真心と、もののあはれ
龍神靈氣読本は毎週月曜更新します……のはずが、もう金曜じゃん。
水星逆行の破壊力(ということにしておきましょう)。
本当は今週の月曜にこの記事を書こうとしていたのですが。
気づいたらもう金曜なんですけど、どういうことかな(笑)。
というのも、2019年ごろから脳に関する新しいセッションを開発していたわけです。
なぜ脳か、臼井靈氣にある潜在意識のメソッドを現代に合わせていろいろリニューアルしようという発想から。
で、27日の月曜からモニターを募っておりまして。
当初募集していた10名は有難いことに早々に埋まりまして、現在追加募集の五名様を受付中。
やってみて、その反応の大きさに結構びっくりしているわけです。
顔が変わったり頭の形や骨格が変わった人もいて(笑)、いやいや脳の破壊力よ。
で、そんな時期に書こうとしたこの真心ともののあはれのお話。
臼井靈氣の潜在意識を扱う部分って、奥伝と呼ばれる段階で伝えられます。
連動しているチャクラは第三、第四、そして術者の仏心を理解する過程。
その過程の中で慈悲と慈愛について考える時間があるわけです。
ということは同時に「潜在意識に何かするものは、慈悲慈愛が理解されていて然るべし」という判断を当時の臼井先生がお持ちだったということ。
この世界に入ってそろそろ20年になりますけれども、慈悲とか慈愛とかお寺の子でもなけりゃ神社の子でもなく、ましてやクリスチャンでもない平々凡々とした半妖怪の子は、結構難解な問題でして。
その答えが来年臼井靈氣生誕100年めを前に出たわけです、個人的には。
それが真心と、もののあはれだった。
真心、対義語は不実。
一番霊たちが嫌うものです、不実なものとの縁つなぎとか絶対手を貸してくれない。
そして、もののあはれ。
これまた判りにくい、でも靈氣でいわれるこのシンボルは調和のシンボルなので、きっとこれで合っているのだろうと思っています。
この発案者の本居宣長の頭の中を見てみたいよ、本当に。
真心も、もののあはれも解釈は多様にあると思うのです、こうなってくると価値観が大切になってくる。
そして、どちらも一度失ってしまうと取り戻すのが大変なもの、それこそ認知を歪ませようものなら、あら大変って個人的には思います。
心を込める、と、真心を込める、は違いますしね。
その意味で、えみこは「形だけやっておく」というのが嫌い。
以前そういった人も、そうさせた人もいましたけれど、結局最後はご縁が切れていくことになりました。
致し方ないのだろうと思います、だって無理なんだもん、形だけ。
それが嘘とは言わない、でも形だけされることの寂しさってそれこそ「もののあはれ」だなぁと思う。
キリスト教における「憐れみ」について、カテキスタの先生の所へ通っていたころに教育されたりもしたけれど、そことも違う日本式。
でも、この感覚を持てたのって、上洛してからだと強く思う。
やっぱり認知は行動習慣が生み出し、そして環境が違う=認知が違うから通用しなかったり届かないのだろうなぁ……なんてことを思ったりもします。
人望がある人間だとは思っていない、でも、人望がある人になりたいとは思っている。
そうしないと、届けたいものが届かなくなってしまうから。
えみこと同じ価値観の真心ともののあはれ、それを持っている人にどうぞご縁ができますように。
御1日参りの朝、そんなことを強く願ったのでした。