2022年8月 仙酔島
広島の福山市にある仙酔島に一泊してきた。
橘川幸夫率いる純朴な人たち二十数名のツアー。
旅の記録というより意識の記録。
時系列順に、細かく記そうと思ったが、たらたらと始まってもアレなので、濃度の濃い順に記す。
(旅の内容は、他の参加者の方の記事がわかりやすいです。)
https://note.com/metakit/m/mdcd0f61ea3fe
なんでもない自分
これは、宿に着いてはじめに行われた一人三分間の自己紹介のときにも話したことでもある。
東京から福山まで、新幹線に乗っている間に、ふと気づいた。
流れる景色を見ながら、不思議な感覚があった。
今の状態はなんだろう。
この旅は、仕事の出張でも、家族旅行でもない。
なんにも役割を持たない人間の、ただの移動だった。
役目や役割から解放された、なんでもない自分がいたのだ。
この感覚は、きっと大昔には当たり前のように持っていたはずなのに、いつのまにか、そうではなくなっていた。
重力や鎖、社会や世間や自分が拵えたソクバクから解き放たれて、新幹線ごと空まで飛んでいっていきそうな感じだった。
「ああ、おれが欲しかったのはこれだったのだ。」
噛みしめるように思った。
帰路、再び新幹線。
帰ったら、再び、仕事と家庭だけの自分に戻ってしまうのだろうか。
ぼんやりと思ったが、何かが違った。
心の中心に、なんでもない自分が居座っていた。
旅の記憶とともに。
なんとなく、大丈夫だと思った。
仕事の自分、家庭の自分、その間に、なんでもない自分。
しかし、その心の中に新たに鎮座するなんでもない自分を眺めていると、また新たに気がついた。
僕は、はじめから勘違いしていたのでした。
仕事の自分も、家庭の自分も、はじめからそんなものどこにもいなかった。
勝手に自分が自分の心と役割をセパレートしていただけだった。のだ。
なんでもない、素の自分が、仕事をしていたり、家庭をやっていたり、していただけ。
それに気づいたとき、領域が混ざっていく感じ。壁が溶けていく感じ。がした。
油と水だと思いこんでいたものが、実は同じ物質で、突然混ざり合うみたいな。
自分で自分を生きやすいように、または生きづらくするように洗脳してしまっていたのでした。
洗脳、という言葉を使うと、今ちょっと、アレですけど。
そんなことに気づけたので、もう自分や他者を、無闇に疎まなくても良い気がしている。
まずは、自分がここにいる。
旅の記憶を思い出せば、なんでもない自分とすぐに会える。
そんな感じで、結果として、この上ない、最高の旅になりました。
そしてそれは、濃密な体験によってもたらされたものだと思います。
島や宿、企画してくれた方々、僕とたくさんお話ししてくれた方、みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
大空宗元さんの話
今回の旅では、「ここから」という宿に宿泊した。
鞆の浦・仙酔島 瀬戸内海国立公園人生感が変わる宿 「ここから」
島に着いて、昼食のあと、宿のオーナーである大空宗元さんの話を聞いた。
整った白髪に、白いジャケット、白いパンツ、白い革靴。
目つきも只者ではない感じで、睨んでいるようで、でもその表情は読めない。
で、その雰囲気たっぷりの方にお話を聞いたのですが。
まあ、面白かったです。
それは、話の内容が、ということではなく。(内容も面白かったですが)
話し始めた瞬間から、何かが向けられる。
空気が緊張するとかこわばるとか、空間全体の変化ではなく、個人間の通信が始まった感じ。
話を聞くときに、この感覚があるのは、今まで橘川さんだけだった。
橘川さんの話は、自分のコンディションがどういう状態であれ、集中して聞けるし、眠くなったことはない。
それは話の内容ではなく、言葉や仕草や視線、空気を介した個人間の通信が始まっているからだ。(と大空さんの話を思い返してわかった)
むしろ、話の内容は、わからないことが多い。
しかし、意識を介してではなく、響いてくるものがある。
この不思議な感覚はなんだろうと思ったら、橘川さんが前々から言っている「ロック」だった。
洋楽の歌詞がわからない音楽、日本語でも、何を言っているか聞こえない曲、でも、ああ、好きだなと思うことはいっぱいある。
なんかわかる、と思うときもあるし、わかんないのに泣けてくることもある。
それと、おんなじ。っぽい。
その人の中に、伝えたい気持ちがある。
しかも、自分の言葉で。
