【目印を見つけるノート】1592. 8月15日とそれから
きょうは8月15日です。
暑い暑いといっているうちに8月も半ばになりました。
そうですね、それでは、
「8月15日当日以降の話」にします。
1945年8月14~15日にかけても、日本に空爆(空襲というのが一般的ですがほぼ同じです)がありました。Wikipediaの情報ですが、
・熊谷空襲 B-29・89機。死傷者687人。
・伊勢崎空襲 B-29・93機。
・小田原空襲 死者30-50人。伊勢崎と熊谷を空襲したB29が帰路に余った爆弾を投下した。
・土崎空襲 B-29・132機。死者250人超、製油所全滅。
そして、
8月15日 イギリス海軍機による千葉空襲。第二次世界大戦最後の空襲。正午に停戦(終戦ー敗戦)。
(Wikipedia『日本本土空襲』項より)
無条件降伏は当日の昼に決まったわけではないでしょうから、それが分かっても発表ギリギリまで関東エリアが爆撃を受けたということです。土崎だけ秋田県の沿岸になります。火が消えるまで一週間ほどかかったと言われているそうです。
攻撃側は攻撃した時間で記録されますが、受けた方はもっと長時間の被害を受けました。
そして、この降伏は『連合軍』に対してなされたものでした。連合軍ではない周辺国、旧ソ連は8月9日に日本に宣戦布告をして、いわゆる北方4島に侵攻をはじめます。
おっと、教科書的なことを言いたいわけではないのです。
8月15日が終わりではなく、ところによっては始まりだったということなのです。
また、8月15日以降、中国に住んでいる日本人が帰国するのも困難を極めました。
私の祖父と祖母、その子ども2人(私には伯父と伯母)も軍人としてではなく住んでいましたが、すぐに帰国する船には乗れなかったそうです。道中食糧も潤沢にあるわけではありません。
祖母のお腹には子どもがいました。子連れの妊婦にはたいそうきつかったことだろうと思います。
そのお腹の子が私の母です。
無事帰国して生まれた後、赤ちゃんはしばらく発育不良があって、祖母はひどく悔やんでいたようです。
いえいえ、いえいえ、
赤ちゃんを守ってくれて、
遠くから帰ってきてくれて、
本当にありがとう。
だって、そうしてくれなかったら、
私も生まれていなかったんだから。
ね、おばあちゃん。
ひぐらしのなく夕暮れに、
そんなことを考えたりしています。
今も戦火があって、ひどい目に遇う人のニュースを見ると、一刻も早くなくなってほしいと祈らずにはいられません。早く戦争が終わりますように。
Sam And Dave『I Thank You』
お盆の時期は地域やしきたりで異なるようですが、ご先祖さまをお迎えするという趣旨は同じです。もちろんご先祖さまもなのですが、自分に直接連なる人々には私、感謝の気持ちしかありません。お盆はそれをきちんと思い出して、自分も含めていとおしむ大事な機会だと思います。
それでは、お読み下さってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸 どうかお気をつけて。
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