
 Y君は僕よりも一つ年上で、東京都出身の物静かな青年だった。短髪で背丈は平均的、おとなしい感じの風貌だ。
 Y君と僕は中心街から少し外れた路地を歩いていた。そこはビルに陽光が遮られ、真夏だというのにどこか寒々とした乾いた風が吹く通りだった。周辺には鼻孔を刺す公衆便所のような臭いが立ち込めている。まるで尿で作ったつららで鼻の奥を突きさされているような不快感だった。
 無口なY君はおもむろに口を開いた。
「ねえ」
 滅多に自分から喋り出さないY君だ。相当言いたいことがあるのだろう。
「はい、なんですか」
「この辺、ドラッグのにおいするね」
「そんなこと言われても、わかるわけないじゃないですか。はははっ」
 えっ、なんでわかるの?
 ドラッグのにおいとはこのおしっこつらら臭のことを言っているのだろうか。生憎ドラッグを知らない僕には同意しようがない。 
 しかし彼がドラッグのにおいを知っていることにもすぐに合点が行く。
カリフォルニア州では日本で禁止されている一部の薬物が合法だ。僕よりも遥かに滞在期間が長い彼のことだから、どこかで試したのかもしれない。これはそれほど荒唐無稽な発想でもなく、じっさいに語学学校にいた別の日本人の知り合いもこちらに来てから合法ドラッグをやってみたと言っていた。
 僕は訊ねた。
「このアンモニア臭みたいなのって、ドラッグのニオイなんですか?」
「うん、そう」
「へえ、そうなんだ。でもドラッグのニオイなんかよく知ってますね。どっかでやったことあるんですか?」
「うん」
 やっぱり。
「どこのお店で買ったんですか?」
「ああ、渋谷」
「…………」

 死ぬほど恐かった。



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