政治思想史研究者の尾原宏之さんより、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」に関連してコメントいただきました
アルバムのコンセプトのひとつとして、円谷幸吉と68年メキシコシティー五輪の「ブラックパワー・サリュート」が接続されたのはまったく秀逸だと思った。コロナ前のライブでは、64年東京五輪のアベベとヒートリーが登場することはあっても、スパパーンの創造した「円谷幸吉」は基本的に一人で走り、一人で現代の五輪権力集団と対峙していたような気がする。ライブに登場する円谷ギミック(および円谷役のパフォーマー)は、いつもなんとなく孤独に見えた。
もし68年を生き延びた円谷が、メキシコシティーで反差別闘争を闘う黒人選手と連帯したとすれば——。この新たな視点は、たとえ直接言及されなくてもアルバム全体の奥行きを作っている。すでに歴史となった事柄と、ひょっとしたらありえた、いまもありえる事柄が交錯して、その中で生きた人々のつながりが余計な感傷抜きで浮かび上がる。「時間・場所・存在<すべて」と「Giant Steps?(世界資本主義の穴)」を特にそういう思いを持って聴いた。
私は音楽マニアでないので、街場にレコードプレーヤーを買いに行くところから始め、ほぼ四半世紀ぶりに盤面に針を落とした。安手のプレーヤーでも十分に、この作品がレコードでなければならなかった理由が伝わってきた。
尾原宏之(政治思想史研究者)