谷川俊太郎か谷川徹三か
谷川俊太郎のことを、徹三の息子とみるか、谷川徹三のことを俊太郎の父とみるかでくっきり世代わかれますよね。
ヤンガ‐ゼネレーションの私は後者でした。
小学校高学年の時、私が一番仲が良かったKくんが谷川さんが大好きで、「二十億光年の孤独」の文庫本をボロボロになるまで愛読していた。私も好きになった。
埼玉県上尾市立尾山台小学校の図書室には「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」くらいしかなかったが、本当は小学校低学年の時に「ゆうぐれ」や「がっこう」や「ふつうのおとこ」に出会いたかった。もっとも「ふつうのおとこ」はオナニーするようになる小学5年生になるまではよく意味がわからなかっただろうが。
あと7年遅く生まれていれば、日共的文化支配(どちらかといえばいい意味で使ってます)が貫徹されていた埼玉県上尾市立尾山台小学校の図書室ならば、上記三作品に必ず出会えていただろう。
でも、ファミコンに間に合わなくて良かった!
そのお陰で本当に豊かで楽しい少年時代を過ごせたと痛感感謝しているので遅く生まれたくはなかった。
逆にいうと、毎日の放課後の「大人が見守りという名の管理監視を行わない自由闊達な外遊び」体験がベースになければ、どんなおとぎ話も、詩も感受できないだろう。
それは、学童でも児童クラブでもましてやスポーツ少年団や公文やはなまる学習会トムソーヤキャンプ的なものでは決して代替できない。
昔の話ではない。
今でもそのような豊かな放課後を過ごしている子供達は確実に存在している。数は減少してしまっており、そのことが戦後最悪といわれている鬱・イジメ・不登校の根本原因と思っている。
治安はむしろ戦後最良といえるのだ。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680763675904
あなたの子供、あなたのまわりの子供はいい表情をしていますか?
週5回はちゃんとあなたの「知らない」子供だけの自由な世界で遊んでいますか?
谷川さん、ありがとうございました。
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ゆうぐれ 谷川俊太郎
ゆうがた うちへかえると
とぐちで おやじがしんでいた
めずらしいこともあるものだ とおもって
おやじをまたいで なかへはいると
だいどころで おふくろがしんでいた
ガスレンジのひが つけっぱなしだったから
ひをけして シチューのあじみをした
このちょうしでは
あにきもしんでいるに ちがいない
あんのじょう ふろばであにきはしんでいた
となりのこどもが うそなきをしている
そばやのバイクの ブレーキがきしむ
いつもとかわらぬ ゆうぐれである
あしたが なんのやくにもたたぬような
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がっこう 谷川 俊太郎
がっこうがもえている
きょうしつのまどから
どすぐろいけむりがふきだしている
つくえがもえている
こくばんがもえている
ぼくのかいたえがもえている
おんがくしつでぴあのがばくはつした
たいくかんのゆかがはねあがった
こうていのてつぼうがくにゃりとまがった
がっこうがもえている
せんせいはだれもいない
せいとはみんなゆめをみている
おれんじいろのほのおのしたが
うれしそうにがっこうじゅうをなめまわす
がっこうはおおごえでさけびながら
からだをよじりゆっくりたおれていく
ひのこがそらにまいあがる
くやしいか がっこうよ くやしいか
谷川俊太郎
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ふつうのおとこ
ふつうのおとこが いたってさ
ふつうのめはなに ふつうのてあし
ふつうのずぼんに ふつうのうわぎ
ふつのあめふる ふつうのばんに
ふつうのやきもち ふつうにやいて
ふつのなみだを ふつうにながし
ふつうのおとこは ふつうのひもを
ふつうのおんなの ふつうのくびに
ふつうにまきつけ ふつうにしめた