コニーさんの隣で見る景色①
前書きという名の自己紹介
ついついカッコつけたタイトルにしてしまって早速恥ずかしくなってしまいますが、まずはそれでもリンクに飛んで下さったみなさまありがとうございます。
おぶちゃ主宰の大部恭平です。
普段の僕は「おぶちゃ」という場所で作品を生み出し、みんなで作り、届けることをメインに活動しております。
様々な人の支えがありながら、なんとか今年は8周年まで辿り着きました。
おぶちゃをやる前に数年メンバーを入れた活動をしていたのですが、どうも僕がやりたいことに無理やり付き合わせているんじゃないか?という気持ちになり、一度【個人企画】として仕切り直しをして作ったのが、この「おぶちゃ」です。
おぶきょのちゃれんじ、略しておぶちゃ。
それが一昨年(2023年)頃から本格的にメンバーを入れる方向に転換し、今ではメインで動く4名(大部・小谷・瀬口・柳下)に加え、複数名のクリエイタースタッフによって構成されています。
元来僕一人で動いていたものですから、この世で僕しかおぶちゃを動かす人がいなかったので、
基本的に大部が脚本・演出・出演のほか、企画製作も僕が全て担っておりました。
それが最近はメンバーも増え、おかげさまでサポートしてくれるスタッフも増えたので、徐々に分業にしていくことを現在修行中です。
(過去の活動について詳しくはぜひHPをご覧ください。)
いきなりnoteを更新し出して、いきなり謎の自己紹介を始めたのでなんなんだと思った方は既におぶちゃ&大部をディープに知ってくださっている方ですね。ありがとうございます。愛してます。らぶ。
前置きが長くなりましたが、早速(漸く)本題に入ります。
「悲しみに戯けたピエロ-マボロシの作詞家-」について、今から(できる限り何回かに分けて)この文字を綴っいきたいと思っております。
今回はどちらかと言えば
初めておぶちゃに触れる方に向けて、僕の言葉で、僕の景色から見えていることをお伝えしたいです。
伝えたい内容はざっくり目次のとおりのことです。
よかったら少しだけお付き合いください。
(ほぼ一筆書きなので誤字脱字乱文お許しください)
このタイミングで、プロデュース公演?
改めて僕は今、
「悲しみに戯けたピエロ-マボロシの作詞家-」
という作品の現場にいます。
前述の「おぶちゃ」が主催なのですが、大部は脚本演出をしておりません。
メンバーの小谷嘉一が脚本演出・そしてプロデュースを担当しております。メンバー・小谷は僕より年上で、キャリアも先輩なので、僕は普段『コニーさん』と呼んでいます。なのでここでもコニーさんと呼びます。
いやでも身内なんだから外の方の前では「小谷」と呼ばないと、と慣れよう慣れようと意識してみましたが、
コニーさんは今年の春からアメリカへ俳優としてチャレンジするためひとっ飛びしてしまうため、コニーさんの話をできる機会が今回を最後に激減してしまうんだよなあと感じます。
そう思うと少し寂しいですが、今回伝えたいのはそこじゃない。
“今年の春にアメリカに行く男が、
なぜ渡米2ヶ月前にプロデュース公演?”
ここです。ここをみんなで一回考えたいです。
(あくまで僕の主観と偏見です。コニーさんの言葉はコニーさんのXやYoutubeで語っておりますのでぜひそちらでお確かめください)
普通に考えたら当然、アメリカの準備をしたほうがいいです。
そうです。そうなんです。そう思う方は正しいです。
ただ、こにーさんがなぜアメリカに行くのか?を紐解いた時に「自分の心に蓋をして生きずに、本当に出会いたい人、出会いたい作品、出会いたい環境に自分の意思で飛び込む」という気持ちが大きかったのではと感じます。
となると、
「アメリカに行くからって日本で過ごした時間や日本の環境をおざなりにするのか?」
この問いがコニーさんは当然「No」で、
「日本で過ごしてきた自分の演劇人生を最後、自分の本気をもって形にして届けたい」という感情に至ったのだと思います。
コニーさんが僕に「どうしてもやりたいことがある」と言ってきたのは、アメリカ挑戦とプロデュース公演の2つだけです。
しかし、その話を聞いたのは8月9日でした。
今思えば、この舞台の千秋楽の半年前に聞いたということになります。
(それもそれで何か運命めいたものを感じる)
「このタイミングで」「この時期だし」「お金かかるし」「大変だし」
みんなそう言って何もしないことがほとんどです。
でもそれは何も悪いことじゃない。
言うだけはタダだし、僕たちみたいな者は夢や野望を語っていたいのです。
その日はお互いの夢を語り合ってバイバイをしました。
うちでやりませんか?
