“3Dインターネット メタバース”は、Web 2.0の次のパラダイム (過去ヒストリー:僕が3Di 社でやったこと【第1回】)
表題は小川が創業者&社長CEOしていたVR・仮想空間ビジネスの3Di社(スリー・ディー・アイ)の2007年7月のInternet watch取材記事です。繰り返し一定のサイクルでブームを繰り返すVR・AR・MRですが、このインタビュー記事のコメントで古くなっている部分もあれば、今やっと時代が追いついてこれから出来ることがあり、これからどうなるか、うーむ今読むと予言的?(笑)で興味深いので参考になれば笑。当時の事業計画書は手元に残っていないのですが、小川もそうですが主要メンバーは当時のアイデアがまだ頭に残っていて、もう一度事業計画書を書いてメンバーを再度集めたら今度はうまくできるかもしれないという誇大妄想があります笑。
いずれにしても、この起業家&CEOとしてエキサイティング&大変苦労した経験を反芻しながら、今のベンチャーキャピタルの仕事に活かして投資&アドバイスをする様に心掛けています。起業&CEOは、起業前のDIでのコンサル時代は「自分でやれる」と思っていましたが、そんな簡単なものではなく「やってみないとわからない」ところが多々あったというのが個人的な感想です。やっぱり米国でもベンチャーキャピタリストで起業家向けに投資&アドバイスする仕事としては、起業家&CXO出身が大半を占めるのは頷けるところです。3Diで何やっていたかと起業家によく質問もされるので、少しづつnoteにメモを、表題記事に加えていくつか残しておこうかということでして、ご笑納下さい。今回は初回です。
■“3Dインターネット”は、Web 2.0の次のパラダイム
(2007年7月のInternet watch取材記事)
ngi group(旧ネットエイジグループ)子会社の3Diとngi mediaが17日、「Second Life」をはじめとするメタバース(3Dバーチャルワールド)に関する情報を専門的に扱うポータルサイト「THE SECOND TIMES」をオープンした。3Diは、その名の通り“3Dインターネット”事業のための会社として、ngi groupが6月に設立した会社だ。THE SECOND TIMESの開設に至る経緯なども踏まえながら、ngi groupにおけるメタバース事業の位置付けについて、3Di代表取締役社長の小川剛氏と代表取締役副社長CTOの竺振宇氏に話をうかがった。
● “Web 2.0”の次に来る“3Dインターネット”を中核事業に
3Di代表取締役社長の小川剛氏(右)と、代表取締役副社長CTOの竺振宇氏(左)
──まずは、社名の由来ともなっている3Dインターネットの位置付けを教えてください。
小川氏:ngi groupでは、“Web 2.0”の次に来るものは何かを検討し、それは3Dインターネットだという結論を出しました。3Dインターネットは、まさにngi groupの中核事業の柱として動き始めました。
──3Dインターネットとメタバースとは違うものなのでしょうか。
小川氏:我々の中では、3Dインターネットという大きな事業の中に、「メタバース」「Web3D」「ネットワークゲーム」という3つの分野を設定しています。THE SECOND TIMESは、このうちメタバースをテーマとしたサイトです。また、これら3つは、PCだけではなく、モバイルやゲームなどさまざまなネットワークのプラットフォームに乗ってくるものと考えています。我々はこれらを、3Dインターネットも包含して「Next Generation Internet」と呼んでおり、これがngi groupという新しい社名の由来でもあります。
──ngi groupの事業は今後、Web 2.0から3Dインターネットにシフトしていくと?
小川氏:我々としては、Web 2.0と3Dインターネット、さらには旧来のメディアも含めて全体を横断的にインテグレーションしていくビジネスがやはり求められるだろうという発想です。
● すべてのeビジネスを“vビジネス”に
──ngi groupが手がける3Dインターネット事業の内容を教えてください。
小川氏:ビジネスモデル的には、「バーチャルサービス(v-service) 」「バーチャルビジネス(v-business)」「バーチャルプラットフォーム(v-platform)」「バーチャルテクノロジー(v-technology)」「バーチャルインテグレーション(v-integration)」という5つの事業があります。
v-serviceとは、Second Lifeであれば、その中にオブジェクトを作ったりアバターを作るというクリエイティブの世界です。ただし、これは遅かれ早かれ過当競争になり、それほど儲かるものではないはずです。
そうなると、v-business以降が重要になります。これは、リアルビジネスがeビジネスになっていったように、次はすべてがバーチャルビジネスに置き換わっていくという考えに基づいています。eビジネスではngi groupも相当の強みを持っています。これをバーチャルビジネスに変換していく事業をやっていきます。
──メタバース内に出店することがバーチャルビジネスなのでしょうか。
小川氏:出店することだけでなく、その中で課金・決済の仕組みを作ったり、ポイントサービスの展開、全体のマーケティングデータの提供など、eビジネスのバックエンドやパッケージソフトが実現していたような機能を、メタバースに進出する企業向けに提供していくことです。また、eビジネスで提供しているコールセンターについても、アバターが対応する“バーチャルコールセンター”に置き換えられます。メタバース内の人材派遣もニーズがあります。
● 日本人向けに独自開発のメタバースも展開へ
小川氏:v-platformは、メタバースのプラットフォームの独自開発を目指すものです。
──独自開発したとして、Second Lifeのようなメタバースは、日本でも普及するのでしょうか?
