小笠原 良輔

草加のサッシ屋さん

小笠原 良輔

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水商売へ

20代の私は何の知識も技術も持っていなかった 当たり前ではあるが、何もない トラックの運転手をやめ、何かを求め始めた事、 バーテン見習い 水商売だ 思い切りの良さだけはあったね 埼玉南部の寂れた駅前のビル 2階にあったアイリッシュパプだったのか テーブルが2脚 カウンターが4席 タバコの煙で汚れた壁 女店長バーテンダー 2つ年上の少しシェイカーを振っている男の先輩 素敵だったよね でも、元トラック運転手の私は、 台所にしてあった、売上ノルマ81000円の貼紙に、今まで

    • 漫画で言語化される、男の世界

      「何かを排泄するときは、すべからく気持ちのいいものだ」 餓狼伝より抜粋 汗 ガテン系、汗、単純、早く帰れる、粗雑、気楽な稼ぎ ここに、ハマってなかなか抜け出せない事がある 汗かいて、一仕事して、帰ってビール飲んで、筋肉ついて、 日銭を稼ぐ後輩に先輩面している そんな罠に私はハマっていました。 これにハマる人はよくいる だって楽しいんだもん でもね、刹那的な毎日ですわ 人生に何かを求めている場合、このルーティンは罠かもしれない 20代、 このルーティンに飽き、何も身につ

      • ガテン系の罠

        まあまあ長く続いたバイトがある、 引越屋さんだ 当時10代後半、体力だけはある。 以前の虚弱な私はもういない 「自分にも筋肉がつく」という実感を得た高校生は1.5キロのペットボトルから筋トレを始めていた コンプレックスというのは凄い 一旦、その解決策を知ったら ダムの決壊が如く、解決へと流れはすすむ 10代~20代って、体力を使っているそばから回復してるんだろう 遺伝子って凄いよね そんな中、引越のバイトは単純、運べばいいのだから、 相想笑いの出来ない思春期 面倒なバイ

        • 思春期にアルバイトは修行なり

          高校生の夏休みサッシ屋さんでバイトして、そのまま職人一筋 かと言うと思いきや、そうでもない まぁ、いろんなバイトをする 欲しいものはいっぱいあったからね コンビニ 食品工場 酒屋 魚屋 引越屋 後になってもっと色々やる事になるのだが、高校生はこんなだったか 性に合わない仕事も経験する コンビニ 🏪  思春期の俺が愛想笑いで「いらっしゃいませ」かよ 尾崎豊が大好きです 食品工場🏭 俺は機械か コンビニの蕎麦のネギを何時間盛るの? 酒屋🍺 どいつもこいつも嫌なやつだ

          浴びる洗礼

          高校生の頃、サッシ屋でバイトしていて、 驚いたのは、ベテラン職人Yさんの昼寝のいびきが、まじうるさい!! それである 何のこっちゃ… 当時、高校生の自分はまあ、貧弱だった まず色白、やせ型 好きな事は鉄拳3 スポーツマンと、陽キャだけで世の中が構成されているわけではない そんな陰キャ高校生にとって建築現場はまあ辛かった 毎日、材料運び 改築の現場だったので、サッシの解体材運び とにかく物を運ぶ それしかできない 大学の敷地は広い 運ぶ陰キャ… 陰キャが通る… 三つ目

          高校生のバイト 大人の世界を垣間見る

          あんまり堅苦しい事を書いていくのも何なので、私の昔話を少々したいと思う そもそもなぜこの世界に入ったかというと、大した理由はない 同級生の親がサッシの仕事をしていて、バイトさせてくれたからである 高校生の夏休み、初めてバイトさせてもらった。 たいして打ちこむものもない普通の高校生、運動神経が良いわけでも、頭がいいわけでもない まあ遊ぶ金欲しさにバイトは探しているわけだ バイトの面接とか、面倒と思っているところに、友達のところは正に渡りに船 当時、FF7が欲しかっ

          高校生のバイト 大人の世界を垣間見る

          サッシ職人の技術の継承について

          今日はサッシの技術継承について好き勝手に書いていこうと思う、 そもそもこれを考えたのは独立してから 独立するまで、見ず知らずのサッシ業界に入って、7年は修業したたろうか サッシ取付は、10年もつ美しい商品の提供と考えると、やはり難しい 基本技術としては、 ①楔をつかった建て込み ②アーク溶接 ③インパクトトライバーを使用した付属部材の取付 となるだろう 簡単なものであれば建て込みなど2、3日で出来る 溶接は習得に時間がかかるが、3ヶ月もすれば、数本出来るだろう 金物

          サッシ職人の技術の継承について

          日本の伝統文化、東洋思想を学ぶ草加のサッシ屋さん

          埼玉県草加市でサッシ(鋼製建具)取付業をしています が、20代から始めて、初めからサッシにこだわりがあったわけではありません 僕が興味があったのは、特別な何かを身につけること 20代、何もしらず、何の力も知識も技術もない僕は、ずっと力を求めていました 社会に出ると、厳しい現実を味わいます 己の無力さに打ちひしがれます 10代、貧乏だった家には金がない 思えば、ずっと現実を変えたかった そんな思いを抱え、社会に出ると 力を欲する そこから、出会いは始まりまし

          日本の伝統文化、東洋思想を学ぶ草加のサッシ屋さん