翌日。
僕はコニーさんに「うちでやらせていただけませんか?」とLINEを送りました。(実際はもっと長くダラダラと送っていた)(今読み返して長くて恥ずかしくなった)
お話しを聞いた時はやんわりと「かねてよりお世話になっているプロデューサーに相談して自己資金でやろうかなと思っている」と言っていたので、僕はその方との関係性などもあると思うので深くは入り込まずに話を聞いていましたが、
「アメリカ行きを知りながらメンバーに誘ったのに、そのくらい大事にしている企画をうちで背負わないでどうする!」と一晩考えているうちに思ってしまいました。
ただ、勢い任せで企画をして、結果大赤字では誰も幸せになれないので、夜中家に帰ってからコニーさんがイメージしている劇場の料金を(勝手に)調べ、予算表を(勝手に)作り、企画書の叩き台を(勝手に)組んでみました。
そのあとに前述の連絡を送りました。
言うからには無責任にはできないし、正直そのタイミングで既におぶちゃの4月も10月も勝負の公演が決定していました。
自分の時間を4月と10月に費やせずにそっちがこけてしまったら元も子もないので、ちゃんと全部やりきれるか?を考えた結果、楽ではないけどやれると判断して連絡すると、即、
「僕はぜひおぶちゃにやっていただきたいです🤗」と返信がきました。
にっこりしてる上に両手もパーにしているかわいい絵文字が付いていました。
そこからは運良く劇場も即決まり、企画書を本決めとして落とし込み、コニーさんが最後に一緒にやりたいキャストを思いつく限りリストアップして、スタッフさんに声をかけました。
企画が決まって数週間経った頃。たしか9月頭くらいだったっけな。
コニーさんから自分の名前を冠にした公演にしても良いか?と相談を受けました。小谷嘉一プロデュース公演、ということです。1日考えてお返事した記憶があります。そこからは僕はプロデューサーではなくさらに1歩引いた立場、いわば影武者として支えようと決めました。
その時期に並行してポエム同好会の事前イベントや、稽古が始まりましたが、その間もコニーさんはコツコツとアメリカ行きの準備とプロデュース公演のキャスティングや脚本執筆を進めていました。
(準備期間のことを語ろうと思ったけどそんなことしてたら稽古の話に辿り着けないので全部割愛します)(またどこかで話すね)
本当に毎日、コツコツと進めていき、11/16にようやく情報解禁ができました。
その間、伊豆大島に泊まり込みで取材に行ったり、脚本会議や制作打ち合わせをを何度も重ねたりしました。
コニーさんからしてみても初プロデュースの重圧がありますし、
僕自身も、教わっていない仕事を教える難しさなど、そこにはたくさんの困難がありました。
その間に主演と2度ほどご飯を食べたりもしました。
おぶちゃを客観的に見ている岩佐祐樹が僕たちを「似てきた」と言っていました。
など、急なダイジェストでお届けしましたが、とにかく解禁前が一番大変だったさえあると思います。
ものづくりは孤独なのです。最初のフェーズは特にそう。
だから僕たちの企画が世に出て、誰かが反応してくれて、応援を言葉や行動で示してくれるのは本当に勇気をもらえるのです。
それはお客様だけじゃなく、
ともにものづくりをするキャストやスタッフと会うことも大きいのです。
今日はここまで。
この長文を読んでくださりありがとうございました。
次回はようやく、キャストに関わるお話しができそうです。
よかったら感想など、ひと言でも構いませんのでコメントにて添えていただけたら嬉しいです。
次回のnoteで書きたいこと(仮)
・ビジュアル撮影と事前イベントで得たこと
・顔合わせ、稽古初日から3日目で粗通し
・座組の魅力を届けたい
このあたりを書きたいです。備忘録。