「自分に宛てられた広告」に目を向けよう。
「これは広告です」と言われればひとはどう思うだろうか。「なにか売りつけられるんじゃないか」と思って、うたぐりの目を向けるだろうか。
広告とは、誰でも見ることができるものである。それゆえに、最近でも企業がつくった広告がたくさんのひとに批判されてCMの放映が中止になったり、今のご時世ではネットで炎上することも多い。
「あの広告はダサいよね」「センスがない」「差別だ」
そういう話をされるのを聞くたびに、「そこの商品って、あなたはよく買ってましたか?」と聞くようにしている。なぜなら、ほとんどの場合買ってないからだ。
広告とは、誰でも見ることができるけど、広告は誰かをターゲットにしてつくっている。ふつうは、その商品を好きなひと、好きになってくれそうな人に向けてつくるだろう。
だれでも、「自分に宛てられた広告」は好きだと思う。自分が知りたかったもの、欲しかったものをわざわざ知らせてくれるんだから。そういうものを「自分に宛てられていない」ひとたちが声をあげて、どうにかしてしまっていいんだろうか。
あなたがある広告を見て、しっくりこなかったり、違和感があったり、もしかしたら嫌悪感まであるとすれば、その広告はあなたに宛てられていないものかもしれません。
「宛てられてないもの」にいやな気分にされるのであれば、それは見なかったことにして、そっとしておきましょう。その時間をつかって、「あなたに宛てられたもの」を見ましょう。そのほうが、なんだか自由だ。