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特別な日だから、思い出す理由と記憶。

今日は鶴崎さんのお誕生日ですね!!!
おめでとうございます!!!!!うわーーい!!!やったーーー!!!
自分の誕生日より嬉しい!!これが「推し」活!!!

しかしながら、オタクなのにも関わらず、こういう時どのようにお祝いして良いか分からないので。
最近、文章も書いてないなという点も含めて。
そうだな……推しについて書くかぁ。と思った次第。

どうして彼を「推す」……いや、ここは敢えて「好き」という表現を使おう。そのようになったのかを中心に。
彼のこんなとこが素晴らしいんだ!と伝わればよいし。自分のことも話すのでこの人ってこういうヒトだったんだと知ってもらえればよし。
最近読んだ記事で「文章を書く」ことに勇気をもらったので。自分の言葉を書いてみようと思う。

好きになったきっかけの動画。

私は、大の数学嫌いである。
その自分が大嫌いな数学を愛しているこの人は、まさに真逆の存在だなと思った。そう、よくある「ないものねだり」だった。もともと東大王で凄い人だとは思っていたが、より凄い人なんだと自分が位置付けた。
でも、その能力以上に印象に残ったのは「楽しそうだなぁ」という感想。
的確にツッコミを入れつつ、あーあーうーうー言う様子もどこかコミカルで面白い。そして、無理だ、難しいという困難な状況でも常に「笑顔」。
特に最後の笑顔は記憶を呼び覚ますトリガーだったような気がする。そういえば、東大王の最後でも、いつも「笑っていたな」と気がついた。残り〇〇人とか、結構無茶な数字の時も。「超難問」でアップになる瞬間で彼の表情が真剣になることはあれど、強張ることはなかったな。そんな感じ。当時は、言くんや七海くんの表情がクールだったから、余計にそういう印象をもったかもしれない。今は違うけど。

私はソウイウ場面では、緊張に染まってしまう。
緊張しいなのに、何故か目立ちたがり屋な自分。ステージの脇で、よく気持ち悪くなったりお腹が痛くなったりしていた。現在でも、クイズのシンキングタイムとか、待ち時間とかは、そういうのは変わっていない。胃薬がお友達。自分とは長い付き合いだわ。
先の数学の話もあって、本当にないものねだりなんだろう。単純に羨ましいと思って、眺めるようになった。
まぁ、眺めていたら、いろんなことに気がつくわけで。オタク口調とか、いつもの決めポーズとか、ゲーム好きなとこ(でも私はRPGの方が好きだ)とか、見ていてめちゃくちゃ「面白い人」なんだと思った。ここら辺で「推し」・「好き」と自覚。
好きになってからかな。この人から「楽しむ」を「学ぶ」ようになったのは。
変な言い回しなのは、その時は精神的な理由で職を辞めて無職だったからだ。環境を変えたいと焦る一方で、今までを振り返ってたりしたから、まだまだ精神的に不安定な時期。今現在、動画の投稿日を見て、そんな時期かなと思い出した。今は、環境が安定しているので、まだまだ名残はあるかもだけど(不安症な部分とか)とりあえず大丈夫。

そうそう。鶴ちゃんを見てるとね。単純だけど「楽しくなる」。リアクションで動画みながら声上げて笑っちゃう。動画見た後も、思い出し笑いしちゃう。そんなシンプルなことが、当時の自分にとって、今の自分にとって、とても幸せなことだ。

逆に、東大王とかでのピンチの部分。それも「楽しくなる」。本来は、勝つか負けるかのドキドキ緊張する場面。CMを使って、時間を引き延ばされるのが嫌いだった。負けた瞬間のガッカリは自分にとってはあまりよろしくない。テレビのことでしょ?と言われても、些細な刺激さえ当時はあまり受け入れたくないと思うこともあった。
だけど、彼が出てくればなんとか大丈夫。大将だから必ず最後に出てくるんだけどw
ドキドキする番組も割と安心して見れた。どんな時もその人が笑顔だったからね。
応援したけど負けてしまった時も、「次こそはですねー」って笑顔だったわ。それが、自分にとっては羨ましくて、凄いと思って。こんな風になりたいって、なれたらなって。とりあえず真似でもしてみるかぁーって思ったりしてましたね。
少しずつ「楽しむ」ことを「学んで」いたわけですよ。現在もそれは継続中。

その時と環境が変わって、落ちついた今。そのドキドキを自分が少しばかり「楽しめる」くらいになっているという。この変化よ。
そうやって、精神的にも環境的にも安心して、欲が出てきて。「お手紙」を投稿するようになって、仲間に出会って、現在。
こう考えると、推し・好きな人のパワーってとてつもなく凄いんですね。
3年くらい前の自分にゆっくりお話したいですわ。将来、大丈夫って。過去の自分がそれを受け入れてくれるかは分からないけれどwww

うーん。推しについて語るつもりが後半は自分語りになってしまった気がする。
まぁ、そういう自分なんだろうな。改めてこれからも推しを好きでいこうな、自分。
ここで推しという表現をあまり使わずに「好き」と表したのは、自分が「可愛い」「ヤバい」(ここでは推し)等の割と便利な表現を使いたくなかったから。そして、はっきりと「好き」と断言できるくらいに生活の一部になっているからだと言っておきます。
もしかしたら、これからその「好き」で悲しくなることもあるかもだけれど。実際、東大王卒業の時は悲しくなったけども。それでも、応援していきたいと思っています。
好きな人は変わることはないと思うけども、もしも変わったら変わったで(笑)。

これからも、こんな自分と付き合いつつ、応援していきます。
勿論、新しいことも楽しみながらね。

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