うまくいかない夜に
またも徒然と。
今年はもうちょっとnoteを更新しようと思っていたのに、気づいたら2月も下旬に差し掛かった。
ありがたいことに日々仕事に没頭する日々。
今のぼくは3月に上演する
おぶちゃpresents「スプリング、サプ、カム。」の台本の修正中。
雑務を終えて「さあ書くぞ!」とようやく時間を確保したにもかかわらず、
なかなか思うように進められない自分に嫌気がさす。
「嫌気がさす」って文字にするとずいぶんとげとげしい言葉だね。
現実は「あーあもうおれってばやんなっちゃうなー」って感じ。
どうやら僕は陽キャらしく、自分の中では全然そんなことないよーって思う時もあるけど、陽キャなんだって。まさに今とかは本当に、そんなことないよーって思うくらいstruggleしている。ストラグル。ストラグってる。ストラグりまくり。
陽キャのstruggleって外から見たらどんな感じなんだろうね。
ものづくりを突き詰めている時間って楽しいし苦しいし、それを求めてこの世界にいるわけだから、マッチポンプも良いところなんだけどね。
おもろいよね。
こんなふうに日々物語を考えて、演出を考えて、稽古場でみんなで作り上げて、本番でお客様の前で表現をして、感想もらって喜んだり悔しがったりして、千秋楽が終わってなんとも言えない寂寥感にかられたり。でも気づいたら次の作品の物語を考えて、以下ループ。
今の自分のスタイル(役者やって脚本演出して制作周りやってスタイル)をいつまで続けられるんだろうというのを考えることも増えた。
悲観的な意味じゃなくて、なんというか。
高校の最後の文化祭に向かっていくわけですよね。人生が。
なんだよ急に青クサイ表現しやがって。夜だからそうなっているのか、そもそもそう思っているからこんなことを書いているのか。答えはきっと後者だねあーあ恥ずかしいったらありゃしないよ。
ようするに、今一緒にお芝居つくれている仲間と過ごせる日々は限られてるよねっていう感情がとても強くなっているということ。悲観的な意味でも楽観的な意味でもなく、事実としてね。当たり前なことを改めて噛み締めている。
そう。文化祭。文化祭なんですよ。人生の文化祭。
というか、人生は文化祭。
誰も求めてないところから誰かが何かを作って、誰かがそれに共感、共鳴して、人が人を呼んで、1つの祭りができる。
じゃぁ「祭り」でええやんって感じなんだけど、祭りってさなんか結構地元や町内会の長老たちのものって感じがしていたからピンとこなくて文化祭。
あくまで好きでやっているだけ。
それが僕の原体験だし、原動力。
なんて思っているくせに、いざ目の前の壁が来た時にstruggleしている。
一生ストラグっていくんでしょうね。そうですね。ほら見てここにもいいとも世代。
台本の現実逃避に久しぶりに文章を書きました。
誰も読んでないかもしれない文章をここに書いているということは、誰かに見てもらいたいっていう心がどこかにあるんだと思う。自己承認欲求、自意識とのたたかいだー。弱さを認められる大人になりたいと思いながら日々生きています。
人生一度きり。
後悔のない人生を過ごそうね。
さあ次の作品はどうなる?
この文章を書いた僕は台本に戻る集中力は残っているのか?
劇場でおたしかめください。つってね。
おやすみなさい。