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自立と依存

自立とは依存先を増やすことである。

脳性マヒの障害を持ちながら医師としても活躍され、現在は東京大学先端科学技術研究センター准教授として「当事者研究」などの分野でも注目されている熊谷晋一郎さんの言葉である。

一般的に「自立(independent)」とは「依存(dependent)」の反対語であり、自立することは、誰にも依存することなくスタンドアローンになることだと思われがちだが、決してそうではないと熊谷さんは言う。

それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのでは、という不安がぬぐえなかった。でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかったのです。
 「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。
『自立とは「依存先を増やすこと」より)

障がい者に限らず、どんな人でも生まれながら誰にも依存せずに生きていくことは出来ない。親だけに依存した状態から、徐々に社会の中に依存先を増やしていくこと。それこそが自立なのだ。

また、生きていく上での依存先は何も親や友達といった人間関係だけの話とは限らない。普段意識していなくても、わたしたちは実に様々なモノや環境にも依存しているのだ。熊谷さんは、別のインタビューでこんなエピソードを紹介している。

東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。

つまり「Aがなくても生きていける」というのは決して「何もなくてもひとりで生きていける」ということではなく、「いざとなればBにもCにもDにも…頼れるものがたくさんある」ということなのである。

薬物使用で逮捕され糾弾される著名人のニュースを見るたびに、この言葉が思い出される。薬物に限らず多くの依存症と呼ばれる状況もまた、人間関係をはじめとして様々なほかの依存先が絶たれ、特定の何かにしか依存先がない状況によってもたらされてしまうのだ。そして、そこから抜け出せるかどうかは、それ以外の依存先をどれだけ持てるかにかかっているのであり、刑罰や社会的制裁によってさらに他の依存先を絶たせ、狭めることではないはずである。

「中動態」と「責任」

なぜ、わたしたちは「自立」を「何にも依存しないこと」と考えてしまいがちなのだろうか。そのヒントとなりそうなのが哲学者の國分功一郎さんの『中動態の世界』だ。

英文法の授業で教わるように、動詞は「する」と「される」、すなわち能動態と受動態に分類されるのが一般的だが、國分さんによると、歴史を紐解けば、そのどちらでもない「中動態」なるものがかつて存在していたというのである。

例えば、このnoteのテーマでもある「わかる」も、考えてみると実は能動とも受動とも言えない言葉である。能動的な意志さえあればなんでも「わかる」わけではないし、かといって一方的に「わからされている」かといえばそうでもない。さらに突き詰めて考えていくと、明らかに能動的に思える「歩く」という行為でさえ、本当にそうか疑わしくなってくる。わたしたちは複雑な筋肉の動きを逐一身体に命令しているわけではないし、歩くには一定の条件の整った環境も必要だ。(水の上は歩けない。)さらに言えば、「予測する脳」で取り上げたように、予測と現実に齟齬がない限り実は「歩こう」という意識さえしていないことも多いのだ。

かつてはこのように能動にも受動にも属さない言葉や行為があることが意識されていたが、それが時代と共に能動と受動に分類されていったのはなぜだろうか。その背景には、意志や責任という概念の発達があると國分さんは言う。

かつて、行為や出来事は今とは全く異なった仕方で分類されていました。いまのように能動と受動でこれを分類するようになったことの背景には、おそらく、責任という観念の発達があります。「これはお前がやったのか? それともお前はやらされたに過ぎないのか?」──責任をはっきりさせるために言語がこのように問うようになったのです。
私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」

「中動態の世界」のプロローグは、ある依存症者との対話で始まっているのだが、まさにそこでは「自立」と「依存」が、当事者の「意志」と「責任」の問題として語られることの危うさが指摘されている。また、冒頭に紹介した熊谷晋一郎さんと國分さんの対談でも、依存症と中動態の関係が次のように語られている。

依存症の自助グループのなかでは、意志の力で自分をコントロールしようという枠組みから脱し、「自分の意志ではどうにもならないと認めること」が回復の入口であると考えられています。依存症者は長年の経験をもとに、能動/受動の対立軸にがんじがらめにされることが依存症という病の本態であり、そうした対立軸が解体された中動態的な構えのなかで回復が始まると考え、実践してきました。
臨床心理学増刊第9号―『みんなの当事者研究』より)

「依存」と「怖れ」

熊谷さんが「親を失えば生きていけない」という不安を感じたと述べているように、何か特定のものにだけ依存している状態は、それを失う不安や怖れと表裏一体である。その怖れに対してほかの依存先を増やすという発想の転換ができないと、いま依存しているものを失わないために、それ自体にさらに強く依存するという悪循環に陥ってしまうのだ。

さらに言えば、前回「寛容と不寛容」でも触れたように、不寛容の裏返しとしての「怖れ」もまた同じ構造にあるのではないだろうか。人間は他者やモノや環境に依存しているだけでなく、考え方や思想にも依存している。その意味では不寛容とは「特定の考え方や思想への強い依存」と言うことができるかもしれないし、多様な考え方や正しさがあることを知ることで、自分が否定されることへの怖れから解放され、特定の考え方や思想に囚われない寛容さをもつことにもつながるかもしれない。

「自然からの自立」という幻想

最後に、國分功一郎さんの近著『原子力時代における哲学』を紹介したい。(ちなみにタイトルに原子力とはあるが、それだけでなく人間が生み出すテクノロジーと哲学の関係について多くの示唆を与えてくれる改めて取り上げたい一冊である。)この本の中で國分さんは「反原発」を訴えるだけでなく、そもそもなぜ人間はそこまで原子力を欲したのかと問う。

わたしたちは、電気や動力といった目に見えなる形だけでなく、食べるものにせよ何にせよ、回り回って何かしらの形で自然のエネルギーに依存しなければ生きていけないが、それはすなわち常にそれを失う「怖れ」がつきまとうということでもある。そこに登場した(かつての)原子力は、ついに人類が地上に太陽をつくり、これさえあればエネルギーを失う「怖れ」から解放されると期待させるものだったのではないかと國分さんは指摘する。言い換えれば、わたしたちは「自然からの自立」を夢見たのだ。
「怖れ」から「自立」を求めてしまうことは、人類共通の性質なのかもしれない。

自立とは依存先を増やすこと

何かに依存してはいけない。自分の意志で行動し、その責任をとらなければならない。自業自得。自己責任。一見正しく思えるこのような考え方に、わたしたちはあまりに強く囚われすぎてはいないだろうか。
一方で、「〇〇しないといけない」とか「〇〇以外信じてはいけない」と言った、依存先を狭める言説にも注意が必要だ。例えば、オカルトやスピリチュアルなものに対しても、それが正しいかどうかを判断基準にするよりも、まずは「この壺を買わないと不幸になる」だとか「辞めたら恐ろしいことが待っている」といったような、他の依存先を絶たせるような言い方をしていないかを最低限の判断基準にするべきではないかと思うのだ。


自立とは依存先を増やすこと。スタンドアローンを目指すのではなく、依存先を増やすことで何かひとつに依存しなくて済むこと。それこそが自立なのだという考え方は、何をするにも自らの意志と責任にがんじがらめになっている現代人にとって救いになるだけでなく、不確実さがますこれからの時代に、働き方や暮らし方、生き方などを考える上でも大事なヒントになるのではないだろうか。


【追記】初めての単著『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』がBNNから2021年5月21日に発売されました。行き過ぎた現代のテクノロジーは、いかにして再び「ちょうどいい道具」になれるのか——人間と自然とテクノロジーについて書いた本です。[第5章 人間と人間]ではこの記事にも触れています。


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