竺氏:たとえるなら、米国発のSNSは日本で受けないが、mixiは普及したということです。
小川氏:ngi groupは、Web 2.0の世界でミクシィという企業を育てました。mixiで学んだことを3Dインターネットでも実現しようと考えています。我々は日本人向けのメタバースのプラットフォームを作りたい。今話せるのはそこまでです。
──たとえば、mixiと何らかの連携をとることも考えられるのでしょうか。
竺氏:mixiだけではなく、テレビや映画などの既存メディアと横断する可能性はあります。さらに言うと、10年後にはもしかすると3Dインターネットがメインになっているかもしれません。逆に、(既存のサービスやメディアが)その中の一部になっているという考え方もあります。
──Second Lifeには高スペックのPCが要求されますが、日本ではノートPCが主流です。一方で日本では携帯電話がカギになると思いますが、まだメタバースを楽しめるほど高機能ではありません。独自開発するメタバースの携帯電話での展開は?
小川氏:限界があるからこそ仕掛けを考えているのであり、技術的なことで解決できるところまで来ています。現行の携帯電話で対応できるもので、年内には発表するでしょう。すでにプロトタイプは出来上がっています。
● メタバース上をクロールする検索エンジンを開発
「THE SECOND TIMES」で提供するイエローページコーナー「Second Life ワールドディレクトリ」
小川氏:次に、v-technologyとは、THE SECOND TIMESのイエローページでも活用しているメタバースの検索技術など、いろいろな要素技術をプラットフォームなりサービスなりにからめて提供していくものです。テクノロジーの部分では、海外から提携の打診もあり、海外の技術をローカライズして提供していくこともあります。
──メタバースの検索技術とはどのような仕組みなのでしょうか。
小川氏:これは、ある技術を知らなければ、他社では実現できないものと言えます。この技術はグローバルで見ても、他に類を見ないようです。コロンブスの卵的な部分もありますが、メタバースの検索エンジンは世界初のサービス提供になるのではないでしょうか。
竺氏:まだ詳細は言えませんが、我々が開発している検索エンジン技術を使って、Second Lifeだけでなく、これからて出てくる他のメタバースも対象とした検索エンジンも展開することになると思います。THE SECOND TIMESで提供するイエローページは、その第1弾という位置付けです。
──イエローページでは、Web検索のように、キーワードで検索できるのでしょうか。
小川氏:将来的にはそうなります。イエローページと表現しているのは、最初から完全に検索エンジン機能を持たせることは難しいためです。
竺氏:イエローページの具体的な内容としては、島の位置や島の所有者、その島にどういう人が何人いるのかといった情報を示して、ユーザーがどこの島に行けばいいのか判断するための材料として提供します。今は、こういった基礎データをほとんどのユーザーは意識していないようですが。
──イエローページといっても、人力でデータを収集しているのではなく、メタバースをロボットのようなものがクロールしているということでしょうか。
竺氏:そうです。
──Webページであればクロールするというイメージはわかりやすいのですが、メタバース上をクロールする技術とは、いったいどういう仕組みなのでしょうか。
小川氏:そこは企業秘密です。話してしまうと、ピンと来る人はわかってしまいます。コロンブスの卵的とだけ言っておきます。
──それでは、インデックス化しているデータ量を教えてください。
小川氏:初期段階は、日本人向けにどの島がいいのかという情報に限定しているため、今は全部で約12,000島です。これにオブジェクトなど含めると膨大な数になりますが、まずユーザーが知りたいのはどこに行ったらいいのかという点です。そのため、このデータを数値化するのに力を注ぎます。
竺氏:ただし、12,000島のうち、どのくらいが有効なデータかという意味では、はっきり言って多くの島は住人がゼロなのではないでしょうか。これは推測ではなく、実際にデータをとってみて約半分はゼロです。誰もいません。したがって最初にイエローページで見せられるのは、約200島です。
こういった基礎データがはっきりしていないうちは、各種サービスを提供できません。また、マーケティングモデルも作れません。我々はこの基礎データをマーケティングモデルのためのデータとしても使いますし、企業向けに提供もしていきます。
