ギルエバンスのopen door policy

ギルエバンスが逝去したときに、ゆかりのミュージシャンが総結集して追悼でgoodbye porkpiehatを演奏しているビデオを久々見る。見るたびに泣ける。
 少なくとも明確に映像で確認できるレベルで3人が手で涙を拭いながら演奏している。追悼演奏ってよくあるけど、リアルで泣きながら演奏って実はあまりない。それがプロ意識とか褒める人もいるけど、そんなプロ意識は必要ないと思う。
 最近寝る前に毎日gilEvans and tenを聞いている。ギルは何百回聴いても飽きず新鮮なのに、マリアシュナイダーは何であそこまで凡庸でつまらないのだろう。弟子なのに。
 1980年代後半だか90年代前半のジャズライフのインタビューで、ギル夫妻がNY路上で我が日本の誇る理想科学工業の「プリントゴッコ」で刷った手作りのビラを配っていること、マンデイナイトオーケストラは全員ノーギャラで結集していること等を知り、資本主義社会下では順調な人類の文化芸術の発展は望めないという事実を再確認。
 ギルのopen door policyは有名だ。
 10年程前、団塊ジュニアの自意識過剰な小政治ばかり張るアホミュージシャンが、居候し続けている友人ミュージシャンを劇画オバQよろしく追い出したとき「オレはギルエバンスじゃないんだよ、悪いけど」と嘯いていたのを思い出した。大体そういう人品卑しいやつは音楽家としても大したことはないのが常。
 ギルエバンス好きとしては、部屋に鍵をかけるわけにはいかない。私は上京してから一度も部屋に鍵をかけたことがないのを密かな誇りとしている。変な泥棒みたいなやつがいたこともあるけれど。

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