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予測する脳

ある日学校から帰ってくると、テーブルにリンゴが置いてあった。でも、これはほんとうにりんごだろうか。もしかしたら、これはリンゴじゃないのかもしれない。もしかしたら、見えてない反対側はミカンかもしれない。もしかしたら、なかはメカがぎっしりかもしれない。もしかしたら、実は何かの卵かもしれない。もしかしたら…。
「考える」とは、自分にとっての「当たり前」から飛び出して「可能性」の世界への旅をすること。ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』は、まさに「かもしれない」可能性の世界を旅する絵本である。

こんな風に「当たり前」を疑ってみることはとても大事なことだ。でも一方で、日々目の前で起こるさまざまな出来事に、毎回毎回、無限の可能性への旅をしていたら、現実には何も行動ができなくなってしまう。毎朝出かける時に、このドアノブに触れたらドアノブが取れてしまうかもしれない、100万ボルトの電流が流れているかもしれない、ドアを開けたら爆発するかもしれない…と、あらゆる「かもしれない」を考え出したらきりがないのだ。

哲学者のダニエル・デネットは、爆弾処理を任されたロボットが、爆弾を前にしてこのようにありとあらゆる「起こりうる事態」を考慮し続けた結果、結局何もできずに爆弾を爆発させてしまうという思考実験をした。いわゆる「フレーム問題」として知られるこの問いは、囲碁や将棋のように有限の世界の中でしか行動できないAIやロボットの限界を示す例としてよく取り上げられるが、よく考えてみればこれは本来人間にもあてはまる大問題であるはずだ。『りんごかもしれない』のように、わたしたちも考えようと思えば無限に可能性を考え続けることができるが、普段わたしたちはそこまで考えることをしない。大半のことを「わかったこと」にしておおむね問題なく日々を生きているのだ。この「わかる」に至るプロセスで、どうして「フレーム問題」は起きないのか?わたしたちの脳の中では一体どんなことが起きているのだろうか。

予測する脳

情報環世界』第3章「“わかる"と“つくる”」で、わたしは「予測する脳」に関する興味深い話を紹介した。わたしたちが目の前の何かを見ている時、目という感覚器官から入ってきた情報が脳に伝わる一方通行の視覚モデルをイメージしてしまうが、神経科学者デイヴィッド・イーグルマンの『あなたの脳のはなし』 によれば、それは間違っているというのである。

従来の視覚モデルは、知覚は目を始点に脳内のどこか謎の終点まで、データが進んでいくことで生まれる。しかし、この視覚の組み立てラインモデルは、わかりやすいがまちがっている。
 実際には、目やその他の感覚器官からの情報を受け取る前に、脳は独自の現実を生み出す。これは内部モデルと呼ばれる。
 内部モデルの基礎は、脳の解剖学で理解できる。視床は前頭部の目と目のあいだに位置し、視覚皮質は後頭部にある。ほとんどの感覚情報は、大脳皮質の適切な領域にたどり着く途中で視床を通る。視覚情報は視覚皮質に向かうので、視床から視覚皮質へと入る接続がたくさんある。しかしここからが驚きだ。逆方向の接続がその10倍もある。
(デイヴィッド・イーグルマン『あなたの脳のはなし』より) 

目から新しい情報が入ってきたとき、目から視床に信号が「入力」されるよりも前に、脳は独自の現実を予測モデルとしてつくりだし、その予測モデルが視覚皮質から視床にむけて「出力」されているのだという。視床は目が報告しているものと予測モデルの「差異」(予測が足りなかった部分や間違っていた部分)だけを視覚皮質に送り返し、 目が報告しているものと予測モデルに差異がない場合、目からの情報は実はほとんど脳へ送られていないのだ。私たちは、普段外から入ってくる情報を受け取りながら考え行動しているようでいて、実際には多くの時間(予測と現実に齟齬がない限り)まさに脳が見立てた環世界を生きているというわけだ。

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たしかに、毎日通る通勤通学路でいちいちルートを考えることはないし、ルートどころか、考え事していて気づいたら家に着いているということも多い。このように、目から入ってくる情報と脳の予測に齟齬がない限り、人間はほとんど考えることなしに無意識に行動しているのである。そして、脳の予測と目からの情報が食い違っている時にだけ、その差分が脳の視覚系へと送られる。いつもの道が突然工事で通行止めになっていてはじめて迂回ルートを考えたり、急に新しいお店が出来ていて、ここ前は何だったっけ?と考えたりするのだ。

つまるところ、「わかる」とは、脳の予測モデルと感覚器を通して外から受け取る情報に齟齬がない状態に至ること、すなわち環世界(考えないで済む世界)に閉じていられることであり、予測と外からの情報に齟齬がおきて、それまでの環世界から新たな可能性の世界への飛躍を余儀なくされることが「考え(させられ)る」ことである、ということができそうだ。

考えないですむために考える

脳が、感覚器からの入力を予測する内的なモデルをつくりあげ、その予測と入力された感覚信号を比較し、両者の予測誤差の計算に基づいて知覚をつくりあげる。このような「予測する脳」の理論は、認知神経科学の分野では「予測的符号化理論(Predictive Coding Theory)」と呼ばれている。予測誤差を埋めること、すなわち考えることはエネルギーを必要とするので、脳は、認知におけるさまざまなレベルで検出される予測誤差をなるべく最小化することで環世界を構築し、それを維持しようとする。 この予測誤差の和は「自由エネルギー(Free Energy)」と呼ばれ、自由エネルギーを最小化することが脳の唯一の原理であるとする「自由エネルギー原理(Free Energy Principle)」は、認知神経科学や脳科学、人工知能の分野などでも近年注目を集めている。

実は、同じようなことをフランスの哲学者ジル・ドゥルーズも言っている。考えることを引き起こすのは、なんらかのショック(彼はそれを「不法侵入」と表現している)であり、人はなぜ考えるのかと言えば、それは考えないですむようにするためである、と。

人は、考えないですむために考えるのである。


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