成長するのに「緊張感」は必要か
緊張感は必要ないと思うワケ
ぼくは子どもの頃、緊張がとても嫌いだった。
先生の目を異常に気にして伸び伸びできない空気感が嫌で嫌でたまらなかった。
先生だけじゃない。先輩とか、監督とか、怖い人がいる空気感の中でやることが本当に好きじゃなかった。
気持ちの問題だけじゃなく、自分なりに工夫したり思いっきりチャレンジしたりすることができない窮屈さも嫌だった。緊張感の中に成長は無いって子ども心に思いながら、大人になった。
大学では好きなことを好きなように学べた。伸び伸びできる空気感がたまらなく好きだった。自分が成長していっている感覚にあった。
でも、大村はま先生は、緊張のない教室に学びはないとおっしゃっている。
成長するのに緊張感は必要なのだろうか。
今、6年生を担任している。教員4年目で初の6年担任。単学級ということもあり、周りの先生方がとてもよくサポートしてくださる。とてもありがたい。
最近、卒業式の練習の中で、周りの先生方が6年生にゲキを飛ばす場面が目立った。6年生はプレッシャーを感じて泣き出してしまうくらいに。
こんなふうになってしまって申し訳ないという気持ちと、なんで言われたことをできないんだという苛立ち、それから、でも一人一人一生懸命やってるんだよねという共感とで、ぐちゃぐちゃになる。
成長するのに緊張感は必要なのだろうか。
こんなことも考えたことがある。自分のクラスには締まりがないなあと。
締まりがないとパフォーマンス力が落ちるのが分かる。明らかに隣のクラスとは、子どもの動き方やメリハリが違うのだ。やはり、成長するのに緊張感は必要なのだろうか。
ぼくが考えついた現時点での答えは
成長するのに、緊張感は必要である。
だ。
そして、緊張感には良い緊張感と良くない緊張感があるのではないかと思う。
良い緊張感は、一人一人の気持ちが本質的なめあてに向かっているときの緊張感。
良くない緊張感は、萎縮してしまって本質的なめあてとは違うところに意識が向かってしまっているときの緊張感。
思わず夢中になるような緊張感が良い緊張感。
がんじがらめになるような緊張感が良くない緊張感。
どうだろう。
そう言えば大学の頃も、自分からゼミに行ったり先生に尋ねに行ったり、
好きなことを学んでいたけれどその中で、学ぶために自分から緊張感を求めて行っていたのかもしれない。
とりあえず、緊張感のない教室で伸び伸びさせるのではなくて「良い緊張感」の中で伸び伸びできる教室を目指していこう。そのためには、どんなことをしたら良いのか、考えていこう。