映画批評家の田村千穂さんより太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」に関連して素敵なコメントいただきました

太陽肛門スパパーンの2枚組LP『円谷幸吉と人間』を聴こうとしていたら、いまいましいアベマスク保管のニュースが流れてきた。何千万枚ものあの布マスクが、巨額の費用をかけて倉庫に眠らせられていた、というニュースだ。

本当に頭に来る!!

あのバカバカしい小さなおしめのようなマスクが届いた時、目にもとまらぬ速さで地獄の焼却炉にブン投げ込んだことはいうまでもない。われわれをなめくさった、鼻をかんで捨てるのもおぞましいあの不潔な布マスクよ!! 

TVではユリコが中学生の娘に母親がワゴンセールで買ってくる木綿の花柄パンツのようなダサダサ布マスクをしていて、アソーは二つの鼻の穴を丸出しにした鼻マスクでふんぞり返っていて。そんなものは見たくないからテレビを窓から投げ捨てたのに、みにくい画像はけっきょくどこまでも追ってくる。

そんなうんざりする初期マスク期に、マスク=パンツ論というのを思いついた。鼻だしマスクが人をギョッとさせたり、マスクからはみ出した無精髭がなんだか妙にいかがわしい感じを与えるのも、マスクがパンツだからだと。マスクを外した無防備な他人の鼻と口が、当初はとりわけグロテスクに見えたものである。マスクは人間の顔をすっかり卑猥なものとしてしまったが、人間ひとりひとりを屁とも思わない、貧乏人はしんでよしとする棄民政策を嬉々として実践する醜悪な政治家らの顔面に引っ掛かったマスクは世にも不潔で虚偽にまみれて鼻持ちならなかったものである。冷えたパンケーキみたいな顔をした前首相のマスクの顔などそもそもそれを着けていたのかどうかすら忘れてしまったが。

本当に頭に来る。だがそんな中、マスクがパンツであるならば、最初からパンツ一丁のビッグバンドである太陽肛門スパパーンは果たして何だろう? とふと思いあたった。彼らはすでに立派にパンツ一丁なのに、さらにマスクという顔のパンツまで必要だろうか? それはともかく、白パンツ一丁で華麗にして過激で稠密で爆発的にダンスさせずにはいない、ゴージャスで猥雑で知的でクールで圧倒させるのに威圧的じゃない、そんな演奏と歌を惜しげもなくくり広げてくれる太陽肛門スパパーンというバンドは、そのパンツ一丁というスタイルだけとってもまぎれもなく先駆的であったし、ライブに行くと分かるがそのパンツはどれも清潔な洗い立てかおろしたてで、冬の朝のロシアの真新しい雪のようないい匂いがする。われわれをコケにし剥奪し骨の髄まで搾りとる人間の皮をかぶった極悪政治家どもの醜いパンツとは大違いなのだ。

『円谷幸吉と人間』は、そのタイトルのとおり、「人間ってなんだったか、もういちど考えてごらん」と音楽で迫ってくる。円谷幸吉って誰だったか、われわれが今も円谷幸吉を殺してはいないか、殺し続けてはいないか、思い出してごらんと語りかけてくる。そうして、小さな円谷幸吉のように、何もかもが嫌になって冬の布団の中にもぐりこんだままになりそうな者たちには、こう歌いかけてくる。


   お花畑でお昼寝 何にもまだ始まってない
   それはいつのこと いつのこと
   君たちみんな悪い人 隠れるようにした私
   それはどこのこと どこのこと

   いつのことなのか いつのことなのか
   どこのことなのか 誰のせいなのか

   大きな布団の中で 息苦しい
   でも 出られなくなってる 怖いよ
   外は晴れやかな 青空かも しれないけど
   肌を湿らす 小雨に 濡れてしまえば
   素敵な気持ちになれそうな気もする少し
   それは誰のせい 誰のせい

   お花畑でお昼寝 何にもまだ始まってない
   それはいつのこと 誰のせい
   それ何とかなるよ 気合いを入れれば

          「お花畑 Flower garden」

                                                                 田村千穂(映画批評家)

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