子供の「居場所」は沢山余っている。そこから子供を追い出しているのは大人たちだ。

 8/1付朝日新聞 天声人語はミスリーディングな記事であり、問題がある。
要約すると、①最近子供の「体験格差」が問題になっている②親の経済力格差が子供の「体験格差」に反映するということ③経済的な援助等でこの格差をなくして全ての子供に色々な体験をさせてあげるべき
というものである。
  この間朝日新聞紙上で展開されていた特集「遊ばない子供たち」(以下特集①と記す)は、朝日にしては珍しい良記事だっただけに残念だ。
特集①では、以下が識者のコメントと共に明示されていた。
子供時代に最も必要不可欠な「体験」であり、全世界の教育心理学者や教育関係者が異口同音に実証的に述べている「子供にとって最も必要不可欠な教育的価値が高い『体験』」とは、
1:【大人が「見守り」という名の管理監視を行わない子供達[だけの]自由自治的な外遊び】であり、それこそが、それ「だけ」が、コミュニケーション能力・連帯感・自己肯定感・体力を育てること。
2:1のような遊びをすることは全ての子供にとって「権利」であること
3:1のような遊びは、大人が指導する形のスポーツ少年団・子供デイサービス的なもの,東急がやっているような「非認知能力を育てる冒険体験」的な詐欺的なスクール等では代替不可能であること。
 そして、当然このような遊びには金銭は介在しない。習い事ではダメなのだ。
また、いわゆる「学童」でもこれはダメ。結局ダラダラ[子供だけで]公園とか空き地で缶蹴りしたり草野球したりドロケしたりロクムシしたり十字路したりかくれんぼしたりザリガニとったりカエルとったり木登りしたり落とし穴作ったり秘密基地作ったりダラダラしたりするのが最も教育的価値は高い。
 皆さん、子供の頃のことを考えてもらえばわかると思うが、学齢期前はともかくとして、小学1年生ともなれば、子供だけで遊んだ方が圧倒的に面白いものだ。親や「大人」と遊ぶなど考えられない。「ウザ」すぎるのだ。
 私が小学校に入った段階で母親は職場復帰したので私は完全なる共稼ぎの「鍵っ子」だった。
今から考えると、上尾市尾山台団地居住の仲間たち(私の小学校「尾山台小学校」は8割が尾山台団地、1割が駅の方の建売り、1割が地元農民といった構成だった)は私と同じような共稼ぎの「鍵っ子」がほとんどだったが、我々は全くさみしいともつまらないとも思わなかったし、子供達だけで毎日素晴らしい体験をしていた。日が暮れて帰ってくれば親は美味しいメシを腹いっぱい食べさせてくれたし、それで十分幸福だった。
 学校が終わると一旦帰るもしくはランドセルを持ったまま、公園や神社境内、田んぼ等で楽しく充実した遊びを展開していた。もちろん親などいないし、学童支援員などいない。
子供だけだ。全世界でそれが当たり前。現状でも近所で子供だけで遊ぶ原則的な姿は健在だ。それが減少していることは非常に問題だと思う。
 現在の子供達にも一刻も早く上記のような「遊び」を権利として保証すべきだし、そしてそれは少なくとも私が知る多くの地域では今すぐ可能です。
意外と知られていないことだが、子供を取り巻く環境(治安)は悪化などしていない。
警察白書その他各種統計を紐解いてみれば明白だが、子供をめぐる犯罪率はここ50年一貫して基本的に低下している。(コロナ期揺れはあったが)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680763675904 

治安悪化神話、キャンペーンにより学校/地域(警察)によって子供がむしろ息苦しく追い詰められているのが現状。その結果として子供の自殺/いじめが戦後最悪になっている。
 最近一部マスコミや一部行政が喧伝する「子供の居場所を!」「子供の放課後の居場所を!」という議論の方向性自体が間違っており、危険だと思う。
少なくとも私が日常的にwatchしている埼玉県上尾市瓦葺地域と新宿区柏木地域においては、「子供の居場所」は既に十分にあるのだ。
子供にとって居心地の良い楽しい居場所とは、「仲間・時間・空間」が保証された、[大人による「見守り」という名の管理監視]なき場所であり、少子化も相俟ってそのような空間のcapacityは豊富に余っている。
上記のような居場所から子供を「危ない」(上述したように実際は危なくない)からと排除して、学童/習い事等の子供にとってストレスでしかない「非居場所」のみを居場所として定義しているのが一部行政/警察/教育委員会であり、そのような牢獄から子供を解放しなければならない。
 多くの大人が、「最近公園や路地で子供が遊んでるの見ないなぁ」と危機感を共有している。その危機意識は正当だ。
 夏休みで、大人が(大人もイヤイヤ/子供もイヤイヤ)陳腐な体験教室的なものに子供を連れまわすのを見る。
子供の表情は生彩がなく陰鬱だ。一方で、減ったとはいえど、まだまだ子供だけで生き生きと遊ぶ姿も見かける。彼ら彼女らの表情の楽しそうで生き生きとしていることといったら!!
 上記 天声人語は、子供だけで行う自由な外遊び体験を捨象し、習い事やキャンプ的な「金銭が介在する」似非体験のみを「体験」としている点で子供にとって何がいま必要な体験なのか、を完全に見誤っている。
訂正と謝罪記事が必要ではないか。

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