● 3Dインターネット事業は、旧来のWebとの連携がカギ
小川氏:最後のv-integrationは、これらの各事業を横断してインテグレーションしていくものです。Second Lifeと他のプラットフォームでデータの互換性がないことを考えると、さまざまなデータをいったん抽出した上で集計していく必要があります。こういった、Webとのクロスメディアやクロスコミュニケーション的なサービスは今後、需要が出てくるでしょう。
竺氏:今回開設したTHE SECOND TIMESも、3Dインターネット上のデータを抽出して従来のWebサイト上で検索エンジンとして展開するサービスですので、クロスメディアで展開したということになります。
──現在、日本人の住人があまり存在しない中で、日本企業がSecond Lifeフィーバーとも言えるような動きを見せています。参入企業は勝算があってやっているのでしょうか。
竺氏:おそらく、ビジネスモデルをはっきりと見据えた上で参入しているところはないのではないでしょうか。
小川氏:宣伝効果が大きいと判断して参入している企業が多いでしょう。1案件で1億円もかかるようなものではないので、予算内で取り組みやすく注目されやすいという考えです。インターネット業界にいる我々でさえ、「Web 2.0の次は何だろう?」というタイムラグがあったと思います。多分、企業のマーケッターや経営者の感覚からすると、Web 2.0の次にどういうメディア技術の潮流が来るのだろうと探していたときに、なんとなくSecond Lifeがタイミングが合っていたのではないでしょうか。
──Second Lifeへの参入が、広告効果だけでなく、売上の上がる事業となる時期はいつぐらいとお考えですか。
竺氏:Second Lifeについては、今年から来年にかけてみなさん考え直すのではないでしょうか。その後に、新の意味のビジネスが出てくると思います。
小川氏:2007年はSecond Lifeの年になると思いますが、多分、年内には、効果がないとか言われて叩かれ始めるでしょう。しかし、そこに複数のプラットフォーム、たとえばトランスコスモスさんやSBIホールディングスさんなど、Second Life以外の選択肢が出てくる中で、2008年にはメタバースで実現できることの幅が広がってきます。そうなれば、旧来のWebとのデータのやりとりやモバイルとのデータのやりとりが発生してきます。メタバースだけの技術を持っているような企業や、Web技術だけの企業は対応できません。我々は、単にSecond Lifeのオブジェクトを作る会社ではなく、最初からクロステクノロジー、クロスメディア、クロスコミュニケーションを狙っていることで他社との差別化を図っています。
──ありがとうございました。
↓
以上、2007年7月の記事でした笑。古くなっている部分もあれば、今やっと時代が追いついてこれから出来ることがあり?、これからどうなるか!
■世界初 メタバース内 株主総会 アバターが参加 Youtube動画あり 舞台裏は地獄→天国
3Di社設立直前のプロジェクトですが、なんと、、Ngi group(ネットエイジが社名変更。現在ユナイテッド)株主総会(マザーズ上場会社)を現実の総会に加えて、仮想空間内でも同時に開催して動画で同時中継をしたという、頭のよじれそうなプロジェクト。これは世界初(当時のマスコミ調べ)だと記事にもなったものです。先に日経新聞にこの世界初の試みをリークし記事掲載されてしまったので、たったの2日間の制作期間でどうしても成功させなければいけないという猛烈なプレッシャーで始まりました。メルティングドッツ社浅枝さんがメインでセカンドライフ内でのアバターや建物企画制作を手伝って頂き、動画の接続などを既に一緒に総業準備をしていた竺さんに加え私の長年の先輩である曽根原隆弘さんに泣きついてお願いし進めました。小川は全体の総指揮・ディレクター的なポジションでしたが笑、、舞台裏は地獄のような経験をしました。とにかく仮想空間内への動画の接続がうまく行かずサーバーの設定など徹夜でやっても出来なくて、、万が一、仮想空間内への同時中継が実現できない場合のバックアッププランを考えて他のメンバー担当で同時に制作作業をお願いして。徹夜明けでも上手くできずに、ネットエイジの他の優秀なエンジニア5名ほどに早朝に集結頂き全員で問題解決にあたりました。株主総会が12:00スタートだったのですが、11:00になっても上手くいかない。観念して、憔悴しバックアッププランの用意を同時並行で進めましたが、、突然、10分前に「あ、繋がった、、出来るかも!!」とエンジニアから声が上がり、画面に表示されリアル空間と仮想空間の双方同時中継という画像が見え始めて、「本当に出来るのか?」とNgi groupの小池社長から言われて私は「これで行きます!」とGoサイン(結構無謀笑)を出し、同時中継を開始しました。。
