いつまでも追いかけるほうでいたい。
仕事に追われる、家事に追われる、時間に追われる。
追われるのが好きなひとはあんまりいないと思う。でも、「追われている」って思うときはどんなときなんだろうか。仕事も家事も、おなじ量で・おなじだけの時間があっても、追われているとは思わないときがある。
ふと、それは自分が「追いかけるほうでもあるとき」じゃないかと思った。言いかえると、自分がやると決めて、それがたまたまたくさんあったときとか、自分がなにかを達成したいときに、しないといけないこと。
きっと「自分から」ということが大事なのかもしれない。
追われたくないひとは、こちらからも追いかけたいと思えることをしよう。
こういう言い方もわかりづらいですね。たとえば仕事のお誘いがあったとします。(この場合の「仕事」は、「デート」でも「飲み会」とかでもいけるとおもいます。)
ともかくお誘いをいただいたときは、いったん考えてみます。
もしこの「お誘い」がなかったとしたら、自分からまったくおなじことを「お誘い」することはあっただろうか。
「誘われるほうになる」ということは、今まで自分が相手をお誘いするという「企画」を思いついてなかったということです。
今回のお誘いに「こちらからも、お願いしたいです。」と返せるだろうか。
断ると相手に悪いからとか、みんなやってるからとか、そういう「自分から」じゃない理由で引き受けてしまうと、いざというときに「追われて」しまうんじゃないかと思う。
「追いかけたい」と思えることをちゃんとやれていますか?
いつも自分が追いかけるほうでいたい。そうして、「追いかける」ことができていたのなら、例えば残業で寝る時間がなかったり、休みがとれなかったりしても、死んでしまったりはしなかったと、そう思うのです。