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『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)とはどういう映画か?——併せて樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』について 絓 秀実(文芸評論家)
絓秀実が「NEWS LETTERいのしし」159号(2024.7.13)に寄稿した一文を再録します。https://freegaza.web.fc2.com/ 同紙はプロジェクト猪の機関紙的なもの。プロジェクト猪は、「いわゆる「団塊の世代」が世代相互の交流をはかり、培った経験と技能を基に高齢社会において生き甲斐のある社会を模索しつつ、政治、経済、社会全般にわたる情報の交換と提言を行う」云々を趣旨とする特定非営利活動法人である。
『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)とはどういう映画か?
——併せて樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』について
絓 秀実(文芸評論家)
本紙はいつも愛読している。ただ、本紙をおおう懐古的心性には、必ずしも同調する者ではない。代表のハムちゃん(高橋公氏)は、1969年以来の知友で、今なお畏敬する存在である。ハムちゃんが何を言おうと書こうと、私の信頼の念は揺るがない。また、本紙で長らく連載を執筆している三上修司は、学生時代に6畳一間で「同居」までした間柄だが、毎号のように噴いている「全共闘オヤジ」節には辟易することが多い。まあ、彼も元気らしいことを本紙で確認している。にもかかわらず、本紙に一文を求められ執筆を承諾したのには、理由がある。それは、現在、全国で公開されている映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督、以下『ゲバ杜』)にかかわっている。すでに観た方も少なくないかも知れないが、間違っても、この映画を賞賛してしまうひとが、本紙の読者・執筆者にいてもらいたくないのである。
映画『ゲバ杜』は川口大三郎事件を主題にした映画である。それは、1972年11月に早稲田大学文学部構内で発生した。第一文学部学生・川口大三郎に対して、文学部自治会(のみならず、おおむね早大全般)を掌握する革マル派が、川口を拉致・リンチのうえ殺害に及んだのである。この事件を発端として、早大万余の学生が、革マル派の支配を打破すべく決起し、いわゆる「早稲田解放闘争」が一年以上にわたって闘われた。それが、革マル派と、それを容認し警察権力と結託した大学当局とによって、敗北に追い込まれたのは、周知のことである。
いわゆる川口事件について、私はすでに幾つかの著書のなかで、世界史的な「1968年の革命」における、その位置の重要性を指摘し、論じてきた。イスラエルのガザ攻撃などに接して、ようやく日本でも学生運動「復活」のきざしもほの見えているが、今日までの停滞の淵源を探れば、川口事件に集約される大学の(そして社会全般の)統治体制の転換に行きつくのである。
川口事件についてはさまざまな制約があり、その具体的な様相については、これまで知られることが少なかった。しかし、2021年になって、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)が刊行されるに及んで、ようやく川口事件をトータルに論じうる叩き台が提供されたと言える。映画『ゲバ杜』も、「原案」を樋田本に仰いでいる。
ただし、この樋田本は、全き虚偽の上に成り立った「ノンフィクション」なのだ。早稲田解放闘争において、「非暴力派」のリーダーだった樋田は、1990年代の奥島孝康総長が、学内から革マル派を一掃したとしている。樋田本は、その視点から書かれている。しかし、奥島が一掃しようとしたのは、革マル派ではなかった。早稲田解放闘争の敗北後も、サークルを中心に地道に闘ってきたノンセクトの運動を壊滅させることが、奥島の目論見だったのである。2001年7月31日にピークに達したサークル地下部室撤去反対闘争(これには、ハムちゃんも来ていた)は、1500人余の学生によって、昼夜を徹して闘われた。首都圏において、最後の大衆的な実力闘争であった。その後も、ノンセクトの抵抗運動は細々と持続していくが、早稲田は、学内集会はおろかビラまきをすれば教職員が取り囲み、警察を呼んで逮捕させるといった状況が続いた。その中で、革マル派は、文連を中心に淫靡に支配を存続させている。もちろん、当局の承認の下に、である。
樋田本が、そのことに全く無知なことはもちろんだが、映画『ゲバ杜』も、樋田的視点を共有し、拡大している。映画の冒頭は、革マル派の文連のタテカンが中心に据えられ、それがあたかも、現在の早稲田の「平和」の象徴であるかのように始まるのだ。
映画では、その時代の「証言者」として、内田樹(哲学者?)が登場している。そこで内田は、革マル派による1971年3月の三里塚野戦病院襲撃と、その際の「おでん食い逃げ」事件を例に挙げ(しかも、それが革マル派の三里塚闘争への嫌がらせだったことを隠しつつ)、人間の闇の深さについてお説教を垂れている。まったく、盗人猛々しい革マル派「御用」文化人である。しかも、樋田敦の本がこの映画の公開に併せて文庫化された際の帯は、内田が書いているのだから、これはもう何をか言わんやだろう。その他、樋田本について、映画『ゲバ杜』について、言うべきことは多々あるが、紙幅の関係で割愛する。
私は若い有志たちと語らって、7月6日に新宿で「映画『ゲバルトの杜』を徹底糾弾する」と題したシンポジウムを開催する(本稿が公になる時には、終了)。100名ほどの満席が予想される。また、このシンポを含めた『ゲバ杜』批判サイトも開設している。https://note.com/freegaza/n/n5d55842d9f68
ご覧いただきたい。なお、7/6シンポジウムを中心とした川口事件、ひいては1968年の再検討を企図した書籍の刊行も予定している。