リアルの株主総会会場には、スクリーンを2つ用意して一つは通常のパワポ説明資料、もう一つは仮想空間内の映像を投影。仮想空間の株主総会会場には、アバター向けにリアル株主総会の映像を同時中継で投影。
結果的に、奇跡的にサーバが落ちることもなく無事終了。色んな人に助けてもらって総勢10数名が力を合わせてやり遂げ、地獄を見た後に結果的に(当時の尺度ですと)成功に終わったので、張り詰めていた全身の力が抜けてしばらく立ち上がれませんでした。感無量、当時のメンバーの方々に感謝。
■↓下記が映像です。ご覧あれ。笑える。ちょっと時代を感じますけど笑
■初めての売上 ミクシィ社に販売 新卒採用の仮想空間を提供
設立当時は、小川は社長ですがモチロン営業担当で色んな会社に提案営業に行きました。B2B営業で「御社独自の仮想空間を作ってパッケージでお納めし運用も引き受けます」と。これは当時極めて競争優位性があるポジションで、世界中で誰も出来ない・やってないことでしたのでかなり引き合いがありました。他の仮想空間会社は自分でサービスを立ち上げたがるのですが、3DiはB2Bモデルでパッケージで仮想空間を外販するモデルで珍しかったのです。営業中はあくまで構想で実は本当にできるかどうかはかなりドキドキでしたが。。ミクシィさんに直接営業を重ねて受注したのですが、当時のミクシィのオフィス・部屋を写真や間取りデータも頂き、完全に仮想空間で再現しました。「海外留学している学生にアバターでログインしてもらい、仮想空間で再現したミクシィオフィスに案内して面接する」という画期的なものでした。
ベンチャーあるあるですが、実はその時点ではプロダクトは出来ていなくて、、初めてのプロダクトリリースで、、無茶苦茶苦労しました。途中でどうしてもうまく行かず、重大な決断を迫られました。エンジニアでも意見が割れたのですが、コアの基盤となる部分を、自社開発をメインにするのか、オープンソースをメインにするのか。どちらも上手くいく保証はないんですが、多くのエンジニアは自社開発をメインにしたいと主張していましたが、不完全でも骨格がある後者の方向で決断しました。仕切り直しした後、物理エンジンがうまく適用出来ずにアバターが建物からすり抜けてしまう笑などギャグのような状況が続いたりしながら、ネットエイジの優秀な他のエンジニアにも手伝ってもらい、何とかミクシィさんに納品させて頂きました。
■3Di社設立の経緯 多国籍チーム
話は前後しますが、設立の経緯を。当時ネットエイジ社で私は新規事業・投資ネタを探していて、以前インテック社で画像認識&MR&アバター事業を経験していた私は、Second Lifeの仮想空間を見てこれが来る!と確信し、日本国内での当時の仮想空間関係者にコンタクトしてコミュニティーに入り込んでいきました。転機となったのはNewYorkで行われたVirtual World Conference に参加したこと。当時の日本の関係者約20名と、世界中の関係者数百名が一同に会しており、最新の状況が理解出来た上に一網打尽で世界中の人脈が出来ました。当時米国でも猛烈に盛り上がっていて「世界を変える」とい熱気に溢れており、そのイベントに参加したメンバーがそれぞれ会社を作ったりチームとなったりしていったのですが、私もイベントでも終始行動を共にした上海交通大学&横浜国立大学出身の竺(ジク)さんと意気投合して一緒にやろう!となり、形としては竺さんがすでにプロトタイプを開発中だったので彼の会社を買収し3Di社を新設してスタートしました。
チームは竺さんの知人経由で芋づる式に集まり、実は従業員の大半が外国人で国籍は中国、アメリカ、カナダ、スゥエーデン、韓国などと多国籍チームとなりました。(言語、カルチャー、開発手法、仕事の進め方などが全然バラバラの中で、朝礼や会議を日本語でするのか英語にするのかモメたり。。大変でした。当時、上手くやれたと思っていません。今だったらもっともう少しマトモに出来るかな。。。)
独自のポジションと、オープンソースのコミュニティのコアメンバーに入っていたりしてグローバルに知名度があり従業員が多国籍チームだったこともあり、会社設立後数ヶ月で海外IT企業複数社、米国VCから買収や出資の話が持ちかけられました。。当時では珍しかったのではないかと思います。
他にもネタがありますが、今回はまずここまで。また別途note に起こします。