自分のつくりたいものに「嘘をつかない」から変わり続けることができる。【Design Complicityインタビュー、2年後の後追い】
Design Complicityのデザイナー、小暮さんからはいつも「誠実」「まじめ」「純粋」というような印象をうけます。
たぶん、本当はそうじゃないと思うんですが(いい意味でね)、
「このひとのつくる服だったら大丈夫だろう」と思わせてくれるような「まっすぐさ」のあるひとです。
「自分のつくりたいものに嘘をつかない」のがむずかしいということ、皆さんもわかると思います。
何かをつくるときには、「自分のつくりたいもの」以外に考えなきゃいけないことがたくさんある。
お金のことだったり、時間のことだったり、そもそも自分がつくりたいものってなんなのか、とか。
小暮さんはインタビューの最後のほうで、
”「自分が良いと思うものをつくること」以外のことを気にしてばかりいたら、納得いくものがつくれなくなってきた。”
”自分がつくっているものを肯定できなくなってしまうのは、多分デザイナーとして一番良くないことだろうと思うので。”
”だったら、自分の納得できるクオリティーのものをつくって、それで値段が上がってしまったら、それはしかたないなと。”
とおっしゃられている。
「嘘をつく」というのは「つかない」よりは簡単なことで、言ってしまえば「体裁をととのえる」のはわりかしむずかしいことじゃないと思います。
以前、それに近いことをいった記事があるのですが、
「嘘をつかない」ということは「本当のことを言う」ということ。
「プロなんだから嘘をつかないのはあたり前じゃないか」というひともいるかもしれませんが、プロのほうがこういうのはうまいんです。
小暮さんは、外見は中性的なのですが、考えはすごく男性的で職人気質です。
パタンナーとして仕事をされていたときの、論理的に突き詰めていくような考えかたがやっぱりあるのでしょうか。
同時に、「自分のつくりたいものに嘘をつかない」ために自分とよく相談してるんだなぁと思いました。
お話をうかがっているときも、話しながら考えてるというより、自分のなかですでに考え終わったことを引き出しからだしてきてくれているような。
「自分が良いと思うものをつくること」をいつも考えて、自分と「どうしよう?」と相談しながらすすめていくからこそ、つくるものがいきなり大きく変わって、周りをびっくりさせてしまうこともある。
ずっと変わらない考えとか感情なんてそうそうないですから。
ここまで書いてみて気がつきましたが、もしかしたらそれがデザイナーズブランドといわれるもののたのしみのひとつなのかもしれません。
「今までとずいぶんちがうんだけど、こういうのはどうかな?」という
デザイナーからの問いかけであり答えに「私もこういうのがいいとおもってた」とか「ちょっとちがうな」とか。
服を通して「売るほう」と「買うほう」のあいだに、そういう無意識のコミュニケーションが生まれる。
ちょっとそういう目線で服を選んでみると、たのしいかもしれません。
Design Complicityさん、2年前のことですが、ありがとうございました。