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海峡の尻フリスト

ある日、スーパーで小学生の男の子が、買い物カートに向かって必死で勢いよく尻を振っていた。

なにをやっているんだろう、とよくよく観察すると、カートに小さな子が乗っていて、男の子が尻を振る度ゲラゲラ笑っていた。

彼は、妹(または弟)を笑わせるために尻を必死で振っていたのだ。

ほっこりした。

昔、ボランティアで子供向けの先生みたいなものをやっていた。

子供らの環境はさまざまで、でもどんな子も可愛かった。
成長を見守るのは楽しかった。
日々、泣いたり、笑ったり、喧嘩したりと子供たちは忙しそうで、時々、こちらの大人がすることに思いもしない質問を投げかけたりした。

あの頃も子供らに、絵をよく描いてやっていた。

子供らは喜んで、次これ描いて!これも!と、どんどんリクエストして来た。
知っている絵は描けるけれど、凄まじく難しい漫画のリクエストは困った。なんとか描いた絵は下手糞だったけれど、物凄く喜んでくれた。

その子らはとっくに大人で、でも実は我々が救うことができなかった子も何人もいる。

詳しくは言えないが、手が届かなかった。
できっこない希望だとはいまも思う。

だけど、あの子供たちを、どうにかして全員、救いたいと思っていたし、少しは救う事が出来た、と思っていた。

思い上がりだった。

時間が作れるようになり、絵を描き始めた。
でもどうせ描くなら、誰かのためにやりたかった。

本当はなんとか子供らを救いたかった。
そんなことできっこないくせに、後悔が嫌でどうにかしたいのだ。

我々は変わらない。結局後悔から逃れたくて仕方がない。
今更、あの子らには何にも届かないのに。

あの子らはとうに大人になっている。救えた子もいる。幸福な子もいる。
でもやっぱり全員じゃない。

我々が文章や絵を書くのは、凄まじいほどの後悔の為です。
あの頃の子供たちが、我々の絵やデザインを、喜んでくれていたからだ。

絵なんか何の力にもなれない。笑わせることしかできなかった。
後悔は多分自分が死ぬまで響く。笑顔をいまも思い出す。

絵も文章もデザインも、結局は下の子を笑わせようと尻を振る兄と変わらない。
本当に思い出すだけで、どうしてなんとかできなかった、という後悔がいつも凄まじく押し寄せてくる。

しかし我々はもう良い年なので、ガチで尻を振る訳にはいかないので、絵を描いて文を書き恥をかく。

我々は今日も、凄まじい後悔を抱えながら、笑わせるために必死に尻を振り続けるのだった。

オフナテオッターズ

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