薬を飲んでも。
「死にたい」
そう思った事は今までの人生の中で確かに何度かあったが思っているだけで口にした事はなかった。
例えば友達とのLINEで「うわぁ〜やらかした。死にてぇ〜」ぐらいでしか使ったことがなかった。
なんとなく、なんとなくだけど言葉にしたら終わってしまう気がしたから。
その時は突然きた。
一昨日、つまりは3月4日月曜日の夜、25時。
いつも通り寝ようとして眠剤を飲んでベッドに入った。
その時なにかの糸が切れてしまった。
プツッと。
棚に入ってる色んな薬。
眠剤、安定剤、抗うつ薬。
それを見て俺は「一体いつまでこいつらを飲まなきゃいけないんだ?」「一体いつになったらこの病気は治るのか?」
薬を飲んでも一向に良くなっている気はしない。
むしろなんだか別の"モノ"を心の中で患っている気がしてならない。
その時ふと言葉にしてしまった。
「死にたい」と。
25時30分、とうに寝ている母と妹に「じゃあね。おやすみ」と聞こえるはずのない言葉をかけた。
そして俺は家を出た。
バイクに跨って、ダメだけどイヤホンをしてプレイリストをシャッフルで流しながら地元の思い出の場所を巡っていた。
小学生の時よく遊んだ公園、自分の通っていた小学校と中学校、元実家、中学生の時に好きな人と歩いた道、野球もサッカーもして遊んだ河川敷、高校時代の最寄り駅までの通学路。
とにかく色んな場所を巡った。
「なんだ、俺意外と思い出沢山あるじゃんこの街に」なんて思ったりもした。
最後に辿り着いたのは地元付近で1番大きい川に架かる大きな橋の真ん中だった。
俺は俺の人生を終わらせようとしていた。
1番選んではいけないことをしようとしていた。
頭の中には色んなことがグルグルと巡っていた。
毎日LINEしている大親友のこと、最近結婚してお祝いした友達、海外赴任になって2年近く会えなくなる友達、結婚して静岡に住んでる最高の友達と奥さん、こんな俺でも未だに慕ってくれる大学の後輩、仲の良い大学の同期たち、ちゃくらのみんなのこと、ちゃくらのおかげで出会えて仲良くなれた俺より全然年下の友達のこと。
みんなのこれからの行く末を見たいなぁ、見たかったなぁって思って気づいたら泣いていた。
結果、終わらせられなかった。
だからいまこうやって文字に、文章を書き起こすことができている。
そんな大層な事をする勇気と決断力は俺にはなかったみたいだ。
27時。
俺は家に帰ってきて再びベッドに入った。
眠れぬまま朝を迎えて、母に「あんた夜どこ行ってたのよ」と言われ「ううん、別に」とだけ返した。
到底こんなこと言えるわけがない。
昨日は丸1日死んだようにベッドから動けなかった。
なんにもできなかった。
今思えば一昨日の夜の俺の行動は俺の患っている「パニック障害」の発作のひとつだろうと思う。
今朝も発作が起きて息がうまくできないし、心はグチャグチャになるし、動悸は止まらない。
安定剤を、薬を飲むしかない。
出かける時は必ず安定剤を飲んでから外に出て、予備の安定剤も携帯している。
一体いつになったら本当に薬を飲まなくてよくなるんだろうか。
終わりは来るのだろうか。
と、考えたところで俺は医者じゃないしわからない。
俄然「死にたい」「消えたい」という気持ちは消えていない。
いつまたどこでその思いが強まるかわからない。
でもとりあえず今日も生きている。
たくさんの人に支えられながら生きている。
みんなの行く末を見たい。
もしかしたら明日すごくいい事があるかもしれない。
明日も不器用に自分の病気と闘いながら生きてみようと思う。
2024/3/6 Wed.
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