父とグランドキャニオンに行ってきた
「グランドキャニオンは行ってないから行きたいんだよなあ」
と父はかなり前から言っていました。僕が結婚してからもアメリカ西海岸の話や国立公園の話をするとその話題が出てきていたので、多分きっとそこそこ行きたかったのでしょう。
きっかけは少し前に読んだ「DIE WITH ZERO」という本で、「金は墓まで持っていけないんだから、死ぬ前に後悔がないようやりたいことをできるタイミングでするべき」みたいな内容に深く感銘を受けました。娘はもう高校生で一緒に旅行したりできる機会は多くないし、いわんや親とはもっと少ないだろう。するなら今だ。
という話を妻にしたら、「お父さん、グランドキャニオン行きたいってずっと言ってるじゃん。一緒に行ってきなよ」と言ってくれて、本人を誘ったら二つ返事でOKだったので行くことにしました。
そんなわけで1週間ほど休みを取ることにし、社長(アメリカ人)とランチをしているときに「かくかくしかじかで行こうと思うんだよね、休んでいい?」と相談したら「最高じゃん、ぜひ行ってこいよ!」と強く賛同してくれました。ありがたいね。
そして「グランドキャニオンといえば、嫁さんと昔、ヘリコプターツアーで行ったよ、あれは最高だった。」とヘリコプターツアーを激しく勧められました。なるほど、上空から眺めるグランドキャニオンは確かにすごそうだ。
僕自身はグランドキャニオンに過去2回行ったことがあります。初めての時は「あの壮大さは価値観が変わる」とよく聞いていたのでものすごく期待して行ったのですが、個人的にはただのでかい崖でちょっとがっかりしたことをよく覚えています。その後、西海岸に住んでいるときに娘を連れて再び訪れました。フェニックスでのドジャースのスプリングキャンプを見に行くついでで、あと娘に見せておきたかったという理由。そして彼女の感想も「ただのでかい崖」という感じでした。ソウデスヨネ。
しかし、でかい崖も横から見るのと上から見るのではだいぶ違うだろうと。調べてみるとヘリコプターツアーはなかなかのお値段ではあるけれど、父と行くグランドキャニオンは最初で最後になるだろうから最高の体験にしたいと思い、費用は目を瞑ることにしました。
グランドキャニオンへはラスベガスからレンタカーを借りて車で片道280マイル(約450km)、4時間半ほどの道のり。遠い。山と荒野しかないようなあまり変わり映えしない景色の中を延々と走ります。
その車窓を流れるでも流れないでもないアメリカの大平原を眺めながら「すごい景色だなあ」と父は何度も口にしていて、それだけで長時間の運転が報われる気がしました。
夕方にグランドキャニオン国立公園内にあるホテルに到着して、そのままグランドキャニオンを眺めに行きました。父がどういう心境だったのかよくわからないけれど、少しは感慨はあったんだと思います。夕飯を食べながら「でかすぎてよくわからんけどやっぱりでかくてすごいね」みたいな話をしました。
翌朝、近くの空港まで車を走らせて件のヘリコプターツアーに参加しました。ゆっくりと離陸し、森の上を滑るように飛んでいく眼下に広がる光景はそれだけで感動もので、「すげー」とずっと呟いてました。車で走っているときはその断面しか見えないのだけれど、空から見ると森はどこまでも広がっていて、グランドキャニオンに着く前からボルテージは上がり続けます。
前方彼方からどんどん近づく峡谷はやがて足元に。それは当たり前に、地面に立って見るものとは全く違う光景でした。広大な峡谷に崖のような山のようなものが突き出ている姿は雄大な自然そのもので、川によって削られて出来上がったというその成り立ちも含め圧倒的な感動に襲われました。グランドキャニオン訪問3回目にして初めて、本当に感動しました。凄いという言葉しか出なくて、ヘリコプターの音で会話もままならない中、父と顔を見合わせて「すごいね」「うん、すごいね」とジェスチャーで伝え合わずにはいられないほどでした。僕はこの瞬間を生涯忘れないでしょう。
空港に戻ってヘリコプターを降りて、改めて地上から「崖」を見に行きました。グランドキャニオンはその谷の北側と南側に観光スポットが広がっていて、一般的にはベガスなどからのアクセスが良い南側のサウスリムが人気です。そのサウスリムも東西に幅広く観光スポットが点在していて、人気なのは真ん中あたりにあるマーサポイントという場所なのですが、そこから見ても本当に崖でしかないので東の端に近いデザートビューというところを目指しました。(なぜマーサポイントが人気かというと、そこがいちばんアクセスが良いからで、デザートビューまでは車で40分くらいかかるからです)
空からの眺めを知った上で地上から眺めるグランドキャニオンは如何なるものか。それはやはりそれ以前とは全く異なり、「ああ、この向こうにはこういう光景が広がっているのだな」という具体的な想像が眼前に広がる光景をより高い解像度で見せてくれて、昨日までのグランドキャニオンとは違う眺めでした。(実際、景色もマーサポイントとデザートビューではだいぶ違うんですけどね。)
この解像度というか視点の話は道中の森の中を走り抜けるときでも同じことであり、道の両側に連なる木々の見え方もやはり違って見えました。この木立のずーっと向こうまで延々と木々が連なっているんだ、というのを頭でわかっていることと肌感覚としてわかっていることは全く異なるのだなと認識を新たにしました。
こうして、「父が行きたいとかつて言っていたグランドキャニオンに連れて行って親孝行した気持ちになる」ことを目的とした僕の自己満足の旅を無事に終えて帰って来ました。他にもセコイア国立公園に行ったり、かつて住んでいた家に行ってみたり、ラスベガスのカジノで遊んだり(少し勝った)と色々としまして、父も楽しんでくれたようなので行って本当によかったです。
これでいつ死なれても安心、というわけではないけれど、しばらく語り合える、そしていずれ旅ができなくなったときも楽しむことができる思い出ができました。
旅に付き合ってくれた父と、快く送り出してくれた社長含め同僚、そしてなにより背中を押して色々サポートしてくれた妻に感謝です、ありがとう。