一円にもならなくても、大切なもの
人はみんな、錦を抱いて生まれてきます。
その錦に似合うように生きようとして
つまづいたり傷ついたりします。
それでも、錦を着たいから必死に頑張り
前に出ようとする。
そんな時代が、昔はこの国にありました。
つい最近、30年くらい前までは。
古い歌に「ボロは着てても心は錦」って
歌詞があって。
昔は貧しさや世間に負けてだめになりましたが
いまは、そうじゃないような気がします。
錦って言って、いまどれくらいの人が
わかりますかね?
西陣に暮らして、着物も織物も近所でよく
目にします。
金糸銀糸は高価なお着物、昔はそれを
故郷に飾ることを願っていました。
官軍の印、勝ちや成功の証でした。
故郷に錦、最近とんと聴かないなあ。
生粋の神奈川っ子です。
いつくらいからか、「そんな一円にも
ならないもの」って言葉を聞いてきました。
そんな人たちに会いすぎてきたことに
気づかされたこの週末。
こんな言葉を教えて貰いました。
沈丁花は枯れても芳し
沈丁花は、大好きな花です。
腐っても鯛の類語ですが、本質があるものは
衰えても価値が下がらない、というものです。
価値は、自分が落とすんですよね。
これを「成り下がる」と評します。
成り下がるためには、錦を手放さねば
なりません。
反対に錦を貸したがために、堕とされて
しまう人もいます。
さて。
貴方の錦は、ちゃんとありますか?
元来自由そうに見えているらしい
わたしですが笑
実はいつのまにか、小さな檻に
飼われていたことに気付いてしまいました。
わたしを檻に入れた人々に対して噴出した
思いがあって、随分苦しんだけど。
その思いこそが、終わらぬ罠だと思う
瞬間があって。
全部、やめることにしました。
なんの保証も元々ないけれど、
それはしなきゃいけないって枠を
自分に作り過ぎたから。
魔法使いになる気はないけれど
もう二度と現れないやつとして
死んでいくことだけは、決めて
いるから。
そうなるように、生きていなくちゃ
嘘だなって。
思うようになりました。
息を吸うことさえ自由にできない
時間を過ごし。
わたしのすべてを否定した街をようやく
離れられて。
その先なにしたい?ってなったとき
やりたいことのすべては、この街
都にしかありませんでした。
気付いてしまえばもう、気づく前には
戻れない。
自由なわたしを捕まえられる人だけが
きっとわたしに会える時代が来るんだな、と。
そして。
向こうが会いたくなくても、会いたければ
押しかける、そんなわたしに戻るんだな、と。
だから、友達は少ない笑
でも、少なくていいんだと思います。
振り回される人の数は、最小限に。
そして、死んだ後みんなから言われたい。
ほんと、とんでもないやつだったね。
あんな人、もう二度と現れないだろうね。
それを聴いたら、安心して成仏する。
Vサインしながら、ね。
日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。