年記
皆様、あけましておめでとうございます。
昨年はお世話になりました。今年も何卒………
…いや、もう少しだけお待ち頂きたい。
そして、「タイトルの"年記"とは何だ?」みたいな顔をするのも暫し慎んで頂きたい。ちゃんと説明するから。
そんな顔はしていない?
文句はご両親に言ってくれ。
などと空想上の読者に向けた駄文を弄し、めでたく迎えた2021年の限られた時間をこれ以上無駄にする訳にはいかないだろう。
以下、タイトルについて説明していきたいと思う。
突然だが、私は三日坊主である。
基本的に始めたことは続かない。
ウキウキで始めたボールペン字の本は7割くらい残っているし、昔友人にプレゼントして貰った日記帳に関しては10ページも書かず終わった(この場を借りて謝罪をしたい)。
他にも、リマインダーに歯医者の予約を入れていたのも3回で終わって4回目にはしっかりとブッチしたし、、、、
やめよう。
過去を振り返っても良いことなどない。
僕らの目が前についているのは、先を、未来を見るためなのだから。
なので、過去の失敗を振り返るのはもうやめにしよう。
併せて、読者諸兄においては、痛い中学生のポエムを読んだみたいな顔をするのもやめて頂ければ幸いである。
そんな顔はしていない?
否、私には解るのだ。
今の皆様の顔は、まだ私が大学生であった頃、弟のLINEアイコンであったそう言った類のポエムを見た時の私の顔と全く同じなのだから。
ちなみに、弟のアイコンのポエムには何故かバスケットボールの画像が添えられていたことを記憶している。陸上部なのに。何故?
しかし、話が脱線する癖だけは、何日経とうとも抜けそうもない。三日坊主というものも、そう都合良くは行かないのだ。
話を戻そう。
兎にも角にも、上記の通り私は三日坊主なのである。
そして、私は日記をつけることに憧れのようなものを抱いている。なんか素敵だし。
言うまでもなく、私は日記をつけていたことがある。回数にして3度ほどである。そしてまた、こちらも言うまでもないが、毎回数日で断念している。
挫折を知る男と呼んで頂きたい。無理?
そう、私は日記をしたためたい。
しかしながらそれを継続できない。
ではその原因は何か?継続するためには何が必要か?
此処で一度考え直してみるべきだろう。
PDCAサイクルである。
…などと大それた考察をするまでもなく、原因は明らかに"毎日同じことを続ける"という点にある。
社会人になり、忙しい日もあり、疲れている日もある。そんな状況においても、毎日日記をつけるというのは想像よりも遥かに難しいことである。3回辞めた男が言うのだ、間違いない。
そして、1日1日に敢えてしたためる程の出来事が生じるとも限らない。
特段書くことがない日も当然にして存在するのだ。
にもかかわらず、毎日継続するという義務感に突き動かされて、書くべきことを絞り出す。そうして日記はいつしか負担となり、気付けばつけるのを辞めてしまう。
では、上記の解決策は何か?答えは単純明快である。
書く頻度を落とせば良いのである。
そして、現実的に続けられる頻度はどのくらいであろうか。
週次?無理だ。
仕事で課された週次の勤怠報告すら怠るような男を舐めるな。
月次?無理だ。
そもそも社会人になった私にとっての1ヶ月の長さは、小学生の頃の私が感じていた1日の長さと相違ないのだから、月次で付けてもそれは実質的には日記である。いや、俺は何を言っているんだ?
ということで、たどり着いたのが年次という結論である。
年に1度であれば流石につけられる気がするし、仮に三日坊主で終わったとしても、3年は続くので大きな問題はない。
実質的には日記を1000日続けたのと同義なのだから。
いや、閉じて欲しい。
正論を言おうとするその口を閉じてほしい。
何はともあれ、私は年次で日記をつけることにした。
…ところで、年次でつけるのであれば、それは"日"記ではないのかもしれない。むしろ、年記と呼ぶべきだろう。
と、前置きが長くなったが、上記の経緯で"年記"をつけていくこととした。
何卒よろしくお願い致したいところである。
以下、2020年の年記をつける予定であったが、明らかに前置きが長くなりすぎたため、別の記事として2020年の年記をしたためることとした。
京都銀行のCMかと思うくらいに長い文章を書いてしまう癖もまた、3日では治らないものである。
年記についてだが、1年以内には公開する予定である。
ご期待を乞わせて頂ければ。
以上