【目印を見つけるノート】74. ひとりで舞台に立つこと
きのうは3回、救急車の音が聞こえました。何か固定的になってきましたね。3回。
クラッカーをいただきました。
われながら分散的な、流体的な文章ですのにお目通しをいただいて、とても嬉しいです。本当にありがとうございます。
⚫ひとりで舞台
私はとても臆病者なので、人前でプレゼンするのはとても苦手です。いや、一対一でも、口で説明するのはとても苦手です。なので書いているというのもあります。もともと人前に出ること自体がそれほど好きではありません。
そのくせおせっかいなのです。
どことなく、ケンタウルスのケイローンにはたいへん親近感を持っています。
それはそれでいいかなと思っています。
ただ、本能的に一歩前に出てしまうことがあります。目立ってしまうとか何も考えていない、本能ですね。
とてもへんな例をあげます。
中学の『卒業を祝う会』という、体育館で3年生だけでワイのワイのやる場がありました。当然わがフォークソング部も最後の発表の場ということで、バンドやら何やら。私は女子バンドで、ツェッペリンと当時何気にヒットしていたREOスピードワゴンを演奏しました。割とそつなくできました。まる。顧問の先生も「よくなったじゃない」と及第点をくださいました。チョーキングはもっとキュイーンとやるべきだったと今は思います。
イコライザーというエフェクターをこの時は持っていたのですが、曲とは合わなかったので使わずじまいでした。
本題はそこではありません。
『有志の発表』というコーナーがありまして、完全に飛び入りでみんなの前で何かするのです。コントなどをやってもいいような場です。お笑い芸人志望の人がいたら、いい感じの舞台だったと思います。
しかし、志願者がいない。
シーン……。
ここで本能が出てしまうのですね。
私は手をあげて、ダダダッと壇上に上がりました。そしてガヤガヤしだした聴衆(同級生)を前にクラスと氏名を名乗り、
「『帰ってこいよ』を歌いますっ!」
と声を張り上げました。
すると、かすかな拍手と、どっという笑いが起こりました。
「よっ、大根足!」という声援???
「ありがとうっ!!」とそれに応えて、
「チャーン、チャチャチャチャチャ、チャチャチャーランラン」と前奏も歌って、一曲かましたのでした。喝采?
当時はもうスタンダードになっていたこの歌。歌っていた松村和子さん、三味線の弾き語りでカッコいいなと思っていたのです。
けっこう気持ちよかったです。
でもあのような経験はその後していません。本能でいきなり人の前に出るというのは、私にとってやっぱり特別なようです。高校以降は多少ひとり弾き語りをしたこともありますが、本能からではないですし、てんぱっていてよく覚えていません。
今はひとりで舞台に上がるなんて、とてもできません。
ひとりで舞台に上がるというのは、怖い面もあると思います。それは自分をさらけ出す、むき出しにすることで、こちら側には誰もいない。
ひとりでその場のすべてを引き受ける。
その「孤独」が私にはとてもきれいだと思えることがあります。
取り繕ったきれいさではないです。むき出しになって、そこから表現することにまっすぐ向かっていくピュアな「きれい」です。音楽にしても、演劇にしても、お笑いにしても、ダンスにしても、ひとりで表現するとき、そのような部分が人を感動させるのではないかと思います。
その「きれい」がとても好きです。
ふっと、思い出しました。
『プラハの春』の報道写真。
プラハの町に戦車が次々と押し寄せる。
戦車の前に、ひとりの男性が出ていって、胸をはだけて立ちはだかる。
https://www.mrallsophistory.com/revision/the-end-of-the-prague-spring-20th-august-1968.html
自由を求めるという行為を
もっともストレートに表現する写真のひとつだと思います。
さて、まだかちかち山なので、戻ります。
⚫お籠りクラフトとばら
夏に気軽に付けられるゴムブレスを。
汗にも負けないし、金属に負けることもないのかな。さりげない感じにしてみました。
シェルパーツにガラスパールのフェミニンな感じに。
ゴールドといいつつ、金属ではない感じです。チェコビーズ好きです。
キラキラ系も。付けてみると子どもっぽくなく映えます。写真はボケていますね。
ばらの先っちょ、葉っぱがまだ出たばかりなのに、トゲだけは完璧にできあがっています。
それではまた、ごひいきに。
おがたさわ