それを真剣に語ってくれている。
そんなの、響かないわけないでしょう。
という感じ。
少し考えてみた。
伝える、ということには種類がある。
情報を伝える、感情を伝える、記憶を伝える、教えを伝える。
いろいろあると思います。
橘川さんや大空さんは、何を伝えようとしているのかと考えた。
それは「なにか」だった。
自分が感じたり、気づいたり、発見したりした、「なにかわからないもの」を伝えようとする。
それを伝えるためには、他の人が用意した言葉だけでは伝わらない。
自分で自分の言葉を作り出す必要があるのだ。
「なにか」を伝えるために。
「なにか」を自分自身でも知るために。
そういう、言葉との向き合い方をしてきた人の話は、とても響く。
それが伝えるということなのだ。
話の中で印象的だった言葉は
「入っちゃいけないよというところには入りなさい、触っちゃダメだよというものには触らなきゃいけない。君たちは地球に遊びに来てるんだから」
という部分。
他にもたくさん。
それと、言葉と言葉の「間」が印象的だった。
あのリズムがなければ、言葉の強さに疲れてしまっていただろうなと思う。
その「間」も、ただの沈黙ではなかった。
息苦しい真空状態ではなく、呼吸の一つとしての沈黙だった。
あのバンドのライブにまた行きたい、というのと全く同じで、また大空さんのお話を聞きたいなと思っています。
江戸風呂
サウナと風呂(海)に交互に入る江戸風呂。
伊藤さんと渡辺さんと、三人で周る。
サウナは三つあって、しゃがんで入るくらいの狭い入り口。
立て付けが悪く、開かなくなったら死んじゃうんじゃないかと思った。(多分死ぬ)
サウナから出ようとするとき、渡辺さんが「あれ、開かない、、」というくだりを毎回やるのが良かった。
サウナの空間は、異様だった。
ライトが一つ足元に灯ってるだけで、部屋全体は暗く、洞窟の中みたいだった。
プツプツ吹き出た汗が光ってた。
その雰囲気のせいか、そこで話したことはほぼぜんぶ覚えている。
(ほとんど映画の話だった)
伊藤さんのお気に入りの「ナイアガラ」は見てみたいと思った。
久恒さんの話
宿に到着してからの昼食。
久恒さんと渡辺さんと。
久恒さんに図解コミュニケーションを説いていただく。
文字、文章の持つ未熟さ、欠陥についての話しに、なるほどと思う。
宿の記入表で、久恒さんと自分の誕生日が一緒だとわかる。
「この誕生日は出世するよ」
と言われた。
わーい。
夜、部屋
渡辺さんと窪さんと田原さんと一緒の部屋。
田原さんは、お疲れの様子で早々に眠ってしまった。
窪さんの、土器に関する話を聞く。
いろんなことを試行錯誤をされているのだと思った。
表面的にはにこやかで柔らかい雰囲気だけど、頑固な魂が宿ってる方だなと思った。
(過去のブログを読んだら、とても詩的で素敵だった)
渡辺さんは、怖いホラー映画をどんどん勧めてきた。
予告を見させて、わたしを震い上がらせたりした。
そのあと一人でロビーの方に降りたら流れてくる音楽とか置いてある像とかがぜんぶ怖く見えた。
夜、海
渡辺さんが仕事をするので、一人で砂浜に出た。
瀬戸内海。
波も風も柔らかくて、今まで夜の海は暗くて重くて怖いだけだったが、全然怖くなかった、やさしかった。
海を見て、妄想を膨らませた。
ああ、自分は昔からそうだったと思い出した。
朝、餅
二日目の朝、餅をつく。
感謝の法被が暑すぎた。
僕は非力なのでペチンペチンと情けない音を出していた。
伊藤さんが力強かった。
雑煮の汁が美味しかった。
ヤキモチも美味しかったが、おなかがいっぱいになた。
帰路
船で前川英大さんがギターを弾いてくれた。
ああ、ギターを持ってくるなんて手もあったか、とおもた。
今度セッションしたいです。
思ったこと。
例えば、居酒屋で知り合ったら、再び会うときに、酒が必要だろう。
ライブハウスで知り合ったら、その人との間に、音楽があるだろう。
でも、この旅は、はじめからなんにもない。
だから、間になにもなくても、また会えるし、会いたいと思える。
しかも、何年後でもいい。
そんな友達ができる旅って、スゴイ。
そんな旅を企画する橘川さん、不思議です。
そして管理進行してくれたモモさん、たまこさん、ありがとうございました。
(本文終了)
LINEでメモったこと。
2022/08/22(月) 